売上高9兆円の“絶対王者”イオン。国内で独り勝ちできた「3つの理由」

イオングループの売上高がついに9兆円(2023年2月期)を超えました。郊外型の大規模モール店を筆頭に、GMSの「イオン」や薬局チェーン「ウエルシア」を抱えるイオングループは、他の小売チェーンが不調となるなか、2000年以降も急拡大を続けました。イオンモールが築き上げた「AEON」のブランド力と資金力がグループ全体の成長に貢献したわけですが、そもそもなぜ、国内のSC(ショッピングセンター)店はイオン一強なのでしょうか。イオングループの成長、そして、それを支えたイオンモールの成長要因について考えてみます。
◆イオンのルーツは1758年創業の「岡田屋」

イオングループは江戸時代の1758年、現在の三重県四日市に創業した日用品店の「岡田屋」がルーツです。1926年には六代目が「岡田屋呉服店」として株式会社化しました。

第2次世界大戦で店舗を焼失しますが、1946年には営業が再開されました。そして戦後は7代目、岡田卓也氏の手腕によって大きく成長することになります。

◆モータリゼーションを予見していた7代目

1964年、ご当地スーパーだった岡田屋、フタギ、シロの3社が提携し「ジャスコ株式会社」が設立されました。社名は「Japan United Stores Company」に由来しており、社長となった岡田卓也氏はGMS(総合スーパー)としてジャスコを発展させました。

なお、岡田氏はモータリゼーションを予見し、同年のうちに三菱商事との折半で「ダイヤモンドシティ」をオープンさせました。ダイヤモンドシティは「ジャスコ+各テナント」という形式をとるショッピングセンター(SC)で、現在のイオンモールの原型となっています。

1980年にはミニストップ1号店を開店してコンビニ事業に参入し、翌81年にはジャスコのクレジットカード関連業務を扱う会社を設立して金融事業にも参入しました。

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◆ライバルの失速を横目に拡大を続ける

1989年に「ジャスコグループ」から「イオングループ」へとグループ名が変更されます。食品・衣類・日用品など何でも揃うGMSという形態は日本の経済成長と共に伸びてきましたが、90年代からはイトーヨーカドーが失速。

そして、自社保有方式による大量出店を続けていたダイエーも不採算店の閉店を怠ったことで1995年以降は規模を大幅に縮小させました。

一方のイオングループは失速することなく郊外にGMSの出店を続け、大店立地法が制定され大型ショッピングモールの建設が容易になった2000年以降は「イオンモール」の出店を続けました。そして2023年4月現在、イオンモールは国内外で約200店舗展開されています。

◆2023年2月期に売上高は「9兆1,168億円」に

8代目のもと、2010年代からはM&Aによってグループはさらに拡大しました。2013年にはダイエーを傘下に起き、2015年には薬局チェーンのウエルシアHDを子会社化しています。ブランドの統一も進められ、イオンモールだけでなくGMS・スーパーの「イオン」、「マックスバリュ」も店舗数を増やしました。

こうした成長を経て、グループ全体の売上高は2001年2月期の2兆7,386億円から、2023年2月期には9兆1,168億円にまで拡大しました。

◆GMSやスーパーが主な収入源

イオングループが成長し続けた要因を資金面から見ていきましょう。2023/2期における主なセグメント別の収入源及び営業収益/利益は次の通りです。GMS事業総合:スーパー「イオン」、「イオンスタイル」の売上:3兆2,690億円/141億円
SM・DM事業:スーパー「マックスバリュ」、「ミニストップ」の売上:2兆6,421億円/228億円
総合金融事業:クレカの「イオンカード」、「イオン銀行」の売上:4,569億円/603億円
ディベロッパー事業:「イオンモール」内の専門店からのテナント収入:4,435億円/452億円

各事業の収益と利益を比較すると、売上高自体は前者2事業が巨大であり、GMSやスーパーが主な収入源であることが分かります。

◆主な資金源は「不動産と金融業」

しかし、利益率では10%を超える総合金融事業、ディベロッパー事業が大きく、後者2事業が主な資金源となっています。つまりイオングループはGMS・スーパーの出店を続けつつ、M&Aでも規模を拡大し続けたわけですが、その原資となったのは小売よりも不動産と金融業なのです。

特に2000年以降は不動産業が実体であるイオンモールの成功がグループ全体の成長に貢献したと言ってよいでしょう。ちなみに2001年2期におけるディベロッパー事業の収入は331億円、営業利益は80億円しかありませんでした。

◆なぜ国内のSC店はイオンモールの一強なのか

それでは同グループの成長を牽引したイオンモールの成長要因を見ていきましょう。主な要因は3つ考えられます。一つ目の理由は法律改正です。もともと日本ではイオンモールのような大型SC店をオープンさせる際、地元商工会との調整(合意)が必要でした。

それが、1991年の大店法改正及び、2000年の大店法廃止&大店立地法の制定によって大規模SCの出店が容易となり、以降イオンモールは出店を続けました。

二つ目の理由は大型SC店が持つレジャー要素です。食品や衣服・日用品まで揃うGMSは確かに便利ですが、レジャー要素はありません。一方である種の街並みのような大型SC店にはレジャー要素があり、買うものが無くても週末に訪れたくなる仕掛けがあります。また、専門店同士の競争も生じるため、商品や店構えが陳腐化しないというメリットも。

◆「競合の不在・出遅れ」も大きい

ただし、以上の二要因だけでは“イオンモールだけ”が伸びた理由にはなりません。大型SC店という店舗形態はイオン初のものでもなく、アメリカでは50年代から普及していました。イオンモールが伸びた三つ目の要因は「競合の不在・出遅れ」です。

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GMSで国内トップだったダイエーも前記の通り1997年に赤字転落となり、2000年以降に大規模店を出店する余力はありませんでした。セブン&アイHD傘下のイトーヨーカ堂も業績が伸び悩んでいたことに加え、駅前・市街地を強みとしていたために郊外型SC店の展開に出遅れました。

セブン&アイHDが好調なコンビニ事業に注力していたことも要因として考えられます。以上、3つの理由により国内ではショッピングセンターといえば誰もがイオンモールを思い浮かべる状況が生まれました。

◆今後は、中国・東南アジアと「都市型SC」

まとめると、GMS「ジャスコ」を展開していたイオングループは他の競合GMSが不調な中、郊外型店舗の強みもあり2000年以降にイオンモールの出店を続けました。

そして、イオンモールによる不動産及び金融事業からの収入が新規出店とM&Aの原資となり、さらなる規模拡大につながったと考えられます。ちなみに国内では大規模SC店の出店の余地が限られていますが、イオングループは今後、中国や東南アジアで出店を続けるほか、国内でも駅前などに「都市型SC」の展開を継続するようです。

既存事業に囚われるべきではないという岡田屋の家訓、「大黒柱に車をつけよ」が活かされているように見えます。

<TEXT/山口伸>【山口伸】
化学メーカーの研究開発職/ライター。本業は理系だが趣味で経済関係の本や決算書を読み漁り、副業でお金関連のライターをしている。取得した資格は簿記、ファイナンシャルプランナー Twitter:@shin_yamaguchi_

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