韓国が慰安婦問題で攻勢を強める中、元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)=和歌山県田辺市=が取材に応じ、「強制的に女性を集めることはなかっ た」と慰安婦募集の強制性を明確に否定した。昨年、朝日新聞が慰安婦記事の一部誤報を認めたものの、「日本軍による強制連行」の象徴として海外都市に慰安 婦の少女像が設置され、誤った史実として広がっている。“生き証人”の証言は、「慰安婦狩り」が創作だったことを改めて示す突破口になるか。
◆差別感情存在せず
「80年もたってまさかこんな状況になるとは…」
満開の桜の下で肩を組む男性4人の写真。昭和9年春、朝鮮半島東部にある江原道(こうげんどう)の春川(しゅんせん)で撮影された。当時、朝鮮総督府の見習官吏だった西川さんはセピア色の写真を手に、ため息をついた。
同僚と行った花見で日本人と朝鮮人が2人ずつ記念写真に納まった。うち1人が西川さん。8~20年に総督府に勤めていた。
「朝鮮人への差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」
正式に総督府江原道の官吏になった12年当時、朝鮮には日本の県にあたる道が13あり、その下に市にあたる郡と府、さらに町村にあたる邑(ゆう)と面が あった。職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。
「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはない。ましてや、女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」
◆問題は「河野談話」
韓国は慰安婦問題をめぐり、「20万人以上の女性を慰安婦として強制的に動員した」と主張している。この誤った強制連行説は平成5年の「河野談話」を根拠に世界に流布され、朝日新聞などメディアの報道も後押しした側面がある。
河野談話は、慰安婦問題で「軍の関与」を認め、募集について「官憲等が直接加担したこともあった」とした。しかし、政府が集めた公式資料に強制連行を裏付ける証拠はなく、信頼に足る証言もない。
西川さんは「併合時代の朝鮮はむしろ治安が良かった。何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」と韓国の主張を否定する。
昭和18年、江原道寧越郡の内務課長を務めた際、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。
西川さんによると、男性の労働力を集める官斡旋は総督府が道庁に人数を割り当て、郡、邑、面におりていく。前任者は10人の割り当てでも5~6人しか集められない状態だった。
「だから村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった」と振り返り、こう断じた。
「軍は総督府と指揮系統が別だったが、仮に軍が慰安婦を強制的に集めていたなら、われわれの耳にも入ってくるはず。でも、そんな話は全くなかった」
◆安倍首相に「直訴」
西川さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。
「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もし日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」
国際的に誤った史実として広がっていることに憂慮を深め、2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍晋三首相に郵送したこともある。
「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論だ」
11月上旬の日韓首脳会談では慰安婦問題の交渉加速化で一致したが、日韓の隔たりは大きい。事実がねじ曲げられた現状を正さない限り、真の理解と友好は得られない。西川さんはそう確信している。