尊敬すべき経営者が「350億円をネコババ」…誰もが驚愕した日産会長の大罪《西川廣人元社長手記の中身》

高度成長、バブル、経営危機、V字回復、そしてゴーン逮捕──カルロス・ゴーン会長のもと、日産社長を務めた男はそのとき何を考えていたのか? 元・日産社長による衝撃の回顧録『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』が5月15日に刊行される。赤裸々に明かされる白熱の手記の中身を明かそう。グローバル化の渦中にいる全ビジネスマン必携の書だ。(文中敬称略) ———- 【写真】GSとリーマン 投資ファンドを手玉に取った日本人がヤバすぎる

350億円以上を横領したカルロス・ゴーンの金欲

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 2018年11月19日、カルロス・ゴーンは東京地検特捜部に逮捕された。容疑は金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)だ。ゴーンはどんな不正を犯し、当局に捕縛されるに至ったのだろう。  日産の元社長・西川廣人の手記『わたしと日産』から、ゴーンが手を染めた日産資産の私的流用についてご紹介しよう(日産の社内調査報告書による)。  〈まずゴーンは「将来性のある技術に投資する」との名目でオランダに投資会社「ジーア社」を設立させ、同社の資金約二千七百万ドルをブラジルやレバノンにあるゴーン個人の豪華邸宅の購入費用などに充てていた。  さらに二〇〇三年から十年以上にわたり、実体のないコンサルティング契約に基づいてゴーンの実姉に計七十五万ドル超の金銭を支払っていた。  このほかにも会社所有のコーポレートジェット機をゴーンの家族が私的に利用していたこと、業務上必要ないにもかかわらずレバノンの大学に二百万ドル超の寄付金を会社資金から支出していたことなども【※日産の社内調査報告書は】報告している。  傘下に収めた三菱自動車との合弁で設立した会社から二〇一八年四月以降、取締役会の決議を経ずに給与などの名目で七百八十万ユーロを受領していたことも不正と断定された。  ケリー【※日産のグレッグ・ケリー代表取締役】についても海外関連会社を通じて受領した報酬の非開示などの開示義務違反があったと認定している。  同報告書で最も重要といえるのは次のくだりである。ここに引用しておきたい。  「有価証券報告書における開示を回避しつつゴーンが受領しようとしていた報酬は推定で総額二百億円以上に上り、しかもその一部はゴーンに支払い済みである。また、役員報酬の名目以外にゴーンが日産に現に不正に支出させ、あるいは支出させようとしていた金額は少なくとも合計百五十億円に上る。  以上のとおり、ゴーンらの一連の不正の規模は全体で約三百五十億円以上という極めて巨額のものとなる」〉(『わたしと日産』50~51ページ)

ゴーンの不正が長らく発覚しなかった理由

 カルロス・ゴーン本人に巨額のキャッシュが送金され続け、ゴーンの家族にまでカネが流れていたにもかかわらず、なぜ日産ともあろう巨大企業が不審なカネの流れに気づかなかったのだろうか。  〈ゴーンの不正はなぜ長年発覚しなかったのか。私も含めた他の取締役はなぜ気づかなかったのか。数多くの外部の方々から日産のガバナンスに問題があったのではないかとの指摘を受けた。そうした疑問を持たれるのも当然だろう。当時の取締役会が経営者の監視という機能を十分に果たせなかったとの指摘も全くその通りだと思う。歴代の取締役と共に、私も大いに責任を感じている。  取締役会や経営会議で数々の提案や議論に接してきたが、そうした不正の気配は微塵も感じなかった。しかし実際には数々の不正がゴーン自身と彼の少数の側近の下、長年にわたって水面下で行われてきたのである。だからこそ発覚しなかった。私を含めて他の多くの役員や社員には全く分からなかったというのが嘘偽りのない事実である。  とはいえ、悪事はいつか暴かれる。後日明らかになったのだが、ゴーンに代わって二〇一七年四月に私が社長に就任すると、その年度中に経費などに関する内部通報があったようだ。それをきっかけに始まった監査役の調査で一連の不正が暴かれることになったのである。  社長就任から半年後の二〇一七年秋、日本の工場で慣習的に行われていた完成検査の不正問題が発覚した。この長年にわたる不正(ゴーン体制になるはるか以前からの不正だった)がなぜそれまで摘発されなかったのか、日産の役員、社員のすべてが反省することになった。  新社長の私はその反省の一環として、社内に向けて次のように伝えた。  「不審や疑問に思うことがあれば、ためらわずに通報してほしい」  そのメッセージがゴーンの不正に関する内部告発の引き金になったのかもしれない。〉(『わたしと日産』53~54ページ)

「西川廣人社長も同罪だ」と逆ギレ

 前回の記事で触れたとおり「カルロス・ゴーン追放劇は日産社内のクーデターだ」という言説は、根も葉もない陰謀論にすぎない。カルロス・ゴーンの会長職をクビにするという判断は、西川廣人社長にとって断腸の思いだった。  〈私は二十年近くカルロス・ゴーンを上司として仕事に当たってきた。その中で経験し、学んだことは日本の将来にとって貴重な財産であり、彼の後を受けて社長になった自分の使命はゴーンの遺産を良い形で次世代に引き継ぐことだと信じていた。  ゴーンによる日産改革の本質は、伝統的な日本企業を内部から国際化した点にあり、多様性を強みとしていくゴーンのリーダーシップは多くの経営者の模範になるはずだった。  それだけに、彼の不正を知った時、さらに結果として私の手で彼を解任せざるを得なかった時は、信頼を裏切られたことに対する怒りと同時に、なんともいえないやるせなさ、むなしささえ感じた。  不正に手を染めていなければ、ゴーンがあんな形でビジネスシーンから退場する必要はどこにもなかったのだ。  今でも複雑な思いが残っている。先にも述べたが、特にゴーンが逮捕された当初、私にとっては心外な見方が海外を中心に広がった。  「これは日産社内のクーデターである」 「サイカワの裏切りである」  そもそもゴーンの不正がなければ私が会長の解任に動く必要はなかったわけで、裏切りなど言語道断である。ゴーン事件は私も含めて関係する誰にとっても大きな悲劇だったといえる。〉(『わたしと日産』60ページ)  こうした西川社長との思いとは裏腹に、ゴーンは不正を居直って西川社長への逆ギレ発言を放言してきた。  「私が有罪ならば、サイカワも同罪である」(『わたしと日産』55ページ)  かつて尊敬すべき経営者だったゴーンは、もはや西川社長の手の届かない彼方へと離れていってしまった。  (文中敬称略/「元・日産社長が証言 カルロス・ゴーンが私に託したアドバイス」へ続く)

西川 廣人(元・日産自動車社長兼CEO)/現代ビジネス編集部

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