日本、米国、中国――お金に、一番無計画な国民は?

なぜ貯金好きはお金持ちになれないのか?:
 日本人、米国人、中国人。この中でいちばん計画性のない国民は誰? こう聞くと、ほとんどの日本人は、無計画は米国人で、日本人はもっとも計画性の高い国民であると答える。しかし、驚くべき事実が浮き彫りになった。
●日本、米国、中国。お金に、一番無計画な国民は?
 日本人、米国人、中国人。この中でいちばん計画性のない国民は誰だ?
 こう聞くと、ほとんどの日本人は、無計画は米国人で、日本人はもっとも計画性の高い国民であると答える。しかし、そんな思い込みを一瞬にして破壊するアンケート結果をご紹介したい。
 東京スター銀行が日本、米国、中国のビジネスマン(各300人)に質問した意識調査の結果(PDF)を2011年に公開している。
 ここから驚くべき事実が浮き彫りになった。なんと日本人の8割が「とくに明確な目的や使用用途がない念のための貯蓄」をしており、日本人の4割が「人生設計(ライフプラン)を持っていない」と回答している。
 消費志向が強くて刹那的と思われがちな米国人ビジネスマンの多くは、ライフプランを持っていて、貯蓄のために生活を切り詰めるなどの努力をしている、自分の将来に期待している、という回答がどれも70%を上回っている。
 中国人は実に9割以上の人が将来の人生設計を持ち、その実現のために貯蓄や投資を積極的に行っているとの回答なのだ。
 同銀行のリポートは、これをひと言で次のように要約している。
各国の貯蓄像
 ・具体的な貯蓄目的や人生設計もなく、将来への希望も持てない「日本人」
 ・具体的な人生設計を持ち、その実現のために貯蓄や投資に励む「中国人」
 ・生活を切り詰めてまでも、定期的に貯蓄を行う堅実な「米国人」
 この調査結果から見て、日本人のお金との付き合い方には、具体的に3つの問題点があると言える。1つは、お金に対する目的意識がないこと。76%の日本人が目的もなく、何となくお金を貯めている、という結果になっている。まるで日本人は人生という長い航海に海図もコンパスも持たずに、何となく出かけていっている状態だ。これでは遭難もするはずだ。
 2つめは、日本人は過度に心配性だということだ。日本人の9割以上が、将来のお金について何らかの不安を感じている。自分の将来を楽観している人はわずか3割と、米国・中国の7~8割よりかなり低くなっている。
 3つめは、お金の運用が無計画でリスク回避型であることだ。定期的に貯蓄している人の比率は3つの国の中で最低レベルの43%。また、投資をしている人の比率も35%と極端に低いのである。
 サンプル数の少ない調査なので、これが日米中の本当の姿なのかは断言できないが、少なくとも、私の体験から推測できる日本人パターンとは一致している。
 つまり日本人の多くは、ばくぜんとした不安からお金は貯めようとするが、具体的な計画や戦略がなく、したがって思い切った投資にも踏み込めない国民なのである。だから、日本人には、資産運用の正しい知識とそれを実践する勇気が欠けているとも言えそうだ。
●リスクを避けるだけの安定志向は高くつく。そこが投資ベタと言われる原因
 GDPの大きさでこそ中国に抜かれて世界第3位に後退したものの、日本は世界で有数のお金持ちの国であることに変わりはない。現実に大金持ちもたくさんいる。
 例えば、国連大学世界開発経済研究所(UNU-WIDER)が2006年12月に公表した統計に次のようなものがある(Pioneering Study Shows Richest Two Percent Own Half World Wealth)。
 世界中の個人資産を世界の人口で割ると、1人当たりの富は2万5000ドル(約200万円)だが、日本人の個人資産は平均で4倍の800万円もある。1人当たりの個人資産では、米国人に次いで依然として世界第2位。しかし、そんなお金持ちの日本人のマネーリテラシーは低く、投資下手と言われるのはなぜなのだろう。
 日本人のお金の扱い方が下手なのは、その精神性にあるという意見もある。確かに、日本人は心配性で悲観的。倒産したリーマン・ブラザーズの元社員よりも、破綻寸前のギリシャ国民よりも、誰よりも未来を心配しているように見える。
 心配、恐怖という感情は自己防衛本能から発生する。何億年も前から動物は過酷な自然環境の中で危険を察知し、自分の生存を守りながら生き抜いてきた。だから私たちが、心配し怖がり悲観することは種の保存の上から見れば、とても健全な性質だといえる。バカじゃ生き残れない。ある意味でこれは強みだ。
 心配性は、自分の身を守るために生まれる正当な本能だが、依存することによって心配は習慣化する。例えば、景気が悪いから政府に経済対策を打てと言う、仕事がないから失業保険を出せと言う、お金がないから生活保護をくれと言う。つまり、心配することによって外部から救いの手を差しのべられる体験を続けることで、人は心配することの正当性を発見する。
 また、心配することで得られること──それは、心配していれば自分の努力を放棄できできること。つまり、人は心配することで何もせず、自分が前向きに行動することを回避してしまうのだ。
 もちろん、1億円もの資産を作ろうと考える人は安全志向のままではいない。1億円を作れる人は、ただ心配するだけの人生なんて楽しくないと考えている。
 私のお客様の中にも心配性な人が数人いた。しかし、私のアドバイスによって考え方を一変させた。今、彼らが実践しているのは、明確な希望を持ち続けること。たとえ順調な道のりでなくても、その現状を肯定的に意味付けること。そして、感情を克服するルールを持つことである。
 具体的にいえば、彼らはみな自分の人生の「ある目的」のために、お金を増やす必要を感じている。そのためには30年後までに1億円を作ることを命題と考えている。
 しかし、世の中そうはうまくいかない。世界金融危機や天災地変で順調にはいかないのだ。それでも彼らは腐ることなく、この厳しい時代に適合した投資ポリシーを見つけ出して挑戦を続ける。うまくいくまで選択肢を探し続ける。こんなふうにして、たくましく投資を続ける人たちがいるのだ。
 命の次に大切なお金だから、心配する気持ちも分かる。しかし心配に安住せずに、その心配を解消するアクションを起こせる気持ちを持っていたいものである。
 あのヘレンケラーは、こう言っている。
 「人生とは果敢なる冒険、さもなければ無である」と──。(つづく)
[北川邦弘,Business Media 誠]

タイトルとURLをコピーしました