緊急事態宣言が解除され、多くの人が日常を取り戻すために公共交通機関を使うようになった。朝夕の通勤電車が混んできた。日常が戻ってきたうれしさはあるが、切実なのは、電車の中での感染リスクへの不安だ。通勤電車は確かに、密閉空間だ。首都圏では多くが郊外から東京に向かうため片道1時間は乗車するだろう。クラスター(集団感染)が起きやすい「3密」(密接、密集、密閉)だろう。そんな環境は大丈夫なのか。(リスク管理・コミュニケーションコンサルタント=西澤真理子) © 全国新聞ネット 「3密」を避ける行動を呼び掛ける大型モニターの前を歩く人たち=5月26日、東京都新宿区
「そこまで心配することはない」。意外にもそれが、政府の専門家会議で対策作りに関わっている公衆衛生の専門家に話を聞いた筆者の印象だ。何よりもそれは、その専門家自身が通常通り、朝晩の時間帯に東京の勤務地まで電車通勤していることからも分かる。「3密」は何としてでも避けるべき状況だとあれだけ言われてきたのに、混乱する。その背景には「3密」(密集、密接、密閉)と、すっかり定着したリスクメッセージの曖昧さがあるからだ。
「三つの密を避けましょう!」
手元の政府資料をよく読むと、①換気の悪い密閉空間②多数が集まる密集場所③間近で会話や発生をする密接場面、この三つの条件がそろう場所がクラスター(集団)発生のリスクが高い!とある。
混乱の元は、この3番目の「密」だ。これは、人と人の距離が近い「密接」を単純に意味していない。「会話」が発生すると言う「条件付き密接」だ。
通勤電車はマスクをしていればよいし、「接触」したら洗い流せばよい。だから筆者がインタビューをした専門家は、普通に通勤しているとのことだった。通勤電車の中では会話はさほど多くないだろう。電車を降りたら必ず手洗いはするそうだ。通勤電車への不安は、専門家が考える「3密」が社会に正確に伝わっていないからこそ起きているものだ。
コロナウィルスの感染経路は飛沫(唾や咳での感染)が大きな割合を占めることが世界的にも分かりだしてきた。今月5日、WHO(世界保健機関)は感染が拡大する地域で人と人との距離が取れないときに、一般に広くマスク着用を推奨と、指針変更した。米国もコロナ対策の中核である米疾病対策センター(CDC)が先月、「接触感染は主な感染ルートではないと考える」と発表。飛沫感染が主と示唆し、ガイドラインを変えている。欧州でいち早くロックダウンを解除したドイツは先月から公共交通機関や店舗内で、英国でも今月半ばから公共交通機関でのマスクの着用が義務となる。
「接触よりも飛沫」は重要なリスクメッセージだ。「まあそうだよね」と思いつつ、マスクをしている人が多いとは思うが、「半信半疑」が「確証」に近くなってきた。 © 全国新聞ネット 「東京アラート」発令から初の週末を迎えた新宿・歌舞伎町=6日夕
実際、国内で発生したクラスター(集団感染)は「大きな声を出す」状況で発生している。「新年会」「スポーツジム」「剣道の道場」、そして「夜の歓楽街」だ。客が「カンパーイ」と声を出し、ひざを突き合わせたような状態で「ワイワイガヤガヤ」と盛り上がる状況で多いらしい。スポーツジムでも運動量と呼吸量が多く、声も一緒に出すプログラムでクラスターが発生している。だが、不特定多数の人が混じり合い近くで声を出すような夜の街の発生件数は1桁ないし2桁の違いで多かったという。第二波への警戒から「東京アラート」が発令された現在、都内では、店員が客席につき接待を行うにぎやかなお店やカラオケバーで新規感染者が連日報告されている。
これらの実例からも、リスクが高いのは「3密(密接、密集、密閉)」でなく「3密+大きな声(飛沫が多く飛ぶ)」なのだ。「4密」(密な会話)と言っても良いだろう。
スーパーの従業員休憩室や、コールセンターでクラスターの発生が国内外で発生しているが、これらの事例を詳しく見ると、食事をしながら対面で30分の会話が行われているなど、必ずしも大声ではなくても、会話が比較的長い時間、間近で「継続」した場合に集団感染が発生していた。 © 全国新聞ネット
今でも政府や自治体からは「咳エチケット」(咳やくしゃみをするときには口を覆いましょう)が発信されているが、不完全なメッセージだ。
咳だけではなく、近くで会話する際も口を覆うことが必要だからだ。このメッセージは「咳エチケット」+「会話エチケット」であるべきだろう。
「若者がマスクをしないでグループで会話している」「電車の中で口を覆わないで大声で話している」などの投稿をSNSで散見する。筆者も若者がグループで肩を並べながら会話している状況を見る。これらも、間近で会話することのリスクが伝わってないからこそ起きているのではないか。
別な言い方をすれば、「3密」の感染リスクに濃淡があることが伝わっていない。単に換気の悪い「密閉空間」や、単に多数が集まる「密集場所」より、間近で会話や発声をする、「飛沫が多く飛ぶ大きな声の会話」のリスクが濃いのだ。
米国での研究実験でも、密閉された場所で飛沫を飛ばしやすい言葉を大声で話した結果、会話を1分しただけで、ウイルスを含む飛沫が少なくとも1000個発生、それが微粒子(エアロゾル)となり空気中に10分近くも漂うと報告された。
「マスクや消毒だとか、とにかくやることが多くて、何が一番必要な対策なのかを知りたい」 © 全国新聞ネット 帰宅の途に就くマスク姿の人たち=2日午後、JR新宿駅付近
まっとうな意見だ。これはリスクメッセージが混在していて、対策の優先順位が曖昧だからこそ上がってくる声だ。
優先順位付けとは、大きなリスクに注力し、ぐっと下げる。小さなリスクをより下げることは労力や費用をかける割に、負担が大きく、成果が小さい。リスク管理の基本だ。
ゴールデンウイークに政府が発表し、コロナ共生時代のバイブルのように受け止められ、波紋を広げてもいる「新しい生活様式」など、政府から出てくる行動指針の情報(指示)は細かく、逆に多すぎて、何をしたらいいかが分からなくなってしまう。
「新しい生活様式」が典型だが、情報が並列に伝えられ、いわば「平面」であることも政府からのメッセージの特徴だ。何が鍵となる行動指針で、何があくまでも「例」なのかをはっきりした方が良い。
情報を受け止める側の視点に立ち、重要度を分かりやすくし、理解できるようにいわば「立体的」にする必要がある。コミュニケーションにおいても、何が優先すべき「総論」で、何が「各論」なのかの順番が大切だ。細かい「各論」が先行していて、本当に守るべき「総論」的なメッセージが抜けおちてしまう。
筆者が話を聞いた専門家は、コロナ禍は初期であり、感染リスクについて分からない部分があるため、コロナリスクと付き合うために自分なりに考え、さほどお金がかからない範囲で、ケースバイケースで対策を試す必要があるとのことだ。
これから起こるだろう第二波を大きなピークにしないために、感染抑制を人ごとにせず、自ら感染リスクを判断していく。重症者を出さないため、新規感染者を増やさないことは対策の肝だ。高齢の入院患者が多い病院や介護施設で大規模なクラスターが起きると「必ず」と言っていいほど重症者が出る。
だから、実現不可能で持続性に欠ける高すぎる目標設定をすることで「コロナ疲れ」や「コロナ慣れ」を呼びこんではいけない。政府や専門家が優先的に下げるべきリスクの情報を正確、迅速、分かりやすいメッセージに加工し、社会、市民と共有し、協働することが鍵になる。相手に情報を「伝わる」ように伝える。人は「説得」ではなく自らの「納得」により行動を変えるからだ。それにはリスクコミュニケーション強化が急務と考える。