希望の大輪きらめく 夜空に4500発 石巻川開き祭り

 石巻川開き祭り(実行委員会主催)は1日夜、東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興への願いを込めた花火大会が宮城県石巻市内で行われた。「祈り」と「希望」をテーマに、被災地の夜空に色鮮やかな大輪の花が咲き誇ると、見物人の間にはため息と歓声が交錯した。
 旧北上川に浮かぶ中瀬公園が打ち上げ場所となり、周囲には多くの市民が詰め掛けた。大会には全国から支援が寄せられ、新潟県中越地震の復興のシンボルとなった花火「フェニックス」の縮小版など計約4500発が次々と打ち上げられた。
 例年は東北最大級の花火大会として同市開北の河川敷で約1万6000発を打ち上げていたが、ことしは規模を大幅に縮小、近隣に仮設住宅があることから会場を移して実施した。
◎煙火部長、支援を力に打ち上げ/「石巻、きっと復活」
 大輪の花火が打ち上がると、歓声が沸き上がった。1日夜、石巻市で行われた石巻川開き祭り。「多くの人の助けがあってできた。やってよかった」。花火部門の責任者「煙火部長」を務める電話工事会社社長相沢清悦さん(63)は感慨深げだった。
 東日本大震災の津波で、石巻市は広範囲にわたって水没した。同市の死者、行方不明者は4000人を超し、今なお約3400人が避難所暮らしを強いられている。
 旧北上川河口に近い湊地区にある相沢さんの自宅兼会社も津波にのまれ、家族と共に高台の幼稚園に逃げた。一時は500人が身を寄せた避難所で、食料確保や病人搬送に奔走した。
 震災から数日後、つながり始めた携帯電話に着信履歴が残っていた。「全国花火サミット」に加盟する縁で親しくしていた長野県諏訪市の山田勝文市長(60)からだった。
 「今から職員を派遣したい。必要な物資を教えてほしい」。思いがけない支援の申し出だった。十分な対応ができずにいた石巻市との橋渡し役になって物資を受け入れ、3度にわたる諏訪市への2次避難の世話役も務めた。
 祭りの開催は3月末に決まった。もともと、川や海で亡くなった人々の鎮魂を願って始まった。開催に難色を示す声もあったが、相沢さんは前向きだった。
 祭りに携わって20年、煙火部長として約10年、祭りへの愛着は人一倍ある。何よりも「花火は人を元気づけてくれる」との確信があった。ただ、ライフラインの復旧は進まず、街はがれきに埋もれたまま。「果たしてやれるのか」。不安も拭えなかった。
 祭りの開催が決まると、諏訪市だけでなく、サミット加盟の他団体からも支援の申し出が相次いだ。相沢さんが卒業した湊中の卒業生で首都圏に住む人たちも募金集めをしてくれた。周囲の支えを力に、プログラム作りや関係機関との打ち合わせに当たってきた。
 花火のフィナーレを飾ったのは、新潟県長岡市から贈られた「ミニフェニックス」。新潟県中越地震(2004年)からの復興を願って始まった花火の石巻版だ。「石巻もきっと復活できる」。川面に映る花火を見詰めながら、相沢さんは思いを新たにした。(大友庸一)

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