2014年以降、毎年8月のジュネーブ軍縮会議で核兵器廃絶を世界に訴えてきた日本の高校生平和大使の演説が今年は見送られた問題で、高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけていた国は中国だったことが16日、複数の政府関係者への取材で分かった。日本が第2次大戦の被害を強調することを嫌う中国側の思惑があるとみられる。
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政府関係者や本紙が情報公開請求で入手した外務省の公電によると、今年2~5月、昼食会などの場で、中国側が日本側に「スピーチをやめていただけないか」などと要請。「高校生を政府代表団に1日だけ含めるのは問題がある」などと指摘した。
日本側は、被爆体験の継承を訴えて理解を求めたが、中国の軍縮大使が「会議規則違反の異議申し立てもあり得る」と反論した。中国側の主張に同調する国が出てくることへの懸念から、日本政府も見送りに応じたという。
高校生平和大使は例年、日本政府が1日だけ政府代表団に登録する形で、軍縮会議本会議場でスピーチを認められてきたが、核兵器禁止条約が採択された翌月の今年はスピーチが見送られた。本紙の情報公開請求で、ある国の軍縮大使が圧力をかけていたことが判明したが、文書の国名は黒塗りされていた。
中国の習近平指導部は、戦後70年を迎えた2015年を中心に「反ファシズム・抗日戦争勝利70年キャンペーン」を国内外で展開。同年9月には、北京で大規模な軍事パレードを行った。同時に、日本が国際社会で原爆被害を訴える動きに対しては「戦争加害国としての歴史を歪曲(わいきょく)するものだ」と反発してきた。
同年5月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議でも、日本は各国指導者らに広島、長崎の訪問を促す文言を最終文書に盛り込むことを提案したが、中国の強硬な抵抗で実現しなかった。国連総会が同年12月に核兵器禁止を呼び掛ける決議を採択した際も、決議案に当初、盛り込まれた被爆地広島や長崎の惨禍を伝える文言が中国の強い要請で削除された経緯がある。
一方、今年8月のジュネーブ軍縮会議で高校生平和大使のスピーチが見送られた代替措置として、日本政府代表部が現地で開いたレセプションには中国の外交団も参加。高校生3人が各国外交官を前にスピーチし、少人数のグループに分かれて各国外交団と個別で意見交換する場も設けられた。
核兵器廃絶を求める署名を集め、国連へ提出する高校生。1998年、長崎の2人が反核署名を携えて米ニューヨークの国連本部を訪ねたのが始まり。市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が毎春、被爆地の広島や長崎を中心に公募で選ぶ。2013年以降は外務省の「ユース非核特使」の委嘱を受け、14年からは夏に国連欧州本部(ジュネーブ)での軍縮会議本会議場で代表者がスピーチをしてきたが、今年は見送られた。代替措置として日本政府代表部主催のレセプションで、3人の高校生が各国外交官ら約60人を前にスピーチした。
=2017/11/16付 西日本新聞夕刊=