年間の通勤時間は休日20日分に相当 テレワークが生んだ3つの課題

世界中に災厄をもたらしたコロナ禍。しかし、それが劇薬となり、人々のワークスタイルにさまざまな影響を与えました。中でも大きな変化と言えるのは、在宅勤務を含むテレワークが一気に身近な存在となり、働き方の選択肢として市民権を得たことです。

 一方、コロナ前の日常は徐々に戻りつつあります。出社回帰の動きも鮮明になり、2023年4月23日の日本経済新聞は「オフィス回帰、出社率7割に 企業は対面重視へ投資」と題した記事で東京都心部のオフィス出社率が7割を超えると報じました。

 そんな出社回帰の傾向に対しては「出社する理由がない」「また社畜」など反対する声がある一方で、「こうなることは必然」「サボればリスク回避するしかない」など賛否両論が見られます。5月8日から新型コロナウイルスが2類から5類感染症に移行されたこともあり、在宅勤務を止めて出社回帰する傾向は今後さらに強まっていくかもしれません。

●テレワークで起きた2つの問題とは?

 しかし、そもそも在宅勤務やテレワークはコロナ禍発生前から政府が推奨してきた働き方だったはずです。それなのに、会社が出社回帰しようとするのはなぜでしょうか。真っ先に挙がる理由は、在宅勤務によって生産性が下がってしまった職場があることです。ただ、ペーパーレス化が進んでいないなど、生産性が下がった背景に在宅勤務環境が整っていないという問題を抱えている職場については、出社回帰は環境整備の放棄でしかありません。

 一方、それなりに在宅勤務環境が整っている職場にも、在宅勤務が働き方として市民権を得たことで、新たに大きな2つの問題が生まれています。それらは生産性の低下だけではなく、会社が望ましいと考える職場のあり方を阻害してしまう要因にもなりえるものです。

 1つは、埋めきれない情報格差の発生。在宅勤務している社員は別の空間にいるため、出社さえしていれば説明不要だったはずの情報が共有できなくなりました。

 例えば、社内の雰囲気です。最近大口の取引が決まって社内が活気づいているとか、残業が増えて疲弊感が漂い職場の空気が重いといった感覚は、その場にいれば感じ取ることができます。しかし、同じ空間にいない場合、それらの情報を共有するのは簡単ではありません。

 毎日出社しているAさんと毎日在宅勤務のBさんとがチャットやビデオ会議などで会話する際など、以下のようなもどかしいやりとりが起こってしまいがちです。

 出社のAさん:この数字であれば、今年の営業成績は期待できそうだね!

 在宅のBさん:……そうかな。昨年は後半に入って数字が伸び悩んだよ

 Aさん:でも、昨年とは社内の雰囲気がまるで違うから

 Bさん:そうなの? でも、数字の推移が昨年とそっくりだから心配だけど……

 Aさん:……いや、みんなの目の色が明らかに違うんだよ

 社内の雰囲気など、その場にいなければ得られない肌感覚の情報を言葉で伝えるのは至難のワザ。目にした絶景の美しさを伝えようといくら言葉を尽くしても、限界があるのと同じです。また、表現力を駆使して肌感覚に近い情報を伝えられたとしても、それはあくまで伝え手の感覚であり、もし受け手がその場にいたら違う感覚を得た可能性もあります。

 そんな風に、在宅勤務の社員が日ごろ情報格差を感じていると、会社から何らかのメッセージを受け取った際にも「どういう意味だろう?」と不必要に勘ぐってしまったり、逆に情報を発信する際にも、ニュアンスがうまく伝わらないなどの懸念が生じやすくなります。

●同僚と軽い雑談を交わす機会が減った

 在宅勤務が市民権を得たことで新たに生み出されたもう1つの問題は、コミュニケーション機会のロスです。全員が出社して同じ空間にいると、ふと思い立った時に周りの同僚の意見を聞いてみるとか、会議に向かう途中ですれ違った同僚と軽い雑談を交わすといった機会が頻繁に生まれます。些細なことであっても接点回数が増えれば増えるほど社員間の絆は深めやすくなるし、予期せぬ刺激が新たな発想を呼び起こし、化学反応なども生まれやすくなります。

 しかし、在宅勤務によって空間を共有できない場合、出社時と同じような効果を生み出すには、あえてコミュニケーション機会を設けたり、社員を集めるために企画を立てたりと、意図的に接点を増やす取り組みが必要です。そのように、コミュニケーション機会のロスをカバーするために新たな工数がとられてしまうと、その分職場の生産性は下がることになります。

 以上2つの問題を解決する最も確実な方法こそが、出社回帰です。コロナ禍前のように全員が出社し、同じ空間を共有していれば2つの問題の発生を防ぐことができます。もともとは出社していたわけですから、「コロナ禍前に戻っただけ」と考えればスムーズな解決法のように思えそうです。ところが、在宅勤務が生んだ新たな問題がもう1つあります。この3つ目の問題が生まれたことによって、「出社回帰=コロナ禍前回帰」ではなくなりました。

●「出社回帰=コロナ禍前回帰」ではない理由

 それは、通勤時間が可処分時間に変わったことです。全員出社が当たり前の時代には、通勤時間は“失われた時間”でしかありませんでした。有効に使おうと思っても、せいぜい電車の中で本を読んだり、スマホで情報収集やちょっとしたやりとりをしたりするのが関の山です。

 しかし、在宅勤務が現実的な選択肢になったことで、これまで通勤時間に費やされていた時間は家族との団らん、家事や保育園への送り迎え、趣味や休息・睡眠など、好きなように使い方を決められる可処分時間へと変わりました。その時間を使って副業すれば、収入だって増やすことができます。

 通勤に費やされている時間は、積み重ねるとかなりの分量です。仮に毎日の通勤時間が往復2時間だとすると、ひと月に20日働くとして40時間。年間だと40時間×12か月=480時間に及びます。もしこの時間を休息に充てると、一日は24時間ですから480÷24=20日分の休みと等しい計算になります。

 また、通勤に費やされる480時間を副業に充てた場合に見込まれる年収額も見過ごせません。仮に最低賃金の全国平均時給961円を当てはめて計算してみると、480時間×961=46万1280円です。在宅勤務が市民権を得たことによって、出社回帰は社員にとってコロナ禍前に戻るという意味ではなく、可処分時間を犠牲にして通勤に充てるという意味になったのです。

 以上のように整理すると、冒頭の記事が指摘している出社回帰の傾向とは、情報格差の発生やコミュニケーション機会のロスを防ぐために、社員が可処分時間となった通勤時間を犠牲にしている職場が増えている状態だと解釈することができます。

 その点、在宅勤務が生んだ3つの問題のいずれにも配慮する形でバランスをとった解決策が、週3日出社して2日は在宅勤務するようなハイブリッド勤務です。

 グーグルやアップル、アマゾンなど世界のトップ企業がハイブリッド勤務を導入しています。ハイブリッドであれば、情報格差の発生やコミュニケーション機会のロスを抑えつつ、通勤時間の犠牲を少なくすることが可能です。

●ハイブリッド勤務こそが唯一無二の正解なのか?

 では、3つの問題にほどよく対処できるハイブリッド勤務こそが唯一無二の正解なのか、というとそうとも限りません。ハイブリッド勤務は多くの社員にとってベターな選択肢にはなり得るものの、誰にとってもベストであるわけではないからです。

 例えば、少しでも情報格差の発生やコミュニケーション機会のロスを避けるために、ハイブリッドより週5日出社の方がいいと考える社員もいます。一方で、完全在宅勤務を希望し、週3日どころか週1日出社でも通勤時間の犠牲が大きいと考える社員もいます。

 これら個々の志向の違いは職場に軋轢(あつれき)を生む要因にもなりえますが、なくしようがありません。また、ワークスタイルをめぐる時代の変化は、働き手の志向だけでなく、年齢や性別、障害の有無、人種、国籍といった違いを排除する方向から、多様性を尊重し違いをありのまま受け入れる方向へと流れていっています。

 それは、画一化から個別最適化へと進む流れと言い換えることもできます。正社員として新卒入社し、出世して高収入を得ることを望むという規定のルート一択から働き方の選択肢が広がり、さらに細分化して個別最適化していくワークスタイル4.0に向かっていることは、以前書いた記事「週3日や時短勤務に「後ろめたさ」を感じる理由 柔軟な働き方を実現するヒントとは?」でも指摘した通りです。

 一方、個別最適化が進みワークスタイル4.0の実現へと近づいていくにつれ、情報格差の発生とコミュニケーション機会のロスという問題はより顕著になります。だからといって出社回帰すれば、社員が通勤時間の犠牲を強いられることになります。どの勤務環境を選択しても、社員の誰かがモヤモヤすることになるのです。

●働き手に「選ばれる企業」 勤務スタイルが重要な条件に

 在宅勤務が生んだ3つの問題により、そんな厄介な状況が浮き彫りになりました。ただ、それは在宅勤務やハイブリッド勤務など、勤務環境に選択肢が生まれたという進化によってもたらされた葛藤です。出社一択しかなかったコロナ禍前の時代には、特別な一部の事例を除き、勤務環境を選ぶという概念自体がありませんでした。

 しかしこれからは、学校に通学制や通信制、全寮制など学習環境の違いがあるように、職場も出社か完全在宅かハイブリッドかといった勤務環境の違いが、特徴としてハッキリしていく可能性があります。それらの特徴には一長一短があり、一概に良し悪しは断定できません。

 どのような勤務環境を整えるかは、その会社の差別化要素であり人事戦略です。今後は、働き手が就業後にモヤモヤしてしまうことのないよう、どんな勤務環境を整えているかが就職先を選ぶ条件の一つとして、重要性を高めていくことになるのではないでしょうか。

著者:川上敬太郎(ワークスタイル研究家)

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