死者28人、負傷者1万人超に上った1978年の宮城県沖地震は12日、発生から35年を迎えた。当時、仙台市内の住宅密集地ではブロック塀や石塀が相次いで倒壊し、死傷者が膨らんだ。都市直撃型の災害はその後の都市防災の原点となり、宮城県や県内自治体は12日を「防災の日」と定め、各地で防災訓練を実施する。
地震は午後5時14分に発生。当時の震度基準で大船渡、石巻、仙台、新庄、福島で震度5を記録した。死者は宮城が27人、福島が1人。このうち18人は倒壊したブロック塀や石塀、門柱の下敷きになった。仙台市の新興住宅地は地盤崩壊で甚大な被害が発生した。
東日本大震災前、宮城県沖地震は37.1年間隔で発生し、30年以内の発生確率は99%とされていた。政府の地震調査委員会はことし1月、宮城県沖で繰り返し起きる地震の発生確率について、震災の余効変動の継続を踏まえ「不明」とした。
宮城県沖地震の体験人口は年々減少している。4月1日現在、仙台市内で地震後に生まれた35歳未満の人口は約39万人。全体の4割に達し、教訓の風化が懸念される。
宮城県は12日、総合防災訓練を実施する。過去最多の104機関、約3000人が参加する予定。仙台市も大規模地震と津波災害を想定した訓練を全市で開催する。