日本人にとって牛食文化は「イレギュラー」なもの
日本人の国民食とも言える牛丼の値上がりが止まらない。
2024年7月現在、吉野家の牛丼並盛は468円、同じくすき家は430円、松屋の牛めし並盛は430円でそれぞれ販売されている(いずれも店内税込価格)。昨今、ラーメンでも1000円前後の価格が当たり前になっていることを考えると、まだまだ牛丼は安いほうと言えるかもしれない。
だが振り返ると、2013年ごろは各社ともに牛丼(牛めし)並盛を280円前後で提供していた。つまり、過去10年で牛丼の価格は5割近く値上げされたことになる。もちろんこの間に物価全体も上がっているが、政府が公表している消費者物価指数(総合)を見ると、過去10年間の上がり幅は11ポイントほどしかない。ということは、牛丼の値上げ幅は特別大きいのだ。
なぜいま、牛丼の値上げが止まらないのか? 前編『中国の爆買いで日本から「牛丼」が消える…値上げ止まらぬ《庶民の味方》、元凶は高騰する「牛肉の奪い合い」にあった』に続き、その理由に迫った。
国民食とも言える牛丼の値上がりは嘆かわしい事態だ。しかしよく考えると、これまで相当な安価で牛肉料理が提供されてきたこと自体、そもそも「イレギュラー」な状況だったとも言える。
よく知られているように、日本人が牛肉を日常的に食べるようになったのはつい最近のことだ。7世紀に肉食禁止令が発布されて以来、少なくとも一般的には牛肉を食べる文化は日本になかった。
しかし明治時代になると、政府主導のもと、牛肉や乳製品などを食べる欧米風の食文化の普及が進んだ。江戸時代末期に欧米諸国と結んだ不平等条約を撤廃するべく、西洋の文化を積極的に取り入れようとしていたためだ。
この時期、慶應義塾の創始者である福沢諭吉は『肉食之説』という書物のなかで、牛肉が強い身体を獲得するために有効と力説している。さらに『西洋料理指南』をはじめとする、肉を使った料理を紹介するレシピ本も出版され、日本でも急速に牛肉を食べる文化が広がった。大手牛丼チェーンの代表格である吉野家が創業したのもこの頃、1899年のことだ。
「日本の国土は農業に向いていない」
国策的に普及した牛肉食の文化だが、大正時代になると早くも課題に直面する。国産だけでは牛肉需要をまかないきれなくなってしまったのだ。
そもそも日本は国土の大部分を山地が占めており、地形として農業に向いていない。日本人の主食はコメだが、戦前までの日本はコメですら自給できず、約2割を海外から輸入していた。主食さえ自給できない環境において、牛肉をつくるために大々的に畜産業を展開することは難しい。
その結果、牛肉食の普及が始まってわずか40年ほどで、日本の牛肉需要は国内で生産可能な量を追い越してしまった。それだけ、日本で牛肉を大規模に生産することは難しいことなのだ。
大正時代にかけて早くも牛肉不足に陥った日本だが、その事態を好転させる出来事が起こる。当時、日本が占領していた中国・山東省や、植民地としていた朝鮮半島から、牛や牛肉の輸入が始まったのだ。こうした牛や牛肉は、山東牛、青島牛肉、朝鮮牛と呼ばれ、戦前の日本の牛肉需要を支える役割を果たした。
しかし、これらも日中戦争などの影響を受けて下火となり、牛肉は一般消費者から遠い存在となって、主に軍が消費する食料となった。
なぜ牛丼が「ファストフード」になれたのか?
だが、戦後になると、その牛肉をふんだんに使った牛丼がファストフードとして確固たる地位を築くことになる。なぜそのようなことが実現し得たのか。
背景には、先にも紹介した牛のバラにあたる「ショートプレート」を吉野家がアメリカで“発掘”したことにあった。ショートプレートは脂身が多い部位のため、アメリカで一般的に好まれるステーキなどには向かない。そのため、ミキサーで撹拌し、ハンバーガーのパテなどに混ぜて利用されていた。
そこに目をつけたのが吉野家だ。吉野家はショートプレートに価値を見出し、牛丼の食材として活用し始めた。経営トップを長年務めた安部修仁氏は、当時の状況について「うちの言い値で好きなように調達し、コントロールすることができました」と振り返っている。
日本の牛丼文化は「ボーナスタイム」だった
日本は歴史的に見ても、牛肉を海外からの輸入に大きく依存してきた。だがそのことは、国際情勢次第で牛肉の供給が一気に不安定化することを意味する。事実、2003年に米国でBSE(狂牛病)の感染が確認され、米国産牛肉の輸入が停止した際には、吉野家は2年以上にわたり牛丼を提供できなかった。
したがって、気候変動や中国などの経済発展を背景に牛丼が高騰することは当然の帰結であり、むしろこれまで低価格での牛丼提供が安定して続いてきたことのほうが「ボーナスタイム」だったと言えるかもしれない。
吉野家1社の需要さえ満たせない国内生産量
「コメも余るようになっているのだから、そろそろ国内で生産する牛肉を増やせるのでは」という意見もあろう。もちろん牛肉の自給力を高めることは大切だが、残念ながら日本人が消費する牛肉の量は、牛丼だけでも、とても国内ではまかないきれない。
吉野家の公式サイトによると、同社が年間で消費する牛肉の量は牛350万頭分とされている。一方、国内で屠畜されている牛は年間約110万頭しかいない。吉野家は海外にも展開しているため、国内部門での需要は350万頭より少ないだろうが、仮に半分の175万頭だとしても、日本で年間に屠畜される牛の頭数より遥かに多い。つまり、日本中の牛からショートプレートをかき集めても、吉野家1社の需要すら満たせない可能性が高いのだ。
そのため現実的に考えると、やはり国内の牛丼需要を満たすためには輸入に頼らざるを得ない。同時にそのことは、牛丼の価格が国際情勢に大きく左右されることを意味する。
残念なことではあるが、かつてのような価格で牛丼を楽しめる日は2度とやって来ないのかもしれない。
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