宮城、過去400年 犠牲者出た津波平均57年に1回

1611年の慶長三陸地震後、宮城県は平均57年に1回の割合で犠牲者が出る津波に襲われていることが、東北大災害科学国際研究所長の平川新教授(日本近世史)らの研究で分かった。震源が遠く揺れを伴わない「遠地津波」も含めて歴史資料を分析し、津波の履歴を精査した。建物や田畑の被害があった津波を含めると、平均間隔は20年に1回と大幅に短くなる。
 日本を襲った津波に関するこれまでの研究を基に、宮城県内各地に残る信頼性の高い公文書のほか、役人や商人の日記を突き合わせ、被害の有無や程度を調べた。
 慶長三陸地震から2011年の東日本大震災までの400年間で、犠牲者を出した津波は7回確認できた。平均間隔は57年となる。
 死者が確認できなくても、建物の流失や田畑の浸水があった津波を含めると計20回に達した。暮らしに大きな影響を及ぼした津波は、平均で20年に1回襲来している計算になり、平均37年間隔の宮城県沖地震よりも頻度が高くなる。
 平川教授は「震災以降、数百年から1000年に1度のような巨大津波に意識が向きがちだ。中小規模でも頻度が高い津波のリスクを再認識する必要がある」と話す。
 20回のうち8回は南米チリやロシア・カムチャツカを震源とする遠地津波だった。1837(天保8)年11月8日の複数の日記に「地震がないのに津波がやって来た」という記述があった。同年11月7日にチリ沖で発生した大地震による津波が、翌日に日本に到達したと推測できるという。
 伊達家の正史「伊達治家記録」には1687(貞享4)年10月20日にペルーで発生した地震で、塩釜に1尺5寸(45センチ)以上の津波が何度も押し寄せたとの記録がある。こうした古文書や観測データを含めると、津波の高さや浸水の深さが40センチ以上の津波は34回を数え、平均間隔は12年になる。
 平川教授は「遠地津波が何回も発生していて、津波の危険性と隣り合わせであることが浮き彫りになった。歴史資料を読み解き、地域ごとに津波の頻度を割り出すことは防災・減災の対策を考える上で意味がある」と強調する。

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