「原子炉が起動しました」。予定通りの午前10時30分ちょうど。核分裂反応を抑える制御棒が引き抜かれ、止まっていた原発がついに動き出した。 11日に再稼働した九州電力川内(せんだい)原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)。東京電力福島第1原発事故を経験した日本の原子力政策の大きな節目となっ たこの日を、地元住民らは期待感を持って迎え、原発関係者らは「二度と事故は許されない」と気を引き締めた。
「起動前準備が整いました」。午前10時23分、川内原発の中央制御室。運転操作員がそう告げ、発電所内には「ただ今から、1号機原子炉を起動します」との放送が流れた。
緊張感が張り詰めた午前10時半、操作員が制御棒を操作するレバーを動かした。これを受けて当直長が「起動」を宣言した。
制御室の様子は川内原発から離れた九州電力の事務所内の中継モニターで報道陣に公開された。
起動後、取材に応じた川内原子力総合事務所の古城悟所長は「トラブルがないように慎重の上にも慎重に行いたい」と話した。
「ようやく日常が戻った」。薩摩川内市の中心部で民宿を営む永井康太郎さん(66)。再稼働の朝を安堵(あんど)の気持ちで迎えた。
13カ月ごとにある川内1、2号機の定期検査の際は、約1200人の原発関係者が市内のホテルや民宿を拠点に原発に通う。永井さんの民宿でも客の7割は原発関係者。検査時の稼働率は9割を超えていた。
しかし福島の事故後に1、2号機の運転が停止し経営は一気に傾いた。稼働率が1割に満たない日も珍しくなく、土地と車を売って何とか廃業を逃れた。
原発立地で活性化した街の経済は、ひとたび原発が停止すれば大きな打撃を受ける。市は1、2号機の運転停止後の平成24~26年度、緊急経済対策として計 約1億2千万円の予算を組んで商業振興を図ったが、街に活気が戻ったのは再稼働に向けた安全対策工事が始まってからだった。
永井さんは「街は原発中心の産業構造でやっていくと決めた。地域経済のことを考えれば再稼働の時期は遅いくらいだ」と訴えた。
一方、川内原発のゲート前では早朝から全国各地の再稼働反対派が集結し「制御棒を抜くな」と抗議。警察官とにらみ合いになり、緊迫した雰囲気に包まれたが、そうした喧噪(けんそう)を冷めた目で見る住民もいた。
地元で雑貨店を経営する神崎侯至(こうし)さん(62)は「われわれは原発があることを受け入れて生活していくだけだ」と語った。