江戸時代末期の京都大地震や、幕末・維新の激動する京都を60年間にわたり記録し続けた高僧の日記135冊が、真宗興正派の本山興正寺(京都市下京区)で見つかったことが23日、分かった。同派は「日本史の空白部分を埋める貴重な史料」として、楷書体(かいしょたい)に直した上で平成24年中に刊行を始める。
日記は同派の27世門主、華園摂信(はなぞの・せっしん、本寂上人)が、数え年11歳だった文政元(1818)年から、70歳で亡くなる直前の明治10(1877)年まで、天気や食事、京の出来事をほぼ毎日欠かさずつけていた。
京都大地震は愛宕山(京都市右京区)付近を震源とするマグニチュード6・5の直下型地震で、死者は284人を数えたと伝わる。摂信の日記には、発生した文政13(1830)年7月2日、興正寺境内の宝蔵や塀などが倒壊し、宗祖親鸞の像を運び出して野営したことなどが記されている。
さらに数日間は「地動未止」と余震に関する記述があったほか、炊き出しでは握り飯に加え、小麦粉にみそなどを混ぜて焼く京菓子「松風」を出した▽被災家屋を修理する大工が京都で底をつき、大阪から連れてきた▽公家向けの七夕祝儀は例年通り贈るよう言われた-などと記されていた。
原本は草書体で、解読は主に摂信が10代だった8年間と、昭和2年に抜粋して刊行された晩年3年間の一部しか済んでいない。同派によると、摂信は朝廷との結びつきが強かったことから、未解読の部分には知られざる史実が含まれる可能性もあるという。
日記は境内の経蔵や倉庫に散逸していたが、同派の非常勤職員、大原観誠(かんじょう)さん(34)が平成21年に収集。業者に委託して虫食いや紙の貼り付きなどを修復し、楷書体でのデータ入力と注釈をつける作業を23年から本格化させている。
同派は史料価値が高いとして全135冊を出版する計画で、24年中に7冊分までの刊行を予定。藤井浄行宗務総長(68)は「息の長い取り組みになるが、京に住む僧侶の視点で見た幕末・維新の世相を広く知ってほしい」としている。
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■華園摂信(1808~1877)
摂関家の鷹司(たかつかさ)家に生まれる。父は関白の鷹司政通。門跡寺院だった興正寺へ3歳で養子に入り、11歳で門主を継職した。明治維新後は、神道と仏教の合同布教を担う「大教院」でトップにあたる教頭を務めた。明治9年に浄土真宗本願寺派から独立して真宗興正派をおこし、宗門からは中興の祖としてあがめられている