小山田圭吾炎上騒動に学ぶ、企業担当者が「ブラック著名人」とのコラボを避ける方法

3日後に控えている東京オリパラ競技大会の開会式で楽曲を担当した小山田圭吾氏が、このタイミングで辞任に追い込まれた。

 過去に雑誌のインタビューで、障害者いじめを「武勇伝」として語っていたことが蒸し返され、ご本人も謝罪文を発表して組織委員会も「問題なし」と留任していたが、今回の炎上まで小山田氏が反省や償いの姿勢を見せていなかったことなどを問題視する声が相次いだのだ。

 また、障害者団体が声明を出し、海外メディアでも大きく報じられ始めたことも大きかった。数十年前のセクハラやパワハラを告発された、ハリウッドスターや大物プロデューサーが謝罪に追い込まれているように、海外では人権問題に「時効」はない。お隣の韓国でさえ、人気俳優が学生時代のイジメを告発され、ドラマを降板させられている。

 「イジメくらいでいつまで叩くのはどうかと思う!」「これくらいのヤンチャは誰でも経験がある、再チャレンジの機会を!」なんて擁護(ようご)の声もあがったが、これは世界的にはかなり「異常」だ。森氏の女性蔑視発言問題、タレント渡辺直美さんの容姿蔑視発言問題などに続いて、日本の「人権軽視カルチャー」を世界に発信することになっている。

 TOPスポンサーであるトヨタ自動車がテレビCMの見送りを決定するほど、五輪のイメージは悪化しているが、小山田氏の炎上はそれにトドメを刺した形となったのだ。

 一方、そんな五輪直前の大炎上を前に、「とても他人事とは思えない」と身震いしている方もいるはずだ。芸能人を広告に起用したり、アーティストなどとコラボ企画を立案したりする企業の担当者である。

 今回の小山田氏のように、その世界では第一線で活躍して、仕事ぶりも高く評価されているが、過去にさかのぼってみれば、常識に照らし合わせるととんでもない不祥事を起こしていたり、社会通念上看過できないような不謹慎な言動をしていたりという「黒歴史」のある芸能人やアーティスト、つまり「ブラック著名人」は少なくない。

 そんなヤバい相手と気付かないうちに、自社の広告キャラクターやコラボ相手として起用してしまわないか、と不安は抱える担当者はかなりいるのだ。

●組織委員会という「組織」の欠陥

 では、どうすれば「ブラック著名人」トラブルを避けることができるのか。まず、「身体検査」がもっとも有効なのは言うまでもない。CMやコラボ先の候補として名前が挙がった段階で、過去のスキャンダル、ネットやSNSでどのような評判・風評があるのかをチェックする。自分たちでやっている暇がないのなら、外部に頼んでもすべきだろう。

 ただ、これは言うは易しで、現実に行っている企業・団体は意外と少ない。実際、組織委員会もやっていなかった。

 会見で、武藤敏郎事務総長は、今回の炎上まで、小山田氏の過去を知らなかったと説明している。2ちゃんねる開設者のひろゆき氏によれば、ネットで話題になるのは「3回目」だそうで、サブカルチャー界隈などでは以前からかなり有名な話だったというのだから、それを把握していないということは、組織委員会側がまったく小山田氏の「素行チェック」をしていなかったことを示している。

 「身体検査がなくても職員が4000人もいるのだから、誰かしら『小山田圭吾はまずいだろ』と指摘するはずだろ」「責任逃れでうそをついているのでは」――。そんな声が聞こえてきそうだ。筆者も同じ疑念を抱かざるを得ないが、一方で、この手の不祥事対応に実際に協力をした経験もある立場から言わせていただくと、巨大組織になればなるほど、こういう「チェック漏れ」が発生してしまうのも事実なのだ。

 ネットやサブカルというその筋の人間からすれば、小山田氏が「障害者いじめ自慢」をしていたのは常識だが、五輪の開閉会式を担当している人々の頭の中は、国際的にも評価されるアーティストをいかに起用して、いかにしてセレモニーを盛り上げるかといったことで一杯だ。だから、小山田氏が起用された際に、「身体検査」をするといった発想すら芽生えなかったのではないか。

 そんなバカなことがあるわけがない、という意見もあろうが、組織委員会という「組織」の致命的な欠陥をみていると、こんなバカなことも十分起きてしまうのではないかと思う。

●「多様性」を軽視した体制

 では、その致命的な欠陥とは何かというと、「多様性」を軽視した体制となっていることだ。

 東京オリパラ競技大会には、「全員が自己ベスト」「多様性と調和」「未来への継承」という3つの基本コンセプトがある。企業でいうところの、理念、フィロソフィー、ミッションに近い、「われわれはなぜ五輪をやるのか」といった、そもそもの存在意義にも通じるほど大切なものだ。

 この中でも「多様性と調和」が非常に重要であることは言うまでもない。IOCも「インクルージョン(包摂)、ダイバーシティ、平等はIOCのあらゆる活動の核心的な要素であり、差別禁止はオリンピック・ムーブメントの主要な柱です」と声明を出している。

 では、オリンピックの「心臓」といってもいいこの「多様性と調和」を組織委員会の中で推進しているのは誰かというと、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)推進ディレクターの茅和子氏だ。

 ヤフージャパンの東京オリンピック・パラリンピックガイドの7月7日の企画記事『【大会組織委員はどんな準備をしている?】東京オリパラ ダイバーシティ&インクルージョン推進ディレクターが目指す、どんな人も楽しめる大会から始まる社会貢献」』によれば、2018年4月に着任した茅氏は、今日にいたるまで「多様性と調和」を目指して尽力をしてきたことがよく分かる。

 ワーキンググループを結成し、外部アドバイザーを招いた意見交換などを繰り返し、ダイバーシティ&インクルージョンを成功させたというロンドン五輪の担当者も招いて、徹底的に何をすべきかと考えた結果、『Know Differences, Show Differences. ――ちがいを知り、ちがいを示す』というアクションワードにたどり着いた。また、組織委員会がボロカスに叩かれた例の騒動についても以下のように言及している。

 「組織を代表する立場である、森前会長が女性蔑視ととれる発言をし、大きく報道される中でD&Iという言葉を職員みんなが思い出し、その重要性を改めて感じることができたのは事実です」(同上)

●意見が言えない組織

 しかし、改めて感じた結果が「これ」だ。壮絶な障害者いじめをしていた過去のある小山田氏をノーチェックで起用して、全世界に「日本では障害者をいじめても、世間で叩かれるまでは謝罪しなくてセーフ」というダイバーシティ&インクルージョンを嘲笑うかのような真逆のメッセージを発信してしまっている。

 厳しい言い方だが、これまでの努力がまったく報われていないのだ。

 というと、なにやら茅氏を個人攻撃しているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりは毛頭ない。この人に、この大会が「多様性と調和」というコンセプトから逸脱していないかなどチェックをしろというのはかなりの無茶な要求だからだ。外部から見る限り、茅氏の立場ではその「権限」がないのだ。

 組織委員会のWebサイトにある「組織図」をご覧になっていただきたい。事務方トップである、武藤敏郎事務総長(CEO)の直轄部署として、「パラリンピック統括室」「セレモニー室」「聖火リレー室」「ゲームズ・デリバリー室」などの部署が並んでいるが、「ダイバーシティ&インクルージョン推進」はどこにもない。

 武藤氏と並ぶ、副事務総長や、チーフ・セキュリティ・オフィサー(CSO)、役員室長、スポーツディレクターなど幹部の並びの中にも、「ダイバーシティ&インクルージョン推進ディレクター」という役職は見つけられない。

では、IOCが「あらゆる活動の核心的な要素」と位置付けるダイバーシティ&インクルージョンの推進ディレクターはどこに入るのかというと、組織図の中で幹部たちの集団から分離された形で並んでいる管理部門。実はさまざまなインタビュー記事を見る限り、茅氏の肩書きは「総務局 人事部 D&I推進担当 ディレクター」となっているのだ。

 企業にお勤めの方ならば、筆者が何を言わんとしたいかもうお分かりだろう。営業部やマーケティング部がコツコツと進めてきたプロジェクトに対して、人事部の部長が「ちょっとそれダイバーシティーの観点から問題だから白紙に戻してくれる?」なんて口出しをすることができるだろうか。できるわけがない。会社によっては、そもそも人事部にそのような情報すらあがってこない可能性さえある。

 組織体制の細かな違いはあれど、「総務局人事部D&I推進担当ディレクター」も同じではないか。組織委員会という巨大組織の中で、セレモニーを担当する人々が、さまざまなアーティストたちと水面下で交渉を続けているところに、いちいちダイバーシティ&インクルージョン推進の担当者に人選などでおうかがいを立てるだろうか。逆に、もし情報が共有をされていたとしても、人事部が首を突っ込んで「ネットやSNSで障害者いじめの過去が指摘されているから小山田圭吾はNGね」なんて意見が言えるだろうか。

●起こるべくして起きている

 できるわけがない。なぜこんなことが断言できるのかというと、実は筆者も似たような経験があるからだ。もうかなり昔になるが、ある企業から、新しいテレビCMを検討しているので、どのようなリスクがあるのかを評価して、炎上した際のコメントなどの対策をたててほしいという依頼があった。

 起用をしているタレントを調べたら、SNSで悪い話が流れていて、炎上までいかずともブスブスと燻(くすぶ)っていたことが分かった。そこで担当者にすべて報告して、最も安全なのは、違うタレントを起用することだと進言した。しかし、結局そのタレントでCMは放映された。筆者が進言したものの、広報部でタレントのキャスティングを覆すほどの「権限」がなかったのだ。

 その後、案の定というか、このCMはネットで叩かれ、「なぜあんなタレントを起用するのだ」と企業も批判された。外部の専門家も「情報収集ができていない」「危機意識が乏しい」などと指摘をしたが、実はこの企業の真の問題はそこではない。セクショナリズムがまん延して、組織全体のリスクを指摘して改善するような「権限」を誰も持っていなかった点なのだ。

 このように「危機に弱い組織」は、往々にして広報や総務といった管理部門が弱いケースが多い。逆に、社長直轄の広報や秘書が危機管理を担うような組織は、不測の事態にも対応できる。

 組織委員会が前者であることは言うまでもない。「多様性と調和」という「五輪の魂」とも言うべき重要な要素をチェックする部署、責任者は本来ならば、武藤事務総長の真横にあってもおかしくない。しかし、総務局人事部という、取ってつけたと勘違いされてもおかしくないようなポジションに冷遇されている。

 こんな論理破綻した組織で、「多様性と調和」「差別禁止」が実現できると考えるのは虫が良すぎる。「呪われた五輪」と皮肉られるほど、組織委員会には人権関連の不祥事が多発しているが、それらはみな起こるべくして起きているというわけだ。

●危機管理の本質とは「組織づくり」

 危機管理というと、専門家は「会見をすぐに開くべき」とか「おじきの角度が甘い」とか「トップのメッセージが響かない」などとコミュニケーションの問題を声高に叫ぶが、これまで多くの不祥事企業に関わってきた経験から言わせていただくと、それはあくまで表面的な問題に過ぎない。

 不祥事が多発するのは、組織が何を大切にすべきか、優先すべきかを見失っているからだ。では、なぜ見失ってしまうのかというと、組織の体制がそうなっていないからだ。組織が最も優先しなくてはいけないことを担当する人々に「権限」を与えていないのである。つまり、危機管理の本質とは、「組織づくり」なのだ。

 組織委員会はそれに失敗した。本来の目的であるはずの「多様性と調和」を総務預かりにして軽んじたことによって、イベントの商業的成功を目的として著名人を起用したり、ムードを盛り上げる仕掛けを考案したりというセクションが主導権・決定権を握って、そのような面ばかりがゴリ押しされる。それがコロナ禍の国民には一層、不快に映るのだ。

 おそらく、組織委員会の不祥事はまだ続くだろう。民間企業の皆さんはぜひともこの「大切なことを見失った組織」を反面教師として、なんのために自分たちはこのビジネスを進めているのか、誰のために会社を存続させているのかという目的に立ち戻った「組織づくり」を心がけていただきたい。

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