宮城・山形結ぶ古道「小山田新道」に光を 住民有志、交流の歴史たどる

宮城、山形両県にまたがる古道「小山田(おやまだ)新道」。全長約27キロの道は明治初期に開通したものの、今では知る人も少ない。開通直後に関山隧道(ずいどう)(トンネル)を含む新街道が北側に完成してメインルートとなり、「裏街道」に位置付けられてしまったためだ。「先人が切り開いた道の価値を改めて見直したい」と、両県の住民有志が古道に光を当てる活動を始めた。

開通直後に関山ルート完成、知られざる道に

 小山田新道は現在の仙台市青葉区新川から面白山の北側を経て山形県東根市猪野沢を結ぶ。猪野沢の大庄屋だった小山田理兵衛が私財を投じ、行政の補助金も受けて整備。1874(明治7)年に着工し、77年に完成した。荷車が通れるよう、安定した勾配を取れるルートを選んだという。

 一方、初代山形県令の三島通庸(みちつね)が打ち出した構想に基づき、古くからあった街道沿いに、現在の国道48号の旧道に当たる新たな道路が82年に開通。小山田新道は次第に使われなくなった。

 5月下旬、小山田新道をテーマにした講演会が青葉区の宮城西市民センターであった。青葉区西部の地域団体「作並地区未来プロジェクト」のメンバーらが企画。新道に詳しい天童市の天童郷土研究会副会長、浅井紀夫さん(80)を講師に招き、両県から約40人が参加した。

 浅井さんは2004年から小山田新道の実地調査などを進め、7年ほどかけて全体像を把握した。「資料は少なかったが、古文書や公文録を読み解くことで当時の経緯が徐々に浮き彫りになった」と語った。

 浅井さんによると、新道は関山ルート開通後、全く忘れ去られたわけではなかった。1950年代まで、木材や木炭、銅鉱石の運搬で生活道の役目を担っていたという。「理兵衛の業績を次代に継承することで、両県が交流を育んだ蓄積がより生かされるだろう」と期待を込める。

 プロジェクトの工藤秀也会長(81)=青葉区=は「交流の歴史をたどることで多くの発見があるはずだ。住民が地域に愛着を持つきっかけにもしたい」と話す。浅井さんらの協力も得て両県で参加者を募り、痕跡が残る区間を歩く企画などを考えている。

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