慰安婦像問題で「日本の言い分」が世界で通用しないワケ

海外のメディアで報じられたニュースを中心に解説する、無料メルマガ『山久瀬洋二 えいごism』。著者である山久瀬さんはメルマガの中で、サンフランシスコ市が市内の公園に慰安婦像を設置したことを理由に、大阪市長が姉妹都市関係を断絶すると発言したことに言及。従軍慰安婦問題に関する日本の主張がなかなか理解されない理由を日本人のある国民性と関連があると語っています。

今週のテーマは、「日本の外交アプローチの稚拙さを知らされた慰安婦像設置問題」です。

【海外ニュース】

The mayor of the Japanese city of Osaka has said he is cutting ties with San Francisco because of a new statue there, over looking a small park downtown.

訳:大阪市長はサンフランシスコ中心街にある小さな公園での新たな銅像の設置を受けて、同市との交流を断つと宣言(New York Timesより)

【ニュース解説】

このニューヨークタイムズの記事はsmall parkという言葉を使って、慰安婦像に抗議する大阪市長の行為を、皮肉をもって伝えています

もちろん、この記事ではある程度バランスをもって、戦争被害や人権問題に対する課題を伝えてはいます。

とはいえ、ここで取り上げられた問題は思った以上に深刻です。

この前アメリカに出張したときに、たまたま韓国と日本との慰安婦問題が話題になりました。

そのとき、アメリカ人のジャーナリストが、なぜ日本は謝罪しないんだろう、それだけのことなのにと私に質問をしてきたのです。

私は、この問題についての政治的なコメントは一切したくはありません。

ただ、こうした話題になるたびに、日本の意思や意図が空回りしている現状を見せつけられるのです。

日本側は過去にこの問題は政治決着していると主張します。それにもかかわらず韓国が解決したはずのことを蒸し返してくると批判します。

それはそれで筋が通っているかもしれません。

しかし、日本がこの慰安婦問題のみならず、こと複雑な背景を持った問題を語るとき、そのロジックが海外に通じていないことが多くある現実を我々は知っておくべきなのです。

それには理由があります。

まず、複雑なメッセージを人に伝えるとき、そのメッセージの内容と量が相手に確実に伝わる確率は、それが伝達される距離が遠く、受け取る人が海外の人であればあるほど、低くなることを知っておく必要があります。

10を伝えるとき、おそらく相手には1伝わっていればよしとするべきなのです。

しかも、その1は伝えたい部分でも最も単純なメッセージです。

文化背景、歴史的背景等の複雑な事情は、なかなか相手には伝わりません。

そして悪いことに、伝わった単純なメッセージのみが、相手の判断の材料となるのです。

さらに、メッセージを受け取る人が、日本とは異なる文化背景をもって生活している人々であることを我々はもっと意識すべきです。

例えばアメリカ人には少なくとも、女性差別に対する強烈なアレルギーがあります。

たとえそれを建前だという人がいたとしても、それを口にするだけで厳しく糾弾される社会背景があるのです。

しかも、長年アメリカでは日本社会での男女差別の問題が報道され、その負のイメージが定着しています。

さらに、最近CNNなどのメディアで常に取り上げられている話題がhuman traffickerの問題です。

Human traffickerとは、人を奴隷化して売買する組織や人のことで、今尚世界各地でこうしたことが公然と行われていることが指摘され、社会悪として報道されているのです。

であれば、例えばこの慰安婦問題をアメリカ社会に問いかけたとき、「日本の言い分」が理解されず、アメリカ社会の「タブーのコード」に日本からのメッセージが引っかかり、それだけが強調され単純化されることは目に見えています。

つまり、メッセージを伝えるときの距離と受け取る相手の文化の問題を考えて対応をしてゆかないかぎり、説明すればするだけ、誤解が深まるというジレンマに陥ることを知っておくべきです。

では、どうすればいいのでしょう。

そのためには、「フィードバックの文化」というテーマを考えるべきです。

距離があり、文化背景も異なる人に「日本の言い分」を伝えるには、常に問題がおきたその場でマメに相手に情報を提供するというスタンスが必要なのです。

慰安婦問題の場合は、パク政権のときに日本政府と合意があった時点で、アメリカ社会にしっかりとメディアを通してその真意を伝えるべきでした。

また、それ以前に日本政府が行ってきた「過去の過ち」への謝罪や、平和への努力を、その都度しっかりと韓国のみに対応するのではなく、アメリカの世論、世界の世論に根付かせるように努力しなければなりませんでした。

その上で、何か誤解があるなと意識した瞬間に、その誤解について具体的に指摘する努力を積み重ねるべきだったのです。

このフィードバックの積み重ねが、日本側から行われていれば、問題はこじれることなく収拾に向かったはずです。

とかく日本人は、何か気に障ることがあった場合、心の中にそれを溜めたまま、自らの思いを主張することを怠りがちです。

日本人の間であればそれは構わないのですが、英語圏で自らの意志を伝える場合、思ったことはその都度こまめに相手にフィードバックすることが大切なのです。

外交上の問題でも、ビジネス上の課題でも、課題を溜めておいて、ある段階で一度に語ろうとすることは最も避けたいことなのです。

まして、ある程度以上不満が溜まったときに、感情的な対応をすればさらに誤解の溝は深まります。

大阪市長の対応はロジックのない感情論と誤解されかねません。

何が課題で、それに対してどのように対応したのか、その都度冷静なメディア対応を継続し、関係者との話し合いを怠らないことが肝要です。

日本人は「阿吽の呼吸」というように、相手に直裁に言葉で説明することなく物事をすませようとしがちです。

逆に、移民社会の中で、文化背景の異なる多様な人々が交流し合う英語圏では、言葉ではっきりと表明することがコミュニケーションの基本なのです。

しかも、この努力を怠った末に、いよいよ状況が複雑になったとき、日本人は得てしてその問題の背景を説明しようと必死になります。

背景から話を切り出した場合、欧米にはそのメッセージは伝わりません。

それは何か苦しい言い訳をしているか、不明瞭な表現で煙にまこうとしているとしか思われないのです。

なぜなら、背景を話した後に、物事の本質へと迫るロジックの展開の方法は、欧米のコミュニケーション文化には存在しないからです。

別の言い方をするなら、起承転結方式によるスピーチは、極東の漢字文化圏でしか通用しないスピーチ術だからです。

この極東地域独特の修辞法に従って流暢な英語で話せば話すほど、皮肉にも英語力とは関係なく、誤解が深まってゆくのです。

英語でしっかりと相手とコミュニケーションをするには、彼らのコミュニケーション文化に従った修辞法を習得する必要があるというわけです。

以上が、距離があり文化背景も異なる人々に「日本の言い分」が伝わらない理由となります。

この理由を知っておかない限り、日本は誤解され続けることになってしまうのです。

日本人はとかく英語をうまく話す技術にこだわりすぎ、そこにコミュニケーション文化の差異があることに気づきません。

日本人のロジックを海外に伝えたいならば、その伝える方法について、もっと繊細になってゆくべきなのです。

今回の大阪市長のとった処置は、上記の理由から、アメリカの世論からは一蹴される感情的な対応としか思われないのではないでしょうか。

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