日本の人口の高齢化は今後もさらに進展するため、厚生年金の積立金が2040年には底をつき、財政破綻する可能性が高いといわれている。しかし、2019年財政検証では、高い実質賃金上昇率を仮定することによって、年金財政が破綻しないとの結論を導いているのだが、この見通しは非現実的としかいようがない。その理由に迫る。『プア・ジャパン 気がつけば「貧困大国」』 (朝日新書)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
単純化したモデルで年金財政の本質を見る
日本では、今後、高齢化が進展し、社会保障財政に大きな問題が生じると考えられる。
ところが、政治家はこの問題に正面から対処しようとせず、様々なバラマキ政策にうつつを抜かしている。そして新しい財政需要に対応する財源としては、ごまかしとしか言えない政策が取られようとしている。これは大変深刻な問題だ。
まず、公的年金の問題を取り上げよう。
年金財政にはさまざまな要素が関連するので、その見通しは容易でない。政府による2019年財政検証は、6つのケースを想定して収支計算を示している。しかし、これでは、いかなる要因がどのように影響するかを判別しがたい。
以下では、もっとも重要なポイントを抜き出して、できるだけ単純化した形で年金財政を考えることとする。こうした方法によってこそ、問題の本質を理解することができる。
最初にゼロ成長経済を想定しよう。すなわち、物価上昇率も賃金上昇率もゼロであるとする。そして、2020年から2040年の20年間を考える。
ある年齢階層での総人口に対する保険料・税負担者と年金受給者の比率は、どの年齢階層でも同一と仮定する。したがって、以下では、保険料負担者数と年金受給者数でなく、人口を考えることとする。また、15〜64歳人口が保険料を負担し、65歳以上人口が年金を受給するとする。
国立社会保障・人口問題研究所の推計(2023年推計)によれば、前記の期間に、15〜64歳人口が0.8倍になり、65 歳以上人口が1.1倍になる。これは、出生中位、死亡中位の推計だ。実際の出生率はこの想定より低くなっているが、2040年頃までの15歳以上人口を考えるかぎり、この数字には、ほとんど影響はない。
高齢化に伴い、給付が保険料収入を大幅に上回る
2020年における保険料総額をCとする。政府は、保険料率を現状より上げないとしている。
国庫負担率も変わらないとすると、2040年における負担総額は、15〜64歳人口が減少するのに伴って、0.8Cに減少する。
一方、2020年における年金給付総額をBとする。そして、2040年における一人当たり年金給付は、2020年と変わらないとする。すると、2040年における給付の総額は1.1Bとなる。
厚生年金の場合、2020年度においては、ほぼCとBが等しい。つまり、収支がほぼバランスしている。しかし、2040年には保険料収入が0.8Cに減少する一方で給付が1.1Bになるので、給付が保険料収入を大幅に上回ってしまうことになる。
マクロ経済スライドだけでは年金財政はバランスしない
将来における年金財政をバランスさせるために導入されているのが、「マクロ経済スライド」だ。
これは、2004年に導入されたもので、一人当たり給付を毎年r%カットする。すると、20年後には、一人当たり給付は、(1-r/100)^20倍になる。
rは約0.9%と設定されているので、この値は、0.83になる。つまり、一人当たり給付を20年間で約2割カットすることが予定されているのだ。
すると、2040年の給付総額は、前述のように1.1Bではなく、1.1×0.83B=0.91Bとなる。
他方、2040年の保険料収入は、前述のように0.8Cだ。したがって、(BとCはほぼ等しいので)依然として給付総額が保険料総額を上回ることになる。
実質賃金が上昇すると、年金財政は大きく好転
以上ではゼロ成長経済を想定した。ここでその想定を変更し、物価上昇率はゼロだが、実質賃金が対前年比で毎年w%だけ上昇すると考えよう。
すると、その年の保険料総額は、ゼロ成長の場合に比べて、w%だけ増える。
他方で、その年の新規裁定者の年金も同率だけ増える。ただし、既裁定者(すでに年金を受給している人)の年金額は影響を受けない。
保険料の増加は、15〜64 歳の人口すべてについて生じることであるから、新規裁定の約50倍の効果があることになる。
つまり、実質賃金が上がることの効果としては、保険料収入が増加することのほうが圧倒的に大きい。そこで、以下では、新規裁定者の年金増加は無視し、保険料総額増加だけを考えることにする。
実質賃金が毎年w%上がると、20年後には賃金は、(1+w/100)^20 倍になる。
w=1%の場合、20年後に現在の1.22倍になる。したがって、20年後の保険料総額は、2020年の0.8×1.22=0.976倍になる。給付は前述のように0.91Bなので、収支は改善する。
2019年財政検証では、不自然に高い実質賃金伸び率を仮定している。ケース1では年率1.6%だ。ケース2からケース4でも、年率1%台を想定している。
年金財政が均衡するという結論になる最大の要因は、このように高い実質賃金上昇率を仮定していることなのだ。
支給開始年齢引き上げが不可避になる
しかし、日本経済の現実の姿を見ると、実質賃金は減少している。
2019年財政検証の際には、この問題が十分議論されることはなかった。
しかし、2022年において大幅な実質賃金低下を経験した日本国民は、実質賃金の見通しに敏感になっている。だから、2024年の財政検証において、2019年の際と同じような虚構を押し通すのは、難しいのではないだろうか?
さらに、実際には、マクロスライドは、これまで十分に機能していない。今後も機能しない可能性が強い。すると、支給開始年齢引き上げが不可避になるだろう。
それは、人々が自力で準備すべき老後資金に、大きな影響を与えることとなる。
きわめて重大な問題なのに、議論されていない
以上をまとめると次の通りだ。
公的年金の財政見通しに影響を与える要因としては次のものがある。
第1は保険料・税の負担者数と年金受給者数だ。これらは、年齢階層別の人口によってほぼ決まる。そして、2040年までの期間に関するかぎり、もはや動かすことができない。
ゼロ成長経済を想定し、一人当たり給付が現在と変わらないとすると、20年後の給付総額は、保険料総額を大きく上回る。
第2の要因は、マクロ経済スライドだ。これによって一人当たり年金額が削減される。ただし、これによっても20年後の収支バランスは達成できない。
第3の要因は実質賃金の上昇率だ。年率1%程度の上昇が実現できれば、収支バランスが実現できる。
2019年財政検証は、高い実質賃金上昇率を仮定することによって、年金財政が破綻しないとの結論を導いているのだ。
しかし、この見通しは非現実的である。しかも、マクロ経済スライドの実施には、物価上昇率が0.9%を上回ることが必要だ。この制約があるため、これまでも機能しない年が多かった。今後もそうなる可能性がある。
すると、受給開始年齢の引き上げが必要とされる可能性が高い。
仮にそうなると、個人が自己責任で用意すべき老後資金の額は増大する。その影響はきわめて大きなものとならざるをえない。
これがきわめて重大な問題であるにもかかわらず、政府はこの問題を取り上げようとしない。野党も問題にしないし、マスメディアも問題としない。
しかし、この問題に正面から向き合わねばならない日が、いつか訪れるだろう。
文/野口悠紀雄 写真/shutterstock