緊急事態宣言に伴う休業や外出自粛の効果もあってか、新型コロナウイルスの新規感染者数が減少し始めている。
感染拡大「第2波」への警戒感はあるものの、新型コロナウイルスの感染拡大によって、仕事が減ったりして収入が減った就業者が多数出ている。では、年金生活者には現在、どんな影響が出ているのだろうか。
■インフレ下で公的年金はどうなる
公的年金は、新型コロナウイルスにかかわらず、制度にのっとって自動的に給付されており、金額が目減りすることもない。加えて、就労者にも年金受給者にも、1人当たり一律10万円の特別定額給付金が支給される。
そういう意味で、世界的なパンデミックがあっても、公的年金は今のところ微動だにしていないが、今後も盤石で安泰かというと必ずしもそうではない。当然ながら「国破れて年金在り」、つまり経済がガタガタになっても年金だけは生き残ることはない。
今後インフレになるか、それともデフレが継続するかによって年金の状態は変わってくる。現状、デフレが継続するとの見方が多いとはいえ、「コロナ後の過剰流動性がもたらすインフレ圧力」で記したように、今回は通常の景気後退期とは異なり、デフレの継続は自明ではない。
企業の資金繰り支援などのため流動性の追加供給がある中、国際的なサプライチェーン寸断による供給制約がコロナ後も続くと、インフレ圧力が生じうる。仮にコロナ後に経済がインフレ(といってもハイパーインフレではない)に転じた場合、公的年金はどうなるのだろうか。
公的年金財政にとってインフレは好都合である。2004年の小泉内閣期の年金改革によって、年金積立金は100年間かけて少しずつ取り崩し、若い世代や将来世代の年金給付の財源に充てることになった。その結果、わが国の公的年金は、年金積立金を持っているが、現役世代が高齢者を支える賦課方式の色彩が強い制度になった。
賦課方式の年金制度にとって人口減少は不利になるが、インフレはヘッジしやすい。なぜなら、高齢者の年金の原資に同じ時代に生きる現役世代の年金保険料を充てるため、その時々の貨幣価値で保険料負担と年金給付ができるからだ。
しかし、積立方式だと、積み立てた保険料をインフレをヘッジしながら運用しなければならない。例えば、支払った保険料を国債で運用すると、物価が上昇する分だけ元本は目減りする。もちろん、物価上昇分を金利に上乗せするように運用すればインフレをヘッジできるのだが、当然のようにヘッジできるわけではない。
■年金受給者にとって有り難くないインフレ
日本の公的年金制度は賦課方式の色彩が強く、給付と負担の世代間格差が生じやすい。一方、インフレをヘッジしやすい点で若い世代にとっては好都合の仕組みである。
ただ、今の年金受給者にとって、このインフレはありがたくないかもしれない。それは、給付と負担の世代間格差を是正するために設けられた「マクロ経済スライド」の影響を受けるからである。制度の詳細は「働く人が減れば生産性は向上、賃金も上がる」に譲るが、インフレになると、マクロ経済スライドがほぼ発動され、物価が上昇するほどには年金給付は増えない。つまり、年金の実質価値がわずかに目減りする仕組みになっているからだ。
マクロ経済スライドがきちんと発動しなければ、年金積立金は2050年代に払底することは、2019年に公表された財政検証でも示唆されている。マクロ経済スライドがなければ、わが国の年金財政は維持できないが、すでに年金受給者になっている人からすれば、マクロ経済スライドを発動されると、年金の実質価値の目減りという負担を負うことになる。
では、コロナ後もデフレが継続する場合はどうか。2013年以降の大規模金融緩和に加えて、コロナ対策として未曽有の国債増発や資金繰り支援のための流動性供給を行っている。それでもなお、デフレが継続するということは、その流動性は活用されずにどこかに滞留しているのだろう。
デフレが継続すれば、マクロ経済スライドは毎年のように発動されず、年金給付の実質価値は維持され、今の年金受給者にとっては好都合だ。ただ、その分だけ年金積立金が多く取り崩されて給付に回り、年金財政は一層苦しくなる。
■コロナ後の物価動向に要注意
加えて、デフレが継続するほど経済活動が不活発であることから、株価なども低迷するだろう。そうなると、今ある年金積立金の運用益も多くを期待できない。年金給付には、年金積立金の運用益も財源として使うことを想定しており、運用益が少なければ年金財政もその分苦しくなる。
年金財政が悪化していけば、デフレ下でもマクロ経済スライドを毎年発動できるようにする制度改正が提案されるかもしれない。そうなれば、年金財政を維持するため、年金給付額は抑制されることになる。
高齢者からすると、若いころに真面目に年金保険料を払ったのだから、きちんと年金をもらえて当然と思うかもしれない。しかし、現に賦課方式的な年金制度である以上、払った保険料に見合う年金給付が必ずあると言えないのが、今の年金制度である。
年金財政にとっては、コロナ後はインフレに転じた方が維持しやすい。それは、今の若い世代の老後を考えても、国が公的年金でインフレをヘッジしてくれる分、好都合である。
ただ、気をつけるべきは、インフレになったとしても、すべての問題が解決するわけではないことだ。インフレの初期には、低所得者ほど物価上昇に賃金上昇が追いつかず、生活難になることがありえる。医療財政も、2年に1度行われる診療報酬の改定が、物価上昇や賃金上昇にタイムリーに連動せず、ほころびが出てくるかもしれない。コロナ後の物価動向がどうなるかは、今後も注視する必要があろう。
土居 丈朗:慶應義塾大学 経済学部教授