意外と多い、「勉強しても知識がまったく身につかない人」の共通点

なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 張り紙が増えると事故も増える理由とは? 飲み残しを放置する夫は経営が下手?

6万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

当世真面目気質:勉強における「つながり」と「ばらつき」の経営

勉強において徒労が起こる理由は、知識の「つながり」と「ばらつき」から説明できる。

前提として、英語にかぎらずすべての知識は全体を部分に分けることができる。英語力の場合には単語力と文法力と長文読解力と……という具合である。しかし、部分的な能力の総和がそのまま全体的な能力になるわけではない。複数の部分がつながったときにはじめて全体になるためだ。

しかも、部分的な知識の理解度には、ばらつきが生じる。

そのため、部分的な知識のうち理解度が最も低いところが、確率論的に必ず一ヵ所(ごくまれに二ヵ所)存在する。そして、部分は別の部分とのつながりを持つため、上記の「最も低い所」が制約(ボトルネック)となって全体の理解度を決定するのである。高性能オールインワン端末

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たとえば、単語力がどんなに突出していても文法力が皆無ならば英語は読めるようにならない。あるいは、確率の概念を理解していないと統計学の結果を誤読してしまう。語彙力が乏しければ、鋭い感性があっても長文を書くことはできない。歴史の大きな流れが分かっていなければ史実の背景事情を説明できない。学問分野での議論の展開(学説史)が分かっていなければ理論の面白さは十分には理解できない。

このように、勉強においては「はじめに全体観を把握してから最も弱い部分を補強していく」必要がある。さらに、最も弱い部分を補強した後には別の部分が最も弱い部分となる。こうして次々に補強する部分を変化させることで全体の理解が進む。

勉強をめぐる経営の悲喜劇はこれだけにとどまらない。

たとえば簿記・会計を勉強している人で、ときどき会計基準制定の裏話まで体系立てて理解しているような人がいる。こうした人は、会計学の全体観を把握して部分的な知識をひとつひとつ埋めていって、体系的な知識を得ているのである。それにもかかわらず、こうした人が公認会計士試験、税理士試験、簿記一級に落ち続けて悩んでいることがある。

こうした悲劇は勉強の最終目的を設定し忘れていることから引き起こされる。

百メートル走で「よーい、どん」の合図と同時にゴールとは反対方向に猛烈に走り去っていく人を想像してみよう。足は誰よりも速い。いたって真面目に、誰よりも素早く、ゴールから遠ざかっていく。

こうした場面で笑いださない観客はいないだろう。

しかし勉強においてはこれと同じことを平然とやってしまう。最終目的=ゴールを設定していない、またはゴールの設定が間違っているために、全力でゴールから遠ざかるのである。

たとえば何らかの試験に合格したいのであれば「出題者の意図に沿う解答を時間内に書き上げる能力をつける」ことがゴールになるだろうし、○○学で論文を書きたいのであれば「○○学的想像力を身に着ける」あたりがゴールになるだろう。

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大学受験の勉強のために毎日欠かさず机に向かっている真面目な人の姿を想像してみよう。その人は三十分ほど英語を勉強した後に数学の勉強に取り掛かるようだ。そのために英語の参考書と単語帳と辞書を片付けて、数学の参考書と問題集を探し出す。

そうして机をがちゃがちゃかき混ぜていると、思いがけず昔に紛失していたお気に入りのシャープペンが見つかる。「これ、探してたんだよ」とそのシャープペンで勉強を始める。しかしシャープペンの芯がなくなっているようだ。そこで次に芯を探し出す。

机の引き出しをひっくり返して芯を手にしたころには三十分がとうに過ぎている。さあ数学だ、と思ったとたん母親からの「ごはんよ」の声でまた中断である。こうして、「今日も勉強ばかりで疲れたな……」というわけだ。一歩引いてみている読者からすれば、この人物がこの日に何ひとつ勉強していないことは明白だろう。

勉強であれ、仕事であれ、何事にも「本当に取り組んでいる時間」と「取り組むための準備の時間」がある。

人間は本当の取り組みの準備のために時間を浪費することがあまりにも多い。たとえば、勉強の計画を一日中立てている人がいる。毎日のように、教師に、質問するでもなくひたすら勉強計画の相談にいく人がいる。具体例を挙げればきりがない。

そして「はあ、今日も勉強したなあ」「でも、成績が上がらないなあ」とため息をつくのである。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

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