孫正義氏のツイートをめぐって
拡大を続ける一方の新型コロナウイルス感染症に関して、世界保健機関(WHO)は「パンデミック」(感染症の世界的流行)を宣言した。一方、中国では新規感染者数の増加が急速に鈍化している。流行の震源地が変化しつつある様相である。
日本も心配された感染爆発はどうにか回避されつつあるかのように見えるが、まだ気を抜いてはいけない状況には変わりない。
そんななか、3月11日にソフトバンクグループの孫正義氏が、久々にツイッターを更新し「簡易PCR検査の機会を無償で提供したい。まずは100万人分」と述べた。
それを受けて、多くの人々が孫氏に向けて「医療崩壊を招くからやめてほしい」などと一斉にツイートを返した。ほどなく孫氏も「評判悪いから、やめようかなぁ。。。」とツイートした。
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マスクやトイレットペーパーの買い占めなど、パニックになる様子ばかりが報道されていたが、現実はこんなに冷静な判断ができる人々が大勢いることを知って、私はほっと胸をなで下ろした。
それとともに、これでまたメディアの偏った報道ぶりの一端がうかがえた。これまでメディアが繰り返し報じてきたのは、パニックになる人々の様子ばかりだった。それはたしかに興味を引きやすく話題性がある。一方、冷静な人々を報道してもニュースとして面白くない。
これまで、テレビで報道されたパニックの様子は、実は一部の人々の行動を切り取ったにすぎなかったのである。メディアは、市民のこうした賢明さもきちんと報じるべきである。
PCR検査の論点
今回話題になったPCR検査については、前回私自身も「現代ビジネス」にその問題点について寄稿した(新型コロナ、全日本人が知っておきたい「大騒動の論点」)。
おおまかに論点をまとめると、以下のとおりである。
・PCR検査は感度が低く偽陰性が出やすいなど精度に問題があるので、検査が万能だという前提で話をするのは危険だ。
・検査で陰性になっても、感染を見落としている危険性があり、十分な感染予防にはならない。
・事前確率(発生率)の低い集団に検査をすると、多くの偽陽性(実際には感染していないのに検査では陽性となる)が出てその人たちが医療機関に殺到すると医療崩壊を招きかねない。
孫氏も、「評判が悪いから」ではなく、こうした科学的知見に基づいて今一度判断していただきたい。
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専門家の陥穽
私はまた、今回の一連の騒動のなかで、不安に駆られて非合理的な行動を取る人々について、度々警鐘を鳴らしてきた。
そして、不安を煽るメディア、パニックを政争の具にしようとする政治家などの言動についても、感染症の動向と同じく注視する必要があることを主張した。
今回特に着目したいのは、メディアに頻繁に現れる「専門家」についてである。ここで、わざわざカッコ書きにしたのは、専門家かどうかあやしい人々がたくさんいるからである。
たとえば、日本の検査数が少ないことを取り上げ、「検査したくてもできない人がいる」「病院が保健所に検査を依頼しても断られる」ということを広く発信し、市民に不安を与えた張本人は、ワイドショーに頻繁に出演する「専門家」と言われる人々である。
毎日テレビで顔を見ないことがない白鷗大学の岡田晴恵教授は、検査の拡大を大声で主張し続けている。
また、同じ番組にコンビのように出演している開業医の大谷義夫医師は、わざわざ自身の病院にテレビカメラを入れて診療場面を公開し、「肺炎の疑いがあるのに検査ができない。コロナウイルス感染症ではないと思うが、検査ができれば陰性だとはっきり言えるのに」と訴えていた。
まず、風邪症状があるだけのような人はもちろん、単に肺炎の疑いがあるだけの人まで全員に検査する必要はないし、弊害のほうがはるかに大きい。
それは繰り返しになるが、検査は万能ではないし、検査をしても「陰性だとはっきり言える」ことはない。そして検査は、事前確率の小さな集団にやるよりは、スクリーニングの結果を踏まえて確率が大きな集団に実施すべきである。
つまり、厚生労働省や専門家会議が述べているように、熱が4日以上続いている、感染者との接触歴があるなどの基準を設けて優先度の高いグループから実施することが重要である。
別の日の番組でコメンテーターの1人が「この検査はそんなに感度が高くないようで、検査を増やすと本当は陽性なのに陰性と出てくるような意見を聞いたんですけど、それはどうなんですか?」と疑問を呈したところ、岡田教授も大谷医師も見事にしどろもどろになって的外れの回答に終始していた。
岡田教授は、「たとえ感度は7割であっても,そこで黒は黒と見つけることが大事なんですね。大谷先生、そこどうなんでしょうか?」とすぐに大谷医師に話を振り、いきなり話が回ってきた大谷医師は視線を泳がせながら「1回陰性であっても何度も検査すればよいと思います。そうすると感度も上がる」と答えていた。
びっくりするくらい間違いばかりで、基本的なこともわかっていないのが明白である。「黒は黒」と言っても、感度が7割ということは、その7割しか当たっていないということだ。
また、感度というのは検査に固有の値であって、何度も検査すれば上がったり下がったりするようなものではない。検査を繰り返して上がる可能性があるのは、陽性的中率である。
話題になった陰謀論
さらに、岡田教授に至っては、「検査が十分に受けられないのは、民間に検査を委託してデータが外に流れてしまうのを恐れた感染研(国立感染症研究所)OBが、データを独り占めしたいから邪魔をしているのだ」という趣旨の陰謀論を「暴露」し、大きな話題となった。ほかに複数のメディアで検査妨害についての報道がなされた。
このような報道に対して、感染研の所長が声明を出して厳重に抗議した(「新型コロナウイルス感染症の積極的疫学調査に関する報道の事実誤認について」)。
声明では、感染研の職員は、感染症が流行した際の実態調査(積極的疫学調査)を実施しているが、それは感染の拡大を防止するのが目的であること、調査の過程で検査妨害などは一切していないこと、検査のアドバイスをするなかでPCR検査の優先順位が下がるケースについて助言したことなどを述べ、事実誤認が拡大していることに懸念を表明した。
感染研の調査は、法律に基づいて実施されているものであるし、検査の優先順位は厚労省や専門家会議の意見を踏まえてのものである。それらは、データや科学的エビデンスに基づいたものである。
一方、岡田教授の陰謀論は、誰かから聞いた噂話のたぐいにすぎず、根拠がきわめて不明確である。
そんな噂話程度の根拠に基づいて、さも重大な陰謀によって検査が邪魔されているかのような話をテレビ番組で垂れ流すこと、そしていたずらに国民の不安を煽って不信感を焚きつけるのは、専門家とはいえない非常に無責任な態度である。
報道では「裏を取る」ことの重要性がよく指摘されるが、この話の裏は取ってあるのだろうか。そして感染研の所長の異例の抗議にもかかわらず、翌日以降もその抗議はスルーしたままでテレビに出て無責任な話をし続けている態度には驚くほかない。
裏を取っていない単なる噂話に過ぎないのであれば、デマだと言われても仕方ない。ただでさえ多忙をきわめている感染研に対して、このようなくだらないことに反論する時間や手間を取らせること自体腹立たしいし、真摯に職務を遂行している職員への冒涜である。
岡田教授は涙を流さんばかりの様子で、「論文がどうだとか、業績がどうだとかよりも、人命がかかっているんです」と訴えていたが、本当の専門家であれば、科学的根拠や裏付けのある話をしてほしいものだ。
岡田教授の「暴露話」を聞いたあと、スタジオは一瞬凍り付いたような雰囲気に包まれ、コメンテーターの一人は「野党、これ国会で追及してください」と訴えかけたが、野党もそこまでは馬鹿でないと思う。
本当に専門家なのか
岡田教授にしても、大谷医師にしても、感染症や呼吸器疾患が専門であることは間違いないのであろう。前者は感染研出身であるし、後者は一般向けの書籍もたくさん出している。これまでのテレビ出演の実績も多いようだ。
しかし、これだけ国民の関心が高い問題について、そして皆が不安を高めているなかで、きちんと科学的に説明ができるだけの専門性があるかというと、それは非常に疑わしい。
テレビ局は、いったいどのような基準で専門家を選んでいるのだろうか。おそらくは、これまでも局の番組に出演実績があり、出演交渉を受けてくれて、なおかつ話が分かりやすい人という基準は重要だろう。
専門性については、著名である、本を出している、有名な大学や機関に所属しているなどということも大きいかもしれない。岡田教授にしても、大谷医師にしても、そのいくつかに当てはまる。
しかし、科学者の端くれとして、私はその人の専門性を見るときに、専門の学術論文がどれくらいあるかということがまず重要な基準であると考えている。
有名であるとか、本を出しているとかは基準としては、さほど重要でない。テレビや雑誌で有名な人でも専門家として疑問のある人はいくらでもいる。また、本は著者と出版社がOKであれば出せるが、論文は同じ科学者の査読を経ないと出版されないためハードルや質が高い。
実際、調べてみたが、大谷医師はもちろんのこと、大学に勤める研究者であるはずの岡田教授は、雑誌記事の類はたくさんあるが、学術論文は1998年を最後に1本もない。
研究者が自身の研究業績を発表するResearchGateやreserchmapなどには名前すらなかった。こういう人は普通、専門家とは呼ばない。
不安のあまり陰謀論に与して、WHOや厚労省を軽視する風潮があってはならない。もちろんWHOや厚労省も万能ではなく、たくさん間違いも犯すだろう。とはいえ、誰かの噂話よりはよほど信頼が置ける。
ここで誤解のないように付言すれば、WHOや厚労省が権威のある機関だから信頼するのではない。少なくとも科学的エビデンスに基づいた情報である限りは、これらの機関の情報に頼ろうということである。
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誰を信じればよいのか
今回のコロナ騒動をめぐっては、いろいろな専門家がテレビやネットで意見を開陳している。そして、人によって言うことが違うということも混乱に拍車をかけている。
あるテレビ番組では、東国原英夫氏が「困るのは専門家によって言うことが違うということ。右往左往している。こういうときは、どっか司令塔に意思統一してほしい」と述べていた。これもまた危険なことである。権力やメディアが科学者の言うことに規制をかける社会など、考えただけでも恐ろしい。
たしかに、「マスクをしろ」という人がいたかと思えば、「マスクは大して役立たない」という専門家がいたり、「積極的に検査をしろ」という専門家がいれば「それはいけない」という専門家もいる。聞いているほうは、どれが正しい情報かわからず混乱する一方だ。
私も、大学の授業の時に学生から「先生によって言うことが違うのですが、何を信じたらいいのですか」と聞かれたことがある。そのようなとき私は、「先生を信じるよりも、データやエビデンスを頼ってください」と答えている。
重要な判断をするとき、あの先生が有名だ、本をたくさん出している、あの先生が偉い、好きだなどという曖昧なことを根拠にしてはいけない。また、データにも質の違いがあり、データであれば何でもよいわけではない。どのようなデータを選ぶか、データの質を吟味するには、高い科学的リテラシーが要求される場合がある。さらに言えば、科学だって限界はあり、データだけに頼りすぎることも危険である。
こんなことを言うとますます混乱するかもしれないが、せめて今できることは、メディアが専門家を選ぶ際の基準を厳格にすることだろう。そしてメディアに携わる人々は、ぜひ科学的リテラシーを高めるように勉強してほしい。
これはまた、メディアだけでなく複雑な時代を生きるわれわれすべてにも当てはまるだろう。
今回の騒動で奇妙なことは、感染症という問題に政治的立場を持ち込んでいる人が、メディア上ではとても目立つということである。
つまり、反権力の人たちが、政府や厚労省に反対するあまり、非科学的な陰謀論や特定の「専門家」たちに踊らされているという構図である。
感染症に立ち向かうとき、政治や思想も大事かもしれないが、まずは科学的な思考を一番の拠り所として、普段の立場を離れて共に手を携えることができないものかと思う。
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科学との付き合い方について、アインシュタインはこのようなことを述べている。
科学など現実の世界に比べると素朴で他愛もないものだ。それでもやはりわれわれが持てるもののなかで、一番貴重なものに変わりない。
繰り返すが科学も万能ではない。だからと言って、噂話や陰謀論など、より頼りにならないものに頼ることは危険である。