坂道を転がり落ちるが如く (ITmedia)

 NECがPC事業を中国のLenovoと提携すると発表した。遠藤社長はPCはこれからのユビキタス時代で主役にならない、つまり、基幹製品としての地位はなくなったと語ったという。
  2010年、NECは日本市場でPC首位の座をどうも富士通に譲り渡した(編注:2010年第2四半期の国内クライアントPC出荷台数。IDC Japan調べ)ようだが、結局、どれだけ頑張っても利益を生まないPCビジネスそのものに矢野社長は見切りをつけたというのが真相だろう。
 それにしても、MS/DOS時代、世界1位だったIBM、2位のNEC両社がPC部門を事実上手放すという事態に、時代の大きな変化を感じるのは僕だけだろうか。
 今回の「フクロウのまなざし」では、NECとLenovoの提携を通し、コンピュータ・ビジネス全体を見直していこうと思う。(いわゆるOutlookと言いますかね)
●PCビジネスに見る時代の流れ
  NECがPC98で一時代を画したのは1980年代だ。今からおおよそ30年前になる。それ以前は、コンピュータビジネスはIBMが市場を支配していたメインフレームと、主に科学技術分野で用いられたDECのミニコンピュータが市場の大半を占めていた。それ以外にAppleやコモドール、オズボーンなどのベンチャー企業がパーソナルユースにターゲットを絞ったコンピュータを出荷開始したころで、市場規模は微々たる規模にすぎない。
 産業用に使用される例も製鉄や石油化学など特定の分野に限られていた。中央演算素子(CPUの日本語訳、当時はこのように称していた)は非常に高価で家電製品に用いられることも、ましてやビデオゲームもAtariの出現を待つしかなかった。
 このような状況でIBMは満を持してPCを発表し、瞬く間に巨大な市場を創出し、席巻した。同じころ、日本でも数多くの企業がPC市場に参入した。NEC はその中の1社に過ぎなかった。その後、BasicからMS/DOSへ移行し、IBM、NECがともに市場を席巻するようになった。しかし、同時にPCの興隆は、それまでの大型コンピュータとダム端末の組み合わせが主役の座を追われる端緒を開いた。
 やがて、Windowsの時代になり、PCは一挙にコンピュータ業界の主流となった。しかし、Windows PCは大量に生産され、コストは破壊的に低化していった。その結果、どんな会社でもIntelとMicrosoftから主要なコンポーネント、ノウハウの提供を受けることができるなら、即座にPCの生産が可能になるようになってしまった。この結果、伝統的なコンピュータベンダーの優位は失われた。MSと Intelへのロイヤリティが高く、コスト低減に耐えられる企業のみが生き残れる一種のサバイバルゲームとなった。
●インターネットの破壊的な影響
 結論から先に書こう。インターネットでいままでのコンピュータ、業界の地図はすべて描き変わった。
 前記したように、Windows PCが主流になり、インターネットへの接続が一般化した後、同時期に携帯電話の急速な普及が加速した。これは90年代後半に起こった。21世紀を境に一般のユーザーはPCとケータイという2種類のインテリジェントデバイスを所有、使用するのが普通になった。やがて、21世紀を迎え、この状況を一変するインフラの革命が起きた。常時接続ブロードバンドだ。
 これにより、ネットワークは高価で使いづらいという概念は吹っ飛んだ。ブロードバンドも当初は日本、韓国の2カ国に限られた話だったが、この10年間で世界中に拡大した。このようなインフラの変化はコンピュータ業界にも大きな影響を与えた。
 それまで、ひたすら高性能を追求してきたクライアントデバイスの世界にも、性能より、携帯性、使い勝手が求められるようになった。また、デバイスが小型化すると同時に動作の俊敏性が求められるようになり、Wintelの支配構想がほころびを見せ始めた。
 これが最も顕著に現れていたのがAppleのiPodであり、iPhoneだ。これらの製品はいずれもインターネットを前提としているが、実際のサービスの多くはAppleが提供するサービスで囲い込まれている。ユーザーの多くはインターネット上でAppleの提供するコンテンツを使うだけだ。
 ここで少し読者にも考えてもらいたい、Appleが編み出したビジネスモデルは、基本的にインターネットをベースにしている。だが、彼らが販売しているデバイスは確かに独創的ではあるが、使用されている部品は特段目新しいものではないことだ。秀でているのはUIだけといって過言ではない。それ以外で目を引くのは製品の価格だが、これも、大量発注が成しえたもので、その気になればどの企業でも可能なものだ。
 つまり、理屈で言えば、Appleの成功はどの企業にも実現する可能性があったのだ。Appleは優秀な経営陣が大胆な判断を行い、成功したにすぎない。
 インターネットの成功例として、われわれはAmazonとGoogleの例を知っている。Amazonはインターネットに特化したネット販売のパイオニアであり、Googleは検索エンジンで成功したが、実際にはインターネットの特徴を熟知し、検索を即座に実行するメカニズムであるクラウドシステム(巨大なPC Cluster)と分散型DBを開発したことで成功した。
 彼等の成功はいずれもこれまでITCの主役だったコンピュータ・通信機・ベンダーから一線を画し、独自の技術でユーザーのニーズをくみ取ったことにある。インターネットは従来のコンピュータ・通信業界の勢力図を根底から変えてしまった。
●消え去る会社、勃興する新しい産業
 長い間、この業界に身を置いていると信じられないような事を何度か経験する。その際たるものがCrayとDecの消滅だ。
 Crayはスーパーコンピュータのトップベンダーとして一世を風靡(ふうび)した企業であり、Decは科学技術用コンピュータのトップベンダーだった。最盛期の両社の状況を知っている者としては、彼らがこの業界で果たした業績を称え、消え去ったことを惜しむしかない。
 米国では、幾ら大企業であっても、技術の変遷に対応できない会社は消え去るしかないが、日本では潰れたという話は聞いた事がない。米国では、倒産した企業から大量の優秀な人材が放出され、新たなビジネスの創出、既に創業を済ませたベンチャー企業への人材供給源となり、結果としてそれがビジネスのダイナミズムを維持、補強しているが、日本では、年功序列、終身雇用という制度が、既に出番のなくなった企業の市場からの退場を阻み、結果として産業のダイナミズム維持を阻害している。
 NECに話を戻す。同社は前記したようにPC=98という一時代を築いた。また、携帯では「二つ折りケータイ」の先駆者となり、こちらも長らく携帯端末首位の座を保った。恐らく、両社には成功体験を具現した人たちが大勢いて、技術面での開発に切磋琢磨していたのだろうが、彼らのほとんどはNTTドコモのようなオペレーターに目が向いていて、ユーザーに気を配ることなどなかったのではないだろうか。
 話はクライアント・デバイスにとどまらない。クラウドコンピューティングでも使用される機材の多くは安価なCPU(その多くはIntelかAMD製)を使用するサーバだということは誰もが理解していたが、高性能サーバにばかり目を奪われ、ユーザーが実際欲するような安価で、安定した性能を持つサーバの開発には身が入っていなかった。その結果、携帯端末、PC、サーバの各事業が連鎖的に悪化していった。
●過去の経験則は捨てなければならない
  NECの例は、一コンピュータベンダーに限って起こった出来事ではない。日本の企業はおおむね同じような体質を強く持っている。米企業なら、不採算部門、事業所は要員も含め常に廃止、改変の対象になるが、日本の場合、経営者の判断に常に情実が絡んでいる。また、新しい技術を開発しても、従来の組織との整合性や縄張りにとらわれ、製品の投入時期を失ってしまう。その部門の権威者が新しい技術の評価を誤る場合も多い。
 その中で、僕が最も致命的だと思うのは経営者のイニシアティブだ。僕は仕事上の付き合いで、その下位にあたる役員と話すことが多い。最近ではもっぱら「クラウド」が話題の中心だが、経営者が熱く語る「クラウド」について、担当役員がどのように捕らえているのかが手に取るように分かる。
 彼らのほとんどは「どの企業もクラウドの話をしているので、弊社でも同じように取り組んでいるような姿勢を見せなければならない」と受け取っている。会社の存亡がこれにかかっていると考えている人たちは残念ながら少数であるのが現実だ。つまり、経営者のイニシアティブは全く発揮されていないのだ。
  21世紀になり最初の10年が過ぎたが、この10年間で様変わりしたのは中国であり、韓国だ。中国は20世紀、世界の工場という地位に甘んじていたが、 21世紀になり、世界で最も魅力ある市場として認識されるようになった。韓国はしょせん日本の二番煎じというそしりを受けていたのが、21世紀には日本企業を脅かす最有力候補になった。
 両国の主要な企業の経営者は、度々The EconomistやForbesで取り上げられるが、日本の企業のトップでそのような人物は皆無に近い。それが、日本社会に巣くう病巣だ。
 新しい酒(新ビジネス)は、新しい皮袋(ベンチャー企業なり社長直属の部署)に入れなければならないという大原則を守らない限り日本のあしたはない。
(ITmedia エグゼクティブ)

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