定年あるある「旧職の地位にしがみつく」

プロレスラーの武藤敬司氏が「思い出と戦っても勝てねえんだよ」といったという。武藤氏がどういうつもりでいったのか分からないが、「思い出」の大切さに関しては同感である。私は思い出と戦ったりはしないけど。

思い出として残っているものには不朽の価値がある。そんなものと戦って、勝てるはずがない。現前の人物や光景のほとんどは思い出になりきれず、ただ消えていくだけのものである。思い出とは濾過されて残った良い記憶のことである。嫌な不快な記憶は、別の場所に澱(おり)のようにたまった毒である。廃棄するにかぎる。思い出は、良き日々や人々の懐かしさであり、過ぎ去った人生の彩りであり、ばかばかしい現在のなかの慰藉(いしゃ:なぐさめていたわること)である。

未練というものがある。過去の形骸でしかない自分をいつまでも引きずっている。思い出は現在の自分に潤いを与えてくれるが、未練は現在の自分を掘り崩すだけである。未練とはくすぶっている自我である。自分で水をかけて消すこともできず、といって自分で火をくべて、再び赤々と燃えあがらすこともできない。ただ煙を出してくすぶっている自我に自分がむせているだけだ。そのむせ返りが自分でも納得できず、その不快さを周囲にまき散らす。それで浅ましくも自分の存在を知らしめようとする。

●くすぶり続ける自我

よく持ち出されるエピソードで、再就職の面接にきた定年退職者が、「前の仕事はなにをしてましたか?」と聞かれて、「部長をしてました」という話がある。これが、気位が高いだけの使えない退職者の典型として笑い種にあげられるのだが、私はその元部長がちょっとかわいそうな気もする。足を組んで椅子にふんぞり返ってそういったのなら正真正銘の肩書バカだろうが、その元部長の場合は、面接の緊張感から来たただの言い間違えだったのではないか。

いずれにしても、ふんぞり返りの役職未練バカはそんなに多くはないはずである。元部長のエピソードもめずらしい事例だから、いつまでも語り草になっているのではないか。ほとんどの退職者たちはさっさと前職や肩書に見切りをつけて、元警察官が町の洋食屋を開いた、というように、次の新たな一歩を踏み出しているのである。だが、そうはいっても油断は禁物である。そんな男はいることはいるのだから。

彼らは対人関係で、くすぶった自我を発散する。それが周囲とのあつれきを生じる。いったん身にしみついた大物意識は定年退職したからといって、すぐには改まらない。彼に残っている記憶は、良い思い出ではない。周囲に支えられることで維持できていた、世間知らずの自分だけの快適感である。これが定年でくすぶる。できればこんな男とは遭いたくないものだ。

佐々木常夫氏は、そのような人間に遭遇している。世間には会社のタテ社会の価値観をそのまま私的関係にまで持ち込む輩がいるが、「定年退職後も、その序列感覚と決別できず、地域社会に持ち込む人がいます」。氏が「マンションの管理組合の役員をしていたときに、その「典型のような人」がいた。「大手企業の専務まで務めたという人」だが、「組合の集まりに顔を出しても、『おれが、おれが』と場をやたらと仕切りたがる」。こんな男がうっとうしいのだ。未練バカは少ないと書いたが、意外に多いのか。

その「おれが、おれが」男は、そのくせ「実際の業務や活動にちっとも汗をかこうとしない」。だから「協調性にも欠けるし、他の人の意向や言い分を聞きながら意見をひとつの方向へまとめていくという、本来のリーダーに求められる器量にも不足している。地縁や私的つながりにおいて、もっとも役に立たず、もっとも面倒で、もっとも敬遠されるのが、このタイプです」(前出『定年するあなたへ』)。この男は佐々木氏と初対面したとき、氏の「前職や肩書をしきりに知りたが」ったという。未練バカの典型である。

●「元管理職」はタチが悪い!?

『みっともない老い方』では川北義則氏が、こんな例を挙げている。実際に川北氏が見たのかどうかは分からないが、あるじじいが行きつけの高級レストランに行って、混んでいるので相席をといわれると、「おれを誰だと思っているんだ!」と激怒したというのである。しかし、こんな話ならどこにでもある話だろう。川北氏はこう書いている。「以前は通用したかもしれないが、リタイアすれば『ただの人』。それがわかっていない輩がけっこういる」

まさにそのとおりである。私は、リタイアしていようが、現役であろうが、みんな「ただの人」だと思っている。もちろん人には地位や肩書や役割がある。当然、それは尊重されなければならない。しかし地位や役職(や組織名)を自分だと思い込んでいる人間は存在する。そのへんの娘でも、アイドルや女優と呼ばれてちやほやされると、いつの間にかその気になって傲慢(ごうまん)な人間になってしまうのは珍しいことではない。杉村太蔵も(私は嫌いではない)「先生」と持ち上げられてその気になりかけたとき、ずっこけて、「ただの人」に逆戻りしてしまった。いいことである。

どんな地位にあっても、心のどこかに自分は「ただの人」だという自覚をもっていない人を、私は好きではない。そういう人と付き合うのはごめんである。ところで件のじいさんの醜態を見た(?)川北氏はこんなことをいっている。「そこで提案だ。年齢的に六十を過ぎたら、もう何に対しても『ありがとう、ありがとう』で通すというのはどうだろうか」

まあ賛成である(日本人も外国にいけば、しきりに「サンキュー」だの「メルシー」の「ダンケ」だのといってるではないか)。だが、なんで「年齢的に六十を過ぎたら」なのか。何歳でもいいではないか。そのへんが川北氏の甘いところである。私もトライしてみるが、川北氏にもがんばってもらいたい。

『定年後』の著者、楠木新氏も、駅員に食ってかかっていた定年退職者(らしき)人間を見た。その男は「ICカードでは定期券の区間の差額精算ができないことに腹を立てている様子だった」。それはできませんと恐縮する駅員に、その男は「それを書いている約款をここに出せ」と怒鳴り散らしたという。先の「おれが、おれが」男よりも、この男はタチが悪い。

こんなヤツは死んでくれたほうが世のためである。楠木氏は、この手の苦情をいってくるのは「元管理職」が多いらしいといっている。

●「OBヅラ」もよくない

おれがいなくなったら、会社はどうなっているかな、さぞかし困ってるのではないか、と勝手に思いあがって、会社を訪問するOBヅラの人もよくない。これは私のことである。

定年後、1年間ぐらいだったか、月に1回、前の会社に顔を出した。私の場合、おれがいなくなって困っているだろうなと、思ったからではない。そんなことなら、会社はどんなになっても仕事は回るものだ、と分かっていた。前田健太選手や黒田博樹選手がいなくなっても、広島カープは優勝したのである(私が黒田氏や前田氏並み、といいたいのではない)。私の仕事の後継者も、いい仕事をしていたのである。

私が訪ねたのは、仲の良かった年上の人がまだ会社で働いていたからである。それと業績不振の会社の現状を聞きたいというのもあった。端的にいえば、会社の行く末が心配だったのだが、どんな理由をつけても、私がOBヅラをしていたことは間違いない。

なかには、のこのこなにしに来やがった、と思っていた人間もいたと思う。私なんかもうなんの役にも立たない部外者だったのだ。

私が在職中、退職した人が会社に立ち寄ることはあった。そのときは、懐かしかった。が、ほとんどの人は退職後、一度も来なかった。潔い人たちである(なかには顔を出しにくい人もいたと思うが)。のこのこと会社に顔を出していたのは私ぐらいだったのではないか。本人にそのつもりがなくても、「OBヅラ」をしていると見られてもしかたないのである。会社がうまくいかず、他社に買収されて移転してからは行かなくなった。いまでもその会社のことが気にはなっているのだが。

定年退職に際して、こういう言動も避けたいものである。定年直前は、こんな会社さっぱり辞めてやるよ、となんの未練もないようなことをいっていたのに、定年後も何食わぬ顔をしてちゃっかりと居座ることである。さっぱり辞めていったなあ、と思ったら、定年前からあちこち動いて、しっかりと転職先を決めていたヤツもいる……。

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