“100年安心”を掲げた「平成の年金改革」では保険料が13年間にわたって毎年引き上げられたうえ、年金支給額を“自動減額”する「マクロ経済スライド」が導入された。安心どころか、老後不安は一層高まったが、岸田政権はそれに輪をかけた「令和の年金大改悪」に走り出した。手始めに、逼迫する年金財政の穴埋めに「サラリーマンの年金」が狙われている。 【図解】サラリーマンの年金カットで「年間7万円」の受給減 「年金大改悪」のカラクリ
大半の世帯で上がる?
物価高騰が国民生活を直撃するなか、岸田文雄・首相は10月3日の所信表明演説で「家計・企業の電力料金負担の増加を直接的に緩和する、前例のない、思い切った対策を講じます」と訴えたが、国会では旧統一教会(世界平和統一家庭連合)問題の追及にさらされて対応に四苦八苦している。
そのウラで、国民をさらに苦しめる計画が政府内で進められている。「岸田年金改悪」だ。
〈国民年金「5万円台」維持へ 抑制策停止、厚生年金で穴埋め〉
9月28日付の日本経済新聞一面にそんな見出しが躍った。
自営業者やフリーランス、農林業業者などが加入する国民年金は保険料の未納率が高く財政は危機的状況にある。現在の国民年金の支給額は保険料を40年間納めた満額のケースで月約6万5000円だが、厚労省の年金財政検証によると、現行制度のままでは2046年度には支給額が3割弱下がると試算されている。
そこで厚労省は、国民年金(厚生年金加入者は「基礎年金」と呼ばれる)の支給額を将来的に「5万円台」に維持するために、サラリーマンが加入する厚生年金の報酬比例部分(2階部分)の支給額を減らし、浮いた財源を国民年金に回して穴埋めする仕組みを検討しているというのが記事の内容だ。政府の社会保障審議会年金部会でこの秋から制度改正の議論が始まると報じている。
サラリーマンの厚生年金は国民年金に相当する「基礎年金」と「厚生年金(報酬比例部分)」の2階建てになっている。
この改革プランで「報酬比例部分」の支給額は減るが、1階部分の「基礎年金」(国民年金)の支給額が増えることから、日経記事は〈厚労省によると大半の世帯で給付水準が現在より上がるという。2階部分の厚生年金の減額幅以上に1階の基礎年金が底上げされる人が多いためだ。「損」が出るのは、2019年の賃金水準で世帯年収が1790万円以上の場合に限られると厚労省は試算する〉と書いている。
国民年金の自営業者と厚生年金のサラリーマンのほとんどの層で年金額が増え、損をするのはごく一部の高額所得者だけ。そう説明されれば、多くの国民は改革を歓迎するはずだ。だが、ちょっと待ってほしい。
そもそも自営業者の国民年金の財政が立ち行かなくなったから、サラリーマンの厚生年金で穴埋めするというのだ。そんなやり方でなぜ、国民年金も厚生年金も支給額が増えるというのか。経済ジャーナリストの荻原博子氏が指摘する。
「自営業者の国民年金とサラリーマンの厚生年金は別物。会社員は本人と会社が折半するかたちで高い保険料を納めており、それを国民年金を維持するための穴埋めにするというのは公平性が担保されなくなります。
場当たり的な対応をしているようにしか思えません。世帯年収1790万円以上の層だけが損するといった試算も高額所得者なら文句を言わないだろうと見込んだやり方のように思います。果たして本当にそんなことができるのか疑問です」
トータルの年金財源は変わらないのに、年金支給額を増やすというマジックが“トリック”なしでできるはずがない。この改革で何が起きるのか、「年金博士」こと社会保険労務士・北村庄吾氏の分析とともに見ていく。
一般の人には非常にわかりにくい
厚労省は年金の財政を5年ごとに検証し、制度改正を行なってきた。実は、危機的な国民年金の財政を厚生年金で補填するアイデアは前回の2019年財政検証でシミュレーションされている。それをいよいよ実行しようというのだ。
だが、「厚生年金の財源を国民年金に回します」とストレートに説明すれば、サラリーマンの反発を浴びる。そのため財政検証でこの改革案は非常にわかりにくい説明がなされている。
年金制度は“100年安心”を謳った2004年の小泉年金改革で抜本的な制度の変更が行なわれた。
本来、年金には、インフレ時に年金生活者が困らないように年金額を物価上昇率と同じだけ引き上げる仕組みがある。制度の基礎となるものだ。
しかし、2004年改革では、インフレ時も年金の引き上げ幅を物価上昇より低く抑える「マクロ経済スライド」(以下、スライド)が導入された。長い期間をかけて年金額を徐々に目減りさせていくカラクリといっていい。
現行ルールでは、厚生年金の報酬比例部分のスライド(減額)は2025年に終了し、それ以降は年金を減らされなくなる。一方の国民年金(基礎年金)のスライドは2046年まで続き、年金額は減り続ける見通しだ。
「厚労省はそのルールを変更し、厚生年金と国民年金のスライド期間をどちらも2033年までにすることを検討している。改革が行なわれれば、厚生年金の報酬比例部分は減額期間が長くなることで支給額が大きく目減りするのに対して、国民年金(基礎年金)は減額期間が短くなるから目減りは少なくて済むという理屈です。一般の人には非常にわかりにくいが、このスライド期間の変更によって、サラリーマンの厚生年金の財源を巧妙に国民年金に移すことができるわけです」(北村氏)
厚生年金の受給者にすれば、3年後に終了するはずの年金減額が2033年まで8年間延長されるのだから、得するはずがない。
図を見てほしい。厚労省の標準モデルのサラリーマンの厚生年金支給額(月額約15.5万円)を1階部分の「基礎年金(国民年金)」と2階部分の「報酬比例部分」に分け、現行ルールと改革後のケースで2033年に年金額がどう変わるかを本誌・週刊ポストが試算したものだ。
まず報酬比例部分を見ると、年金額は現在月額約9万円。マクロ経済スライドが2025年に終了する現行ルールのままであれば、2033年時点の支給額は月額8万5300円と少しの減額でとどまる見通しだ。だが、スライド期間が8年間延長されると月額約7万9300円へと下がってしまう。
一方の基礎年金(国民年金)は現在の月額約6.5万円から2033年には5万7300円に下がる。現行ルールと改革案で差がつくのはそれ以降だ。
報酬比例部分の「損」を先に強いられるわけだから、2033年時点では改革後のほうが年金額は減る。厚労省が言うような高額所得者だけでなく、すでに年金を受け取っている標準的な元会社員も損する改革プランであることがわかる。
財務省がウンと言うのか
では、なぜ厚労省はこの改革で国民は「得する」と説明しているのか。
そのカラクリは、現行ルールのもとで年金が下がり切る(1階部分のスライドが終了する)2046年時点の支給額をもとに、「世帯」合計の金額で損得を比較していることにある。
厚労省の標準モデル世帯は、夫はサラリーマンで厚生年金、妻は専業主婦で国民年金のケースを想定している。そうした世帯であれば、今回の改革で夫の厚生年金は現行ルールより減って損するが、妻の国民年金は現行ルールの金額より増えるため、夫婦で合わせると「得が損を上回る」と計算しているのである。夫婦とも厚生年金の共稼ぎ世帯や単身サラリーマン世帯で損失が上回る可能性は説明されていない。さらに、厚労省の改革プランには重大な欠陥がある。北村氏が指摘する。
「国民年金の財源は加入者と国が折半している。厚生年金の財源の一部を国民年金に回すとしても、それは加入者負担分の穴埋めに使われるから、国民年金の支給額5万円台を将来も維持するためには、当然、国庫負担が大きく増える。
しかし、財務省は年金の国庫負担増を認めていない。厚労省はそれを承知で、国民年金が増えるという楽観的な説明をしているわけです。なぜそれが通用するかといえば、この改革案を時系列で整理すると、2025年以降の8年間で先に厚生年金を減額し、国民年金を増やすための国庫負担増が生じるのは33年以降になる。いざその時になると、“財務省がどうしてもウンと言わない”と国民年金の増額が反故にされる事態は過去の例から見ても十分考えられます」
試算した厚労省に将来の国庫負担金について問うも歯切れが良くない。
「こちらはまだ検討するかもしれないという段階です。現時点では仮定ですからなんとも言えないですね」(年金局数理課)
これまで政府の年金改革は、目先の年金財政をまかなうために「給料天引き」で保険料の取りっぱぐれがないサラリーマンの厚生年金をかき集めようとしてきた。
今年4月からは、働きながら年金を受給する65歳未満の「在職老齢年金」の支給カット基準が緩和(※注)されて早期リタイアを防ぎ、この10月からは「週20時間以上」勤務するパートは厚生年金加入が義務化、「年収130万円」を超えるパートも配偶者の扶養家族から外れ、厚生年金等に加入して自分で年金保険料を支払わなければならなくなった。
【※注/「もともとの支給額」は日本年金機構の標準モデル(厚生年金受給者1人分)で、将来の支給額はマクロ経済スライドによって年0.9%ずつ減少する前提で試算。「現行制度」は厚生年金が2025年まで、国民年金が2033年までマクロ経済スライドによる調整があり、「改悪後」は厚生年金も国民年金も2033年まで調整が行なわれた場合の数字。社会保障審議会年金数理部会の「財政検証の追加試算」などをもとに作成した】
いずれもサラリーマンを長く働かせ、パートなど短時間労働者もどんどん厚生年金に加入させることで、保険料収入を稼ごうという目的だ。年金財政からいえば、加入者が増えるほど将来の年金支払いも増える。それでも「将来の負担など考えずに目先の保険料収入」で年金を支払っていく“自転車操業”そのものといっていい。
「いまや100年安心と言った2004年の年金改革が完全に失敗だったことがわかった。マクロ経済スライドは経済が成長していくなかで、受給者が気付かないように年金の価値を少しずつ減らしていく仕組みだが、長い期間、日本経済は成長せず、賃金も伸びなかったから機能しなかった。現在の年金制度はとっくに限界を迎えている。それなのに、国民年金を厚生年金で穴埋めするというのは、今なお経済成長で賃金が上がり続けることを前提にした発想。こんなことを続けては早晩、行き詰まるでしょう」(北村氏)
※週刊ポスト2022年10月21日号