日本から百貨店がなくなる日――そごう・西武の売却から考える“オワコン業界”の今後

昭和の高度成長期に幼少時代を過ごしたわれわれの世代には、デパートは欲しいものにあふれた、まさに夢の国的な憧れの場所でした。銀座で仕事をしていた父に連れられて松坂屋や三越や松屋で買い物をすることは、この上ない特上の体験として今も深く記憶に刻まれています。そんなデパートが、いや百貨店業界が崩れていく――。昨今の業界を巡るニュースを、複雑な思いで受け止めています。

 セブン&アイ・ホールディングス(以下セブン&アイ)が、傘下の百貨店「そごう・西武」の売却を決め既に入札が始まっているようです。オワコンといわれて久しい百貨店業界ですが、流通の雄であるセブン&アイがその再生・活用にさじを投げたともいえる今回の件は、今後の業界動向を大きく揺るがすきっかけになるのかもしれません。

 百貨店業界は大きく2つに分類されます。

 一つは江戸時代にその起源を持つ歴史のある名門呉服屋系。高島屋、三越、伊勢丹、大丸、松坂屋などがこれに当たり、彼らは一等地に店を構え、かつ古くからお得意様という名の多くの富裕層顧客に支えられてきました。

 もう一つは後発の主に電鉄系百貨店で、戦後電鉄会社の沿線住宅開発に伴って始発駅を始め主要自社ターミナル駅に店を作り、スタートは鉄道利用の促進を狙ったものでした。言い換えれば、富裕層の地盤を持たない(東急の田園調布や阪急の芦屋のような、自社が作った沿線の富裕層住宅地域の住民を除き)大衆向け量販型百貨店というくくりになるでしょう。

●そごう・西武 「大衆向け量販型百貨店」の歴史

 旧そごうは電鉄系ではなく呉服屋系ではありますが、関西の中小呉服店がその起源であり、富裕層取引に弱く昭和における戦略は電鉄系と同じ大衆向け量販型にならざるを得ませんでした。しかも高度成長期においても店舗数は全国で3店舗と出遅れ感は半端なく、一等地は既に老舗百貨店に占有されていました。

 そのそごうを一気に大手百貨店に押し上げたのが、日本興業銀行から転じた故・水島廣雄社長です。水島氏は都内一等地出店を諦め、レインボー作戦と銘打ってその周辺地域である横浜、千葉、大宮、八王子など、都心部を囲む戦略で出店攻勢をかけ、バブル期には全30店舗にまで拡大し、横浜店は売り上げが世界一を誇るに至りました。

 旧西武百貨店は生粋の電鉄系であり、かつ沿線に富裕層向けの高級住宅地も持たないがゆえに、典型的な大衆向け量販型百貨店であったといえます。それを大きく発展させたのは、西武鉄道創業者である堤康次郎氏の次男の故・堤清二氏です。文筆家でもあった氏の「感性経営」で、渋谷西武やグループのパルコ、ロフトを若者文化のリード役的ブランドに成長させ、若い世代を中心とした大衆を大きく呼び込んで事業の拡大を図りました。時まさにバブル期。出自が同じような立場にあったそごうと西武は、バブル期に同じようにカリスマ経営者に導かれて大衆を大きく取り込んで一時的な大発展を遂げたのです。

 そごうと西武、バブルに支えられ急成長を遂げた大衆向け量販型百貨店は、その衰退もまた同じようにバブル崩壊とともに訪れました。そごうはバブル期の多額の借金に押しつぶされる形で2000年に経営破綻。西武は03年に2200億円の債権放棄による私的整理と相成り、再起を期した両社統合を経て、06年にセブン&アイ傘下に入るわけです。当時のセブン&アイ会長で「小売りの神様」と呼ばれたカリスマ経営者の鈴木敏文氏が、「流通の各業態を複合的に結び付け、グループとしてのシナジーを生ませる」と、力強く胸を張ったのが印象的でした。

 しかし、既にオワコンだった百貨店の再生は一筋縄ではいかないわけで、そこにさらに外資も入り乱れてのファストファッションの台頭、一流ブランドショップが低価格で商品提供するアウトレットモールの林立、手軽にさまざまな商品が手に入るECビジネスの拡大などが追い打ちをかける形となるわけです。しかもそごう・西武に不幸だったのは、セブン&アイ傘下入り後の相乗効果に自信を見せていた「神様」鈴木敏文氏が、再建改革の志半ばで社内抗争に敗れ退任を余儀なくされたことです。鈴木氏が健在であったなら、どのような次の一手を打っていたのか、今では知る由もありません。

 21日に締め切られたそごう・西武への一次入札には、既に複数の応札があったといいます。同時にそれらは全て投資ファンドだとの報道もされています。事業会社には多額の資金を投じて買い取っても、もはや収益モデルを描けないというのが実情なのでしょう。そごう・西武の行く末は、不動産と流通ビジネスが解体・売却の憂き目に会って、その名が跡形もなく消滅するのではないかという予感も漂います。他の電鉄系百貨店も、業態転換等の思い切った改革が功を奏さないならば、早晩同じような運命が待ち受けているのかもしれません。

●百貨店が参考にすべき金融機関の取り組み

 ここ2年のコロナ禍は、電鉄系はじめ大衆向け量販型ばかりでなく、名門である呉服屋系の百貨店をも大きな苦境に陥れています。ただ名門呉服屋系には古くからのお得意先という名のそれなりに厚みのある富裕層取引があるので、生き残り策としてその強みを生かした戦略が描けるなら一縷(いちる)の望みがあるとも感じられます。富裕層の購買意欲はコロナ禍にあってもかなり旺盛で、日本百貨店協会の調べでは、コロナ禍で全体の売り上げが伸び悩む中、「美術・宝飾・貴金属」の売り上げが前年比約30%増(東京地区)というデータが出ています。

 ちなみにこの流れは、近時の大手金融機関の戦略とよく似ています。金融取引はネット活用によって安価な手数料で大半がスマホで済む時代になり、収益性を重視する立場での銀行や証券会社の関心はリアルの富裕層取引をいかに膨らませていくかに移ったといえます。具体的には、メガバンクではマス個人層を軒並みコンビニバンクとネットバンクに誘導しコストを抑えることに主眼をおいており、新たな収益源は富裕層向けのオーダーメイド取引拡大に移行しつつあります。ネット証券の隆盛によって、売買手数料が限りなくゼロに近くなった大手証券会社もまたしかりです。富裕層取引重視は、ネット浸透社会における個人向けリアルビジネスの最重要ピースなのです。

 名門である呉服屋系百貨店は小売業界でそれができる数少ない存在であり、三越伊勢丹では既にその動きが出ています。

 同社の「顧客別PL(損益計算書)」作戦がそれです。年間購買額に応じて顧客を4つ以上の階層に分類し、階層ごとに販促費予算を決めて戦略的にそれを使うことで、全体の収益を上げるという手法です。すなわち、大衆向けの売場人員を減らして現在全国約30万人の外商人員のさらなる増加に充てるとか、年間購買額が一定以上の顧客だけを対象とした催事やネットでの販売会も企画し、富裕層取引を全体売上のけん引役として明確に位置付けていくのだといいます。

 同じ名門呉服屋系の大丸松坂屋は、少し状況が異なります。銀座店など一部の付加価値が高いリアル店舗は、世界の高級ブランドショップへの賃貸をメインとして不動産業収入で底支えしつつとしての一面を持たせつつ、その高級ブランド品を外商が富裕層顧客に売り歩くスタイルをとっています。不動産賃料という安定収入を得ながらも、外商ビジネスの利幅の縮小や、バイヤーの仕入れ力の低下など、問題を内包しているのも事実でしょう。不動産をあくまで自前で活用し売り場の人件費負担を強いられる三越伊勢丹、外商利益は削りつつも不動産収入で基盤を固める大丸松坂屋、現状ではまだどちらも決め手に欠く印象が強いです。

●海外動向から探る「再生キーワード」

 一方海外からは、業界にかすかな陽を照らすような動きも聞こえています。タイの小売り最大手セントラルグループが、欧州の名門百貨店を次々傘下に収める動きがそれです。

 イタリアのリナシェンテ、デンマークのイルム、ドイツのKaDeWe、スイスのグローブスに続いて、英国の名門百貨店セルフリッジズを買収したとの報道がありました。その狙いは、世界の名門百貨店との連携によりコロナ禍にあってなお購買意欲旺盛なアジア市場への積極的な商品投入を行い、オムニチャネル化も含め相乗効果を狙うとのことです。特に高級ブランドとの結び付きが強い欧州の百貨店は、強力な推進エンジンになると見ているようです。しかし多額の投資が前提であり、狙い通りの効果が出るには時間が必要との報道も同時に伝わっており、まだまだ国内のヒントにするには心もとない状況です。

 このように富裕層取引、高級ブランド、オムニチャネル化、不動産活用など、百貨店再生のキーワードはいくつか見えてはいます。それらをいかに掛け合わせて新たな成長戦略を描いていくかが、百貨店生き残りの道であることは間違いありません。しかしそれが一筋縄ではいかないからこそ、セブン&アイがそごう・西武を放り出すことになったともいえます。すなわち、これら再生キーワードのバランスが崩れれば、名門百貨店でもそごう・西武のようにファンド主導で最悪は解体・バラ売りもあり得るのではないか、ということになるのでしょう。

 つい先日、銀座と浅草の2店舗を単独路線で生き抜いてきた老舗百貨店の松屋が、所有の銀座コアビルの敷地や建物の一部を再開発に絡んで不動産会社に売却したとの報道がありました。資産売却によって手元資金を確保し、利益計上もして見かけ上の黒字化を優先する動きが出てきたと見ています。言い換えれば、いよいよ百貨店の所有資産、所有財産の切り売りが始まったともいえます。百貨店の明日は、ファンドによる買収~解体か、はたまた自己資産の切り売りによる縮小~消滅か。昨今の業界を巡るニュースからは、「百貨店が日本からなくなる日」が現実味を帯びてきたとの印象ばかりが感じられます。われわれが子ども時代から特別な存在として憧れ親しんだ「夢を売る百貨店」の復活はもう望めないのでしょうか。

(大関暁夫)

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