きちがいは、きちがいということか?
他人事ながら、この人は一体、どこへ向かうのか、心配になってしまうのだ。元朝日記者の植村隆氏は、100人の弁護士を従えて、法廷闘争に勤しむ毎日だが、相変わらず「慰安婦誤報」に反省の色なし。被害者意識だけが一層ギラギラと燃え盛っているのだから。
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今年のアカデミー賞でオスカーを受賞した映画『スポットライト』。アメリカ「ボストン・グローブ」紙の記者たちがカトリック教会のスキャンダルを暴いた実 話がモチーフである。そこに描かれているのは、記者たちの事実への徹底的な“こだわり”。日本でも4月15日に公開されたから、既に見た方も少なくないか もしれない。
一方で、公開の1週間後の日本において、彼らの対極としか思えない「元記者」が、北の大地の法廷で、ファイティングポーズを取っていたのをご存じだろうか。
元朝日新聞記者の植村隆氏(57)が、ジャーナリストの櫻井よしこさんと、その記事を掲載した新潮社ら3社に対し、損害賠償を請求した訴訟。その第1回の口頭弁論が4月22日、札幌地裁で開かれたのである。
「この日の法廷は、非常に注目されていました」
と語るのは、被告側の訴訟関係者である。
「櫻井さんと植村氏が初めて顔を合わせることになっていたからです。通常、民事訴訟の際、口頭弁論の段階で意見陳述は行われない。しかし、今回は彼がどうしても意見を述べたいと主張し、それならば、と櫻井さんも時間を取りました」
そうまでしてアピールしたかった植村氏の“意見”の問題点は後述する。
法廷の様子に戻ると、
「植村氏には100名を超える弁護士が代理人として付いています。この日も、うち25名程度が付き添い、法廷で彼を守るように座った。そのため、原告席は列が4列も出来て、証人席にも届きそうなほど場所を奪っていました」(同)
■駄々っ子のごとき振る舞い
裁判の焦点は、植村氏が朝日在籍時代の1991年8月11日に書いた〈思い出すと今も涙〉という記事である。植村氏は、慰安婦の支援団体から、元慰安婦・ 金学順さんの証言テープを入手し、記事には、彼女が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」たと記している。しかし、金さん自身の発言や訴訟に出た時の書 面によると、養父によって慰安所に売られたということがその実態であったのだ。
これについて櫻井さんが「捏造」などと論評したことに対し、植村氏は「名誉毀損」とし、それが自らへの脅迫を煽ったと提訴。その是非は法廷に譲るとして、閉廷後、氏は記者会見に臨み、意見陳述とほぼ同じ内容を述べたのである。
その大要は、
「櫻井さんは2014年の産経新聞のコラムで自分を批判している。その中で『金学順さんは訴状の中で、“継父に40円で売られた”などと述べている』と書いているが、訴状にその話はない」
「櫻井さんは自分ばかり標的にしているが、他の新聞社も当時は慰安婦=挺身隊と取るのが一般的だった。櫻井さんが当時、勤めていた日本テレビも『11PM』という番組が同様の報道をしている」
「櫻井さんは自分のことを激しく批判するのに、取材に来ない。礼儀がない」
つまり、
「先生、櫻井さんがぁ、いっぱい、いーっぱい、いじわるしてくるんだよ!」
と、駄々っ子のように、相手の悪口ばかり言っているワケだ。
まともな教師ならばきっとこう聞くだろう。
「そうなの。それは悲しかったねえ。でも、タカシ君はどうだったの? あなたは何もしてないの?」
しかし、不幸なことに彼の周囲にはそんな普通の感覚を持った人はいないようだ。会見に続き、支援者への報告集会、トークセッションと、会は2~3時間ほど続いたが、被害者意識ばかりが前面に出て、「反省」の色は見られなかったのだから。
■“特ダネが取れる!”
先の批判について論ずれば、そもそも、産経のコラムは訴訟の対象になっていない。
また、当時、他のメディアがそう書いていたからと言って、自分が誤用しても仕方ないと言わんばかりの態度は潔くないし、相手が全く関与していない番組について持ち出すのは、フェアな議論ではないだろう。
「自分に取材することもなく」という点に至っては論外で、そもそも植村氏が長い間、メディアの取材から逃げ回っていたことは周知の事実。元朝日新聞ソウル特派員の前川惠司氏は言う。
「私も、人を介し2回取材を申し込みましたが、梨の礫(つぶて)でした」
植村氏も櫻井さんをさまざまな媒体で非難しているが取材などしていない。自己矛盾も良いところなのだ。
そもそも、である。
植村氏は、「被害者」の立場にのみ立つのがふさわしい人物であるのか。
「私は1989年から94年までの5年間、ソウル支局に勤務していました」
と言うのは、元毎日新聞論説委員の下川正晴氏。
「実は、私も植村さんの記事が出る前に、慰安婦の支援団体から元慰安婦の取材協力を持ちかけられました。でもお断りしたんです。少なくとも私には相手が日韓を揉めさせようとしているだけで、心から被害者を思っているようには見えませんでした」
後の展開を考えれば、下川氏の判断は正しかったと言える。しかし、その後間もなく、植村氏はこの手の運動に乗ってしまった。
「植村さんは、特ダネが取れる、という意識であの記事を書いたのではないでしょうか。彼はテープを聞いただけで記事を書いてしまった。普通なら、相 手と対面して話を聞き、その表情や目の動き、声音などから本当のことを言っているのかどうかを確かめますよね。本当に慰安婦問題に関心があるのなら、もっ とディープな取材をするはずです」(同)
身内の朝日が設置した慰安婦報道検証の第三者委員会ですら、彼の記事を「安易かつ不用意な記載」と断じているのも、故あってのことなのである。
■杜撰な取材で仕上げた記事
また、
「植村さんは、他紙も『挺身隊』と『慰安婦』を混同していたと繰り返し述べていますが─―」
と下川氏が続ける。
「確 かに当時、そうした混同は朝日以外にもありました。しかし、多くは専門外の記者がたまに何かの機会で慰安婦について書いた場合。植村さんは1年間韓国に留 学し、慰安婦問題を取材していたのですから専門性があったはず。その立場の記者が両者を混同するなんてナンセンスです」
すなわち、意図的な誤用かどうかは置いたとしても、少なくとも当該記事は、スクープに逸(はや)った結果、杜撰な取材で仕上げた記事と言われても仕方がないのである。
「特集 100人の弁護士を従えて法廷闘争! 慰安婦誤報に反省なし! 元朝日『植村隆』記者の被害者意識ギラギラ」より
「週刊新潮」2016年5月5・12日ゴールデンウイーク特大号 掲載