東松島市教委は15日、同市の宮戸島北部にある江ノ浜貝塚で、9世紀(平安時代初期)の製塩炉跡や多量の製塩土器などが広範囲で出土したと発表した。陸奥 国府多賀城が直轄する製塩施設の中核を担っていた可能性が高いという。製塩土器を使い分けるなど製塩の作業工程の一端も明らかになった。
製塩炉跡は4カ所で見つかり、幅10メートルの規模で営まれていた。炉は凝灰岩を用いた石組み炉から、しっくい状の練り物炉へと変遷した可能性が高いという。
壊れた製塩土器片も大量に出土。厚手大型(底径40センチ前後)と薄手小型(15~20センチ)があった。奥松島縄文村歴史資料館の菅原弘樹館長は「作業場所によって製塩土器を使い分けていたと考えられる」と話した。
製塩土器以外では、土師(はじ)器、須恵器など日常的に使う土器をはじめ、釣り針、骨角器、石帯(役人が身に着ける腰帯の飾り)などの遺物も出土した。一定期間、滞在した場所でもあったとみられる。
松島湾沿岸では従来、約140カ所の製塩遺跡が知られている。菅原館長は「江ノ浜は塩作りの中核だったのではないか」とみる。
市教委は「製塩工程が推察できたほか、国府多賀城との関わりを示す貴重な資料が得られた」と話した。
同貝塚は松島湾の入り江に面した標高1~2メートルの砂丘にある。発掘調査は東日本大震災の復旧工事に伴い5月に始まった。現地説明会が17日午前10時半からある。