愚民思想三大フレーズ

愚民思想とは「有権者は愚民だから政策を理解できない」と考え、フワフワとした表面的な言論・報道に終始する思想である。マスメディアは、民主党が企業・団体献金を再開したことを重視しているが、まさに愚民思想報道だ。
「民主党は26日、昨年9月の政権交代以降、自粛していた企業・団体献金の受け入れを再開することを決めた。(略)岡田克也幹事長が26日午後の党常任幹事会に提案。党の収入が政党助成金に頼っていることを念頭に『過度の国費依存でいいのか』と説明、了承された。(略)企業・団体献金の受け入れを凍結したのは、小沢一郎元代表が政権交代後に幹事長に就いてから。(略)今年6月に小沢氏が幹事長を退いたことをきっかけに後任の枝野幸男氏が『税金で運営されている政党』との批判をかわすため、企業・団体献金の受け入れ再開について検討を始めていた。(略)経済界からも早期の献金受け入れを促され、再開を決断した」(朝日新聞)
 有権者は、「政治とカネ」問題など重視していない。もちろん、倫理的にどうかと問われれば批判的になるが、投票行動においては、さほど問題視されていないのである。だからこそ、2007年参院選では「真っ黒」な小沢民主党が勝利し、2009年衆院選でも、「真っ黒コンビ」の鳩山・小沢民主党が大勝利した。一方で、「クリーン」な安倍自民党、麻生自民党、菅民主党は敗北した(以上はあくまでも党首・幹事長クラスの「政治とカネ」問題)。
 所詮、「政治とカネ」というのは、政局のための道具でしかないということを、有権者はよく知っている。わが国では、せいぜい政治資金の記載がどうといったレベルのことを、針小棒大に騒いでいるに過ぎないのだ(他国では、もっと露骨に明白な贈収賄が行われ、政治家の親族が公営企業の役員になって私物化したりする。それですら、政敵をつぶすためのでっち上げであるケースも見られる)。「政治とカネ」問題で薄っぺらい正義をふりかざしている愚民とは、有権者ではなく、むしろマスメディアの中にいる「独善的中立なインテリ」だと言える。
 なお、「独善的中立なインテリ」については「図解:民主党の改革つぶしの手口」をご覧いただきたい。価値判断を避けるインテリこそが愚民であり、議会政治を歪めている張本人である。
 愚民思想三大ワードは「クリーン」「フレッシュ」「オープン」だ。愚民思想報道でもこれらのワードは多用されるし、政界随一の愚民思想家である菅首相、仙谷官房長官も、ことあるごとに三大ワードを使っている。こんなフワフワとしたワードをならべていれば支持されると思われているのだから、有権者も随分となめられたものだ。
 さらに、愚民思想三大フレーズというものもある。愚民思想報道で多用され、愚民思想のコメンテーターや政治家もよく使うフレーズだ。テレビなどでこれらのフレーズを耳にして、違和感や苛立ちを覚える有権者は多いのではないだろうか。
■愚民思想フレーズその1「この際だから膿を出し切るべき」
→ 目的や方法論については論じられず、とにかく事態を煽る時に使われる。「膿」とやらの内実や対処法は問われない。マスメディアにおけるホンネに翻訳すると、要は「メディアスクラムをかけて一気に話題を消費するぞ」という宣言である。これは政治報道に限らない。たとえば耐震偽装問題や食品偽装問題などでも、その実態を置き去りにしながら過剰に煽られるものの、いつの間にか報道は沈静化する。問題が解決したわけではないし、むしろ風評被害などもあったのに、話題が消費されたからもう終わりなのである。「膿を出し切る」とは、「メディアスクラムに飽きる」という意味でしかない。
■愚民思想フレーズその2「こうなったらガラガラポンしかない」
→ これまた「ガラガラポン」とやらの内実は問われない。政策論争をしっかりやって、そこから政界再編などが行われるのであれば、実のある結果がついてくる。しかし、「ガラガラポン」という時には、政策は一切問われず、「何か知らないけど世の中が混乱すれば、新しい“何か”が出てくるのではないか」というテキトーな姿勢となる。マスメディアにおけるホンネに翻訳すると、要は「政局報道で煽りまくるぞ」という宣言である。当然のことながら、煽った先には何も生まれない。
■愚民思想フレーズその3「政治に関心を持つようになったのは良いこと」
→「膿」とやらを出し切っても、「ガラガラポン」とやらを試みても、そこには内実が伴わないので、意味のある結果は何も出てこない。しかし、それでも何かしらの意味はあったと言いたい横着者が、「政治に関心を持つようになったのは良いこと」ともっともらしいフレーズを口にする。民主党政権の実施した事業仕分けに対する無理矢理な“評価”においても、このフレーズは多用された。これをマスメディアにおけるホンネに翻訳すると、「思いの外、政治報道で視聴率が取れたぞ」という報告になる。バラマキ・既得権層が、「これでこっちにカネが回ってくるぞ」と期待しながら、事業仕分け報道を食い入るように見ていたわけだから、一般的な政治報道よりは視聴率は上がっただろう。しかし、それだけのことでしかない。
 有権者は「生活」をかけて政策を見ているのだから、そこには抽象論や書生論が入る余地はない。しかし、愚民思想家たちは、そのことを理解していない。有権者を心底バカにして、愚民思想三大ワードや愚民思想三大フレーズばかりを垂れ流す。
 
 愚民思想家と有権者のズレがよくあらわれているのが、事業仕分けについてである。愚民思想家は「政治に関心を持つようになったのは良いこと」というフレーズを使うが、有権者は事業仕分け(財源捻出)の先にあるバラマキ・既得権護持政策を冷静に見つめていた。だからこそ、公約違反が次々に明らかになったことで、民主党は2010年参院選で敗北したのである。「クリーン」な菅首相や、事業仕分けで「オープン」な枝野幹事長は、まったく意味を持たなかった。
 
 余談だが、「事業仕分けは財源捻出のためのものではない」と今さら言っても無意味である。地方自治体で地道に実施されてきた事業仕分けは、民主党政権で財源捻出のための道具へと堕ちた。財源捻出ができないとわかった今、バラマキ・既得権層が事業仕分けを支持する理由もない。改革派にとっては、初手から事業仕分けはバラマキ・既得権護持のためのアリバイ作りでしかなかったが、そのイメージを払拭することは難しいだろう。
 
 閑話休題。 2003年以降現在まで続く「新しい民主党」を支持する中核であり、政権交代の原動力となったのは、バラマキ・既得権層である。マスメディアは「政治とカネ」が菅政権の打撃になるかのような報道をするが、現実には、相変わらず繰り返される公約違反こそ、菅政権にとって打撃となるだろう。
「政府は26日、2011年度に子ども手当を支給するための財源として、国費に加えて、地方自治体と企業の負担を存続させる方針を固めた。民主党は野党時代に、子ども手当を創設し、その経費は国が全額を負担すべきだと主張していたが、国の財政状況が厳しい中、子ども手当制度を維持し、かつ11年度に支給額を上積みするためには、国費で全額をまかなうのは困難と判断した」(読売新聞)
 民主党は主に引退世代、公務員、地方へのバラマキ・既得権護持をすると約束して政権交代を果たしたのだから、この種の公約違反はとてつもなく重いものと言える。この重みを理解できない人は、「新しい民主党」と「古い民主党」の区別がついていない。
「新しい民主党」「古い民主党」「新しい自民党」「古い自民党」については「続々とあぶり出される民主党に勝手に期待して勝手に失望する人たち」を是非ご覧いただきたい。政策を理解する大多数の有権者は、これらの違いを容易に認識しているが、政党を贔屓の野球チームか何かと勘違いしている「独善的中立なインテリ」は、政策の潮流の変遷がまったく理解できていないのである。
 バラマキ・既得権派は、「(自分および家族の)現在」の「生活」を守るという切実感を持っている。改革派も、「(自分および家族、さらには子孫の)将来」の「生活」を守るという切実感を持っている。方向性は違うが、本気で政治について考えているのだ。政治における切実感を無視した愚民思想報道は、いい加減終わりにするべきだろう。

タイトルとURLをコピーしました