戦う島根県、「竹島」及び腰の国を尻目に「日本の領土」と次々発信…韓国無反応「勝てないものには反論しないのがあの国の特徴」

 韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)について、同県が「日本固有の領土」を主張するさまざまな取り組みに力を入れている。県の竹島問題研究会は今年の「竹島の日」(2月22日)に合わせ、韓国の主張への反論も盛り込んだ啓発本「竹島問題100問100答」を出版。歴史的事実などに裏打ちされた「竹島=日本」の根拠を数々示し、国内で反響を呼んだが、韓国側から反論はなかったという。
 一方、今年も竹島の日式典に首相の出席が見送られるなど、及び腰に映る国の対応や進展しない現状に地元では不満も強まっている。(坂田弘幸)
「勝てない主張に反論しない」都合の良い韓国
 「竹島問題100問100答」は、同県が設置し識者らでつくる「竹島問題研究会」が、これまでの研究成果を一般向けに分かりやすくまとめた啓発本だ。韓国側も韓国領有を主張する「独島問題100問100答」を出しており、その主張にも反論する内容に仕立てた。
 「竹島問題-」では、島根県が竹島を領土編入した経緯や、昔の絵図や日本地図などに登場する竹島など、日本領有の証拠となる資料の解説などが行われている。また、「韓国の主張に反論する」という章も設け、「日本の竹島領土編入前に韓国が竹島を実効支配した証拠はあるか」「韓国はなぜ日本海を『東海』にしたいのか」など韓国側の主張の説明とその反論にも力を注いだ。
 韓国側の主張も意識した内容だけに、反論も予想されたが、同研究会座長の下條正男・拓殖大教授は「韓国側はほとんど反応していない」と現状を語る。さらに、「韓国側の特徴として、勝てないものには反論しない」とし、「韓国側が今後、どこを突いてくるか楽しみ」と余裕も見せた。
国の態度が煮え切らないなか、竹島に対するこうした同県の積極的な情報収集、発信の取り組みは内外に評価されている。
 同県で行われている独自の竹島教育で、副教材などの資料を求める声が全国の教育現場などから寄せられているのはその一例だ。
 
竹島漁労の実態解明へ
 韓国側の反論がほとんど出てこないなか、島根県は明治期における竹島周辺での漁業実態の調査に力を入れる方針だ。同県が竹島を領土に編入した明治38(1905)年より前に、隠岐の住民が竹島周辺で漁業を行っていたことを示すことで、県の竹島編入について「島を奪われた」とする韓国の主張への反論になるとしている。
 中でも注目されているのは、隠岐の島町内で「八浦屋(やうらや)」の屋号で活動していたとされる商家。これまで活動の様子がよく分かっていなかった。
 同県の竹島編入の経緯については、竹島でアシカを捕っていた地元の水産業者、故中井養三郎(1864~1934年)が明治37年、アシカの乱獲防止などのため竹島の所属を明確にしたほうがいいと、領土編入を政府に願い出たのがきっかけとされる。
 また、竹島問題研究会の住民への聞き取り調査で、中井が竹島漁労に参入する前の明治30年頃、すでに竹島で漁業が行われていた実態が分かっている。
 それ以前はどうか。隠岐の島町の八幡昭三さん(85)が、当時の様子を父から聞いていた。「明治20年代後半、隠岐から朝鮮に出かけて貿易する人がいた」「旧五箇村福浦(現隠岐の島町)に『八浦屋』という家があり、朝鮮への行き帰りに竹島でアワビを捕って売っていた」-などと証言している。
 研究会は証言の裏付けにあたり、「八浦屋」が「八幡(やわた)」の姓だったことを確認。また、同県浜田市の廻船帳などから八浦屋が明治初期に北前船の廻船業を営み、同20年代後半には竹島でアワビ漁をしていた可能性が高いことも分かった。
 研究会の山崎佳子委員は「八浦屋は隠岐の竹島漁労の先駆者。遅くとも明治20年代後半には、竹島は隠岐の漁業者の生活圏となっていた」と話す。
「竹島の日」国のあいまい対応に不満
 こうした活動が熱を帯びるのも、政府の対応が及び腰に映るからだ。
 「(竹島問題に対する国の姿勢について)あまり変化があったと思わない。このままでは、この(『竹島の日』)式典が形骸化してしまう」
 竹島のある隠岐の島町の松田和久町長は今年の式典後にこう語り、地元の思いと政府の対応の差にいらだちをみせた。
 松江市内で開かれた「竹島の日」式典には約500人が出席。政府は、県が招待状を送った首相や外相らの出席を今年も見送り、昨年に続いて内閣府政務官を派遣した。
 「竹島は歴史的事実からも、国際法上も明らかにわが国固有の領土であり、竹島問題の解決は主権に関わる極めて重要な課題だ。竹島は地元の皆さまにとってふるさとであり、生活の一部だ。政府として、竹島に寄せる思いを重く受け止めている」
 政府を代表してあいさつした亀岡偉民内閣府政務官は、竹島における国の立場を明言した。
ところが、式典後、報道陣に今後の対応を問われると、「諸般の事情を検討する」などと、あいまいな発言に終始した。
 竹島をめぐっては、文部科学省が今年1月、中学、高校の教員向けの学習指導要領解説書改定で「わが国固有の領土」と明記することを決定。式典で、同県の溝口善兵衛知事も「政府が取り組みを強化し、竹島問題をめぐる活動は新しい局面に入った」と、安倍晋三政権の姿勢を評価した。
 しかし、式典には首相らの姿はなく、今後の対応についても、しっかりとした道筋は示されないまま。「式典の形骸化」を心配する松田町長の発言は、竹島問題の早期解決を願う地元の声を代弁している。
 同県では「竹島問題100問100答」の発行後も、「竹島=日本」の証拠を積極的に集めている。こうした取り組みは、国の煮え切らない態度に対する地元の反動ともいえ、国の奮起を期待してのことでもある。

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