巨人・原監督も約束、球児救済トライアウト「どうか、自分を高める材料に」

巨人・原辰徳監督(61)が21日、夏の甲子園の中止決定を受けてコメントを発表。「救済トライアウト」の実現を約束した。プロ野球側は、今秋にプロ志望届を提出した高校生を対象として合宿形式のトライアウトを検討中。高校時代は東海大相模高のスターとして甲子園を沸かせた指揮官は、球児救済と球界発展のためにバックアップを惜しまない。

 球児を救いたい−。原監督が決意を口にした。この日、悲嘆にくれる高校生に対し、プロ野球を代表して力強いメッセージを発信した。

 「何か披露する場所というか。プロ野球にはトライアウトというルールがあるんですけれども、金の卵を何とか発掘しようという。そういう場所を作るということは、高校生には強く約束をしたいと思っております」

 前日20日に戦後初となる夏の甲子園中止が決定。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためとはいえ、夢舞台を目標にしてきた全国の球児にはあまりにも悲しいニュースだった。特にプロ入りを目指す3年生はアピールの場も消滅。そこでプロ側が考えたのが「救済トライアウト」だった(5月21日付本紙)。

 プロ志望届を提出済み選手を対象として、今秋に2泊3日前後の合宿形式で行うことが有力。ドラフト指名を狙う高校生にとっては大きなチャンスとなるうえ、視察の場を失ったスカウトにとってもメリットは大きい。プロ、アマの垣根を越えた球界全体の発展を願い、日ごろから学生野球に対しても球数制限やDH制の導入などを提言してきた原監督もこのプランに賛同し、「どうか、自分を高める材料として大いに発奮してもらいたい」と訴えた。

 自身は東海大相模高時代に父・貢さんとの「親子鷹」で春夏4度の甲子園に出場。2年時の1975年の選抜大会では準優勝を果たした。今でも高校野球は「すべてと言っても過言ではない」と強い思い入れがある。

 今回の中止には胸を痛め、「率直に非常に残念。ただ、まだまだ人生、野球をスタートしたばかり。すべて途上にあるということ」とエールを送った。永遠の若大将は若武者たちの挑戦を待っている。(伊藤昇)

★原監督と甲子園

 東海大相模高で夏の甲子園大会に3年連続出場。1年の1974年は準々決勝・鹿児島実戦に「5番・三塁」で先発し、巨人で同僚となる定岡正二から3安打を放ったが、延長十五回の末に敗退。2年の75年が8強、3年の76年は2回戦で敗れた。選抜大会は2年だった75年に出場し準優勝。決勝の高知高戦では「3番・三塁」で先発し、甲子園初本塁打を含む3安打をマークした。甲子園通算成績は12試合に出場、打率・385(52打数20安打)、1本塁打、10打点。

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