堀江貴文氏 巨大プロジェクトを仕切るために必要な能力とは

ビジネスの現場でいちばん厄介なのは、「自分は周りが見えていないと自覚していないヤツ」と語るのは堀江貴文氏だ。「人に頼らず自分で何とかしよう」と意味なく頑張り続け、結果をより悪い方へと導いていく……。なぜそうなってしまうのだろうか。

堀江氏が最新刊『属さない勇気』で解説している、働き方や生き方の未来についての新たな提言を短期集中連載。第5回は、上司と部下、社長と社員の間の人間関係について解説する。

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本人は向上心で頑張っているつもりでも、「褒められたい」などの雑念があると、周りが見えなくなり、高い確率で他人に迷惑をかけることがある。

例えば、大きな予算をかけたプロジェクトを立ち上げた時、現場の仕切りを、モチベーションの高い若い社員に任せることがあるだろう。若手社員は張りきってプロジェクトを進めるが、経験が少ないから、しばしば行き詰まる。

少し経験がある人ならピンとくるだろうが、大きなプロジェクトの仕切りは、数字の計算とか専門知識などの実務力は、それほど問われない。長年の経験で得られる、「どこの誰に話を通すか」「いくらで何を外に任せるか」など、全体を俯瞰でとらえた段取りの勘のようなものの方が重要だ。

すなわち、周りが見えているかどうか。若いうちから、この俯瞰力を持っているヤツは、なかなか少ない。能力が低いのはしょうがないが、落ち着いて周りを見ることができれば、だいたいのトラブルは回避できるのだ。

いちばん厄介なのは、自分は周りが見えていないと自覚していないヤツだ。「人に頼らず自分で何とかしよう」と意味なく頑張り続け、結果をより悪い方へと導いていく。その根っこには、任された仕事をひとりでやり遂げると、褒めてもらえるという思い込みがあるのだろう。

向上心だか何だか知らないが、みんなに迷惑をかけるヤツはいちばんタチが悪い。他人に褒められたくて、プロセスを努力している自分に酔っているだけだ。周りが見えてない、または見ようとしない「褒められたがりくん」は、簡単に相手に利用されるし、騙される。

周りが見えなくなっているから、まずい事態になっても気づかない。チャレンジの意味を勘違いしているのだ。チャレンジ自体に何かの価値があると思い込むのも、間違っている。

そして、彼らを褒める人がいるのも、困りものだ。頑張っているプロセスを、どういうわけか評価したがる。義務教育で刷り込まれた「結果より努力が大事」という精神の、悪い部分だろう。

向上心があるのはいい。好きなことを、好きなようにやるのもけっこう。けれど、やっていることのプロセスばかりを見ていないか、心の底に褒められたいという邪な気持ちはないか。

◆心をグリップされた不自由な人生

人気漫画『闇金ウシジマくん』の主人公・ウシジマのカリスマ性は、新興宗教の教祖に近い。腕力も頭脳もすごいけれど、何より「この人に逆らったらいけない」という威圧感が、ずば抜けている。

この威圧感というか、存在としての説得力は、急成長するベンチャー企業の社長によく見られる。何百人もの若い社員のマインドを、見事に“グリップ”しているのだ。ここで私が唱えるグリップは、主従関係の強さを表す意味で用いる。上の者が下の者に発揮する、思考を停止させ、「逆らえない」「逃げられない」と服従させる力のことだ。グリップ力と言ってもいい。

人は、力関係で動かされる。腕力はもちろん判断力、情報力、人脈力、財力、様々な力によって、心をグリップされる。いったんグリップが効けば、恐怖支配はラクに行える。

私のメルマガの質問コーナーに、人生相談を寄せてくる人も、何かにグリップされている人ばかりだ。「さっさと会社なんか辞めて起業しなさい!」「家族なんか大事にしなくてけっこう!」とにかく思いのままに行動しろ!」と回答するのだけど、呆れるほど動き出さない。

そのぐらい一般的に人々は、動こうとしない。グリップに支配された不自由な人生を、あえて望んでいるかのようだ。

でも、彼らはかなりの確率で、非合法ビジネスにも引っかかってしまう。思い込みが激しく、真面目一筋で、視点の幅が狭いからだ。

私はできれば、多くの人がグリップから解かれて、自由に生きられる社会であればいいと願っている。だから今後も、自由に生きるのに役立ちそうな提言や情報を、発信し続けていくつもりだ。

※堀江貴文・著/『属さない勇気』より

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