小池都知事、「安全だが安心ではない」の欺瞞 「情」に乗じて扇動する手法には限界がある

築地市場の豊洲への移転問題が紛糾している。小池百合子東京都知事は「豊洲は安全だが、安心ではない」という論拠で、移転を棚上げにしているが、なぜ「安全」は「安心」に勝てないのか。まるで「安心」を“人質”にとって移転へのコマを1歩も進ませまい、としているかのような小池知事。その根底にある「確信」とは何なのだろうか。

盛り土問題に端を発し安全性に疑問符が付けられてきた豊洲市場。3月18日には、地下水モニタリングの再調査で、環境基準の最大100倍のベンゼンが検出され、再び不安が高まっている。しかし、その地下水を利用することはなく、土壌の上にコンクリートが敷き詰められているため、小池都知事も「土壌汚染対策法や建築基準法など法的には安全」という認識を示している。ただ、「地上と地下を分けるという考え方を消費者が理解してくれるか」などと述べ、豊洲移転に対しては慎重な考え方を貫いている。

「安心」とは何か

そもそも、ガス工場跡地で、有害物質の存在は取りざたされてきたが、コンクリートやアスファルトで覆われ、安全性に問題はない、それが多くの専門家の見解である。

他方、築地市場も戦後、進駐軍のドライクリーニング工場などがあったため、土壌汚染の可能性もあるだけでなく、老朽化しており、耐震性やアスベスト、衛生面などでさまざまな問題が指摘されている。しかし、小池知事は「築地は土壌がコンクリートで覆われており、安全安心だと宣言できる」と言い切る一方、豊洲については、「法令上の安全性は確保されていても、安心とは言えない」との主張を変えていない。

ここでいう安全とは科学的、法的な安全性のことだが、「安心」とは何か。小池知事はこう述べている。「法律が求める安全性の確保、それに加えて、都民、そして国民が安心できる市場を実現するということ。法的な問題については法令を上回る措置を講じるということが東京都の意志」「消費者の理解と納得を得たとき、安心は確保されるもの」。つまり、安全が「客観的なデータやファクト」であるのに対し、安心とは都民や国民の感じる「主観的な感情」ということになるだろう。

筆者は小池知事が出馬したときから、ずっとその卓越したコミュニケーション術(都知事選「小池圧勝」は”対話力”で説明が付く)に注目してきた小池ウォッチャーなのだが、今回の小池氏の一連の動きもそうした文脈で見るとたいへん、興味深い。

非科学的で、論理性に欠いていると批判される言動も、彼女の中の「確信」に基づくものと見えるからだ。それは人間の本能的欲求に対する彼女なりの洞察、もしくは直感といっていい。

その洞察とはたとえば、(1)人はロジックではなく、エモーション(感情)で決断をする、(2)人は基本的に変化を恐れる、(3)人は「制裁」欲求を持つ生き物である、といったようなものだ。人のこうした根源的欲求を理解したうえで、あえて大胆な「賭け」に出ているのではないかと思えるのだ。

人はエモーションで決断する

1つ目の「人はロジックではなく、エモーションで決断をする」。これはまさに、小池知事の「安全であっても安心ではない」という言葉の裏側にあるものだ。すなわち、人の決断は、客観的事実(ロジック)である「安全」ではなく、主観的感情(エモーション)である「安心」によってより大きく影響を受ける、ということを指している。卑近な例でいえば、いかに健康に悪いとわかっていても、辞められないたばこ、なかなかできないダイエット、などもこれにあたる。頭ではわかっている。ただ、体や心がついていかない、そういう経験は皆さんもたくさんお持ちだろう。

これは、脳科学の視点からも実証されている。脳に障害があり、ロジカル(論理的)な判断はできても、感情を感じられない患者は、決断そのものができないことがわかったのだ。

アメリカのトランプ大統領の劇的勝利も、怒りや恐怖という感情が有権者を駆り立て、決断へ導いたことが原動力となった。エビデンスやデータをそろえ、ロジックをどんなに積み上げても、人を説得できないということはよくある。

人間の意思決定メカニズムに徹底的に迫った、ノーベル経済学者、ダニエル・カーネマンによれば、人の脳の中には「非常に高速で直感的に物事を判断するシステム1」と「合理的な判断をするがスピードのゆっくりしたシステム2」があるが、人はシステム1に頼った直感的・感情的判断をしがちである、と指摘している。つまり、合理的・論理的決断よりはエモーションに基づいた直感的決断が勝ることが多いということだ。

だから、盛り土をしていなかった、有害物質が〇〇倍、といったファクトに対し、合理的な分析や評価をするよりは、直感的にリスクを絶対化し、極度に不安視してしまう傾向があるということだ。農薬などの化学物質や遺伝子組み換え作物、予防接種、さらには地球温暖化まで、科学的に実証されたものであっても、その安全性や妥当性に疑義を唱える人はなくならないのもこうした脳の特質が関連している。

 2つ目のポイントは「人は基本的に変化を恐れる」ということだ。「築地市場は現に営業を行っている。多くの市場関係者が胸を張って日々働いていて、築地市場は法令上安全で、都民の絶大な信頼を得ているという2つの意味において安全・安心だと思う」「(築地は)現に今日も営業している。消費者の安心の証明だ」「商売をやっておられる方々には、その辺のところを、いちばん、最近の流れからいっても、気を使われるところなのだろうと思います。ましてや、生鮮食料品を扱う市場だということがポイントだと思っております」。

小池知事は「築地推し」を続けているが、上記の発言を見てもわかるように「市場関係者」の意向をよく言及する。実際に、2016年4月に「築地市場・有志の会」が約600の水産仲卸業者に行ったアンケートでは、回答した業者の8割以上が「豊洲移転計画の撤回・延期」を求めていたという。

そもそも、新しい土地への移転といった劇的な「変化」に対し、人は抵抗を覚えるものだ。「長らく存在してきたもの」には愛着は持てるし、信頼はできるが、未知のものに対しては、心配と不安を感じやすい。企業においても、新しい制度や改革などに反発が出るケースが多いが、これまで、営々と続けてきた習慣や慣習、暮らしや営みを離れることに感じる人の「痛み」と「恐怖」は相当なものなのだ。

欧米の多くの社会心理学の実験によっても、「長らく存在してきたもの=善」と見なす傾向は顕著に出ている。小池知事はこうした心理を突き、すでにそこに存在し、目に見えている「築地」は「安心」で、まだよくその実態が見えない「豊洲」は「安心ではない」という単純化した図式を見せている。

人は制裁欲求を持つ生き物

3つ目のポイントである「人は『制裁』欲求を持つ生き物」については過去の記事(熊本地震に「不謹慎叩き」が蔓延する真の理由)をお読みいただきたいが、人間はまったく自分が被害者ではないのに、第三者の振る舞いや行動に対し、腹を立てて、制裁を加えようとする「Third party punishment」(非当事者による制裁)といわれる欲求を持っている、といわれる。

小池知事はオリンピックの会場見直しや今回の豊洲問題などを通じて、前任者の行為や決断の問題点や落ち度を洗い出すことに多くの時間を割いてきた。「肥満都市」「もやもや感」「頭の黒いネズミ」……。彼女の繰り出す言葉の数々は、これまでの施策・施政をチクチクと批判し、都民の義憤を駆り立てるレトリックに満ちている。シンプルな勧善懲悪の絵を描き、人々の「制裁欲求」を刺激する。

小池知事は常々、その信条を「共感と大義」であると表現している。人々の本能的欲求に寄り添い、「理より情」にアピールし、わかりやすい「正義」を掲げる――。「小池劇場」のシナリオはある意味、「人は理不尽である」という「理」にかなった戦法といえるのかもしれない。しかし、人の「情」に乗じて、扇動する手法には限界があるし、人々は「安心」をうたいながら、「風評」を作り上げるやり方の欺瞞に気づき始めている。「安全」と「安心」の折り合いをどうつけるのか、今まさにその手腕が問われている。

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