2023年、GDPが世界4位に転落した日本と入れ替わる形で3位に浮上したドイツ。国内ではさも「円安が原因」と語られるが、在ドイツジャーナリストの熊谷徹氏によれば、真の原因は30年以上前のバブル崩壊から広がり続けた成長率の差にあるという。 【マンガ】オーストラリア人が「日本のうなぎ」を食べて見せた「衝撃の反応」 (本記事は8月22日発売『ドイツはなぜ日本を抜き「世界3位」になれたのか』より抜粋・編集したものです)
21世紀に入って、日独間の成長率の格差が広がった
2023年に日本の名目GDPがドイツに抜かれて世界4位になった背景には、長期的な理由と短期的な理由がある。長期的かつ、今回の順位逆転を引き起こした主な理由は、21世紀に入って日独間の名目GDP成長率の差が開いたこと。そして生産性の差だ。短期的かつ副次的な理由は、2022年以降のドイツのインフレと、円のドルに対する交換レートの悪化、すなわち円安だ。この章では、まず順位逆転の主因である、日独間の成長率の格差についてお話ししたい。 日独の名目GDPの長期的な推移を比べると、21世紀に入ってから、ドイツの名目GDPが日本を上回る速度で増え、両国間の差が急激に縮まったことがわかる。ここでは、1970年代までさかのぼるために、経済協力開発機構(OECD)のデータバンク(OECD Data Explorer)を使った。 OECDの名目GDPの金額は、IMFや内閣府の数字とは異なるが、これは日独の 通貨をドルに換算するために使った交換レートの違いによるものと思われる。数字が多少異なっても、両国の名目GDPの変化のトレンド(趨勢・傾向)を知るためには、OECDの統計を使うことは適切だと思う。 私は1970年から2022年までの期間について、日独の名目GDPの11年ごとの変化率を比べてみた。1970年の日本の成長率は目覚ましかった。1950年代からの高度経済成長の余韻が続いていたかのようだ。日本の名目GDPは1970年~1980年に201・8%も増えている。大阪万博の開催、日本の先進国首脳会議(サミット)参加など、日本が輝いていた時期である。この時期の日本の名目GDP成長率は、ドイツの名目GDP成長率(159・4%)を大きく上回った。1980年の日本の名目GDPは1兆505億ドルと、ドイツ(8148億ドル)の約1・3倍になった。 1980年~1990年の日本の名目GDP成長率もバブル景気の影響で134・1%と高くなり、ドイツ(89・6%)を上回った。1990年の日本の名目GDPは2兆4588億ドルと、ドイツ(1兆5450億ドル)のほぼ1・6倍になった。1989年末には日経平均株価が、取引時間中に3万8957円44銭という当時の最高値に達した。
バブル景気の狂熱
私は1982年から8年間、日本と米国でNHKの記者として働いたので、バブル拡大期の日本の異常な熱気をよく覚えている。 当時日本企業は、ニューヨークのロックフェラーセンターや、カリフォルニア州のゴルフコースなど、米国の不動産を市場価格を上回る値段で次々に買収していた。ある日本企業は儲かりすぎて納税額が大幅に増えそうになった。そこで費用を増やして収益を減らすために、イタリアからヘリコプターを輸入する子会社を作り、ある商社員をスカウトしてローマに駐在させていた。収益と納税額を減らすためだけに、外国に子会社を作ったのだ。 銀座のクラブなどでは、1本30万円のフランスの高級シャンペン、ドン・ペリニョンが一晩で何本も空になった。 銀座や六本木は、深夜にタクシーで帰宅しようとする客であふれた。当時、多くのビジネスパーソンが会社からタクシー券を支給され、帰宅する際に使っていた。深夜の繁華街ではタクシーを待つ客が長い列をなし、順番をめぐって殴り合いの喧嘩が起きた。 一部のタクシー運転手たちの態度は、今よりも傲慢だった。運賃が2000円~3000円程度の目的地に行こうとすると、運転手が「近すぎる」と乗車を拒否することがあった。運転手たちは、千葉県や神奈川県などに帰る客をつかまえようとしていた。運賃が1万円を超えるからだ。あるフランス人女性は、午前零時過ぎの六本木で長時間待ってもタクシーがつかまらないのに業を煮やし、車道に大の字に横たわって、タクシーを停めた。現在では考えられない狂熱が、社会全体を覆っていた。
バブル崩壊後、日独の成長率に差
1990年のバブル崩壊は、日本経済に冷水を浴びせた。1990年~2000年の日本の名目GDP成長率は、1980年~1990年の約3分の1の40・8%に激減した。この時期には山一証券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、北海道拓殖銀行、中堅生命保険会社などが次々に廃業・破綻に追い込まれた。破綻を免れた銀行でも、十分に担保を取らないで融資を行う不正融資などが次々と表面化し、経営陣が責任を追及された。日本興業銀行や東洋信用金庫など12の金融機関が、大阪の料亭の女性経営者尾上縫に総額2兆7736億円も融資していたことも発覚した。個人への融資総額としては過去最高だった。尾上は詐欺の罪で懲役12年の実刑判決を受けた。バブル時代を象徴する異常な事件だった。 バブル崩壊のため日本の1990年~2000年の名目GDP成長率(40・8%)は、ドイツ(44・8%)に追い抜かれた。日独間の成長率の格差は、21世紀に入ってさらに広がる。2010年~2020年のドイツの名目GDP成長率は51・2%だったが、この時期の日本の名目GDP成長率は18・4%とドイツの3分の1程度だった。 2000年から2020年までの日本のGDP成長率は54・6%だったが、ドイツの成長率は日本の2・1倍の115・3%だった。図表2‐1を見ると、1990年代まで日独間で広がっていた名目GDPの差が、2010年代以降急激に縮まったことがわかる。 様々な経済危機によるショックも、日本ではドイツより大きかった。たとえばリーマンショック直後の2009年にドイツの名目GDPの前年比の成長率がマイナス2・9%だったのに対し、日本ではマイナス4・9%と大きかった。またドイツでは、コロナ禍による名目GDPの前年に比べた成長率がマイナス0・5%だったのに対し、日本ではマイナス0・9%とドイツを上回った。
日本の成長力の鈍化
つまり2023年にドイツのインフレや円安が原因で突然日本の名目GDPがドイツに抜かれたわけではなく、それまでの20 年間に日独間で成長率に差が生じ、名目GDPの差が狭まっていったことが、順位逆転の大きな理由だ。2022年のドイツの名目GDPは、日本の94・7%の所まで迫っていた。最後の5・3ポイントの差をなくしたのが、2023年のドイツのインフレと円安だった。 日本政府の林芳正官房長官も、2024年2月15日の記者会見で「ドル換算のGDPは物価や為替レートの動向に大きく影響を受けることから留意が必要だが、日本ではバブル崩壊以降、企業が国内投資を抑制し、結果として消費の停滞や物価の低迷、さらには成長の抑制がもたらされたと考えている」と述べ、日本の成長力の鈍化が一因という見方を示した。
日本の1人当たり名目GDPがG7で最下位に転落
私は、国民の満足度や幸福度を測るための物差しとしては、GDPの総額よりも、GDPを人口で割った1人当たりのGDPの方が重要だと考えている。 GDPの総額が多くても、人口が多いために、国富が市民一人一人に行きわたる分が少なければ、人々の満足度は低くなる。逆にGDPの総額が少なくても、人口が少なければ、市民に行きわたる国富は、相対的に多くなる。たとえば金融サービス企業が多いルクセンブルクやスイスのような小国では、1人当たりのGDPが世界でもトップクラスだ。逆に中国やインドのように人口が10億人を超えている国では1人当たりのGDPは小さくなり、しばしば貧富の差が大きくなる。 ちなみにスイスの人口は約880万人。ルクセンブルクの人口は約66万人にすぎない。したがって、人口が約1億2400万人の日本と比べるのは無理がある。これに対しドイツの人口は約8470万人なので、日本と比べるには適した国である。 さて2023年12月25日、内閣府はこの1人当たりGDPについて、衝撃的な数字を発表した。その内容は、名目GDPの総額でドイツに抜かれたというニュースよりも深刻だった。 内閣府は、OECDの統計などを基にして、「2022年の日本の1人当たり名目GDPが3万4064ドルと、OECD加盟国中で第21位になった」と発表した。日本は2021年の第20位から、第21位に転落した。イタリア(3万4733ドル)に抜かれて、G7諸国の中で最下位になった。ドイツの1人当たりGDPは4万8717ドルで、第16位。日本よりも43%多い。 つまり日独間の1人当たり名目GDPの差は、名目GDP総額の差よりもはるかに大きいのだ。 内閣府は先の統計の中で主要国だけを取り上げており、OECD加盟国の全ての数字を公表していない。そこで2024年4月にIMFのデータベースを見たところ、すでに2023年の1人当たり名目GDPのランキングが掲載されていた。このリストを見ると、日本(3万3950ドル)の順位は第34位。G7の中で最低だった。ドイツの1人当たり名目GDPは5万2824ドルで、第20位だった。日本よりも約55%多いことになる。 【続きはこちら】実はドイツ国内で「大不評」だったのに…日本を抜いてGDP「世界3位」になった「驚きの改革」
熊谷 徹(フリージャーナリスト)