宮城県栗原市にある大林寺がいま、韓国メディアの猛烈な取材攻勢にさらされている。大林寺には安重根の記念碑がある。安重根は1909年に日本の初代首相・伊藤博文を中国ハルビン駅で暗殺したテロリスト。一方、韓国では抗日闘争に身を捧げた義士として神格化されている。
暗殺後、旅順の刑務所に投獄された安は、看守の千葉十七(とうしち)と親交を深めた。安は遺墨を千葉に贈り、千葉の死後、その遺墨は大林寺に遺された。そして、その遺墨が韓国へ返還されるとき「安と千葉の記念碑」が建立された。依頼、この寺では「日韓永遠の平和」をいのる追悼法要が毎年行われている。
産経新聞ソウル駐在特別記者の黒田勝弘氏が言う。
「今年1月、ハルビンに『安重根義士記念館』が開館したことを受け、いきなり韓国でも有名になってしまった。でも、韓国では安重根の子孫は『裏切り者だ』として、不当な扱いを受けてきました」
いったいどういうことか。1939年10月、安重根の次男・安俊生は、伊藤博文を祀っていたソウル市内の博文寺を訪問したとき、伊藤博文の次男・伊藤文吉と会っている。
「このとき、安俊生は『父の罪を私が贖罪して、全力で報国の最善をつくしたい』と謝罪し、2人は和解しているんです。韓国側は強制的に謝罪させられたと主張していますが、謝ったのは間違いない事実です」(黒田氏)
元時事通信ソウル特派員のジャーナリスト・室谷克実氏が言う。
「安俊生は暗殺事件の後、母親と一緒に満州やシベリアを転々とし、上海の租界で薬局経営に成功しています。そのため、産業報国に寄与したとして高く評価されました。安重根の息子は日本の植民地支配にとって大きな協力者となったのです」
だが戦後、安俊生の境遇は一変する。『安義士の精神を裏切った民族反逆者』として避難され、しばらくは韓国へ帰国することさえできなかった。そして、ひそかに帰国して間もない 52年、釜山で不遇のうちに病死する。残された家族は、石もて追われるようにアメリカへ移住してしまう。
ハルビンの記念館開館について、韓国の朴槿恵大統領は、中国の習近平国家主席に「韓中の友好協力の象徴になる」と笑顔で語っている。
「日本を敵視することを再優先し、ことさら安重根を英雄視するいまの韓国の姿は、安重根が目指したものとはまったく違っているはずです」(黒田氏)
子孫を追い出した韓国を、安はどう思っているのか。
(週刊FLASH4月29日号)