日本は既存ダムの運用を見直すことで、さらに多くの純国産電力を生み出せる──。川治ダム、大川ダム、宮ケ瀬ダムといった巨大ダムの建設に従事してきた元国土交通省河川局長の竹村公太郎氏(日本水フォーラム代表理事)が、日本特有の自然環境とダムの現状を踏まえて、日本がとるべきエネルギー戦略を提示する。(JBpress)
水力発電は高度経済成長のエンジンだった
第2次大戦で敗戦した日本は廃墟になった。第2次大戦は「石油をめぐる戦い」であった。戦後、日本は世界銀行から借金をして水力発電開発に向かった。
その代表が、三船敏郎と石原裕次郎が出演した映画『黒部の太陽』(1968年公開)の黒四ダム(正式名称は「黒部ダム」)発電事業だった。当時高校生だった私は、この映画を観て、ダムを造る土木技術者になろうと決めた。
我々の年代にとって、水力発電は最も当たり前の国産エネルギーであった。水力発電は日本の戦後の高度経済成長を支えた、文字通り“エンジン”であった。
しかし、50歳以下の多くの人々は水流がエネルギーということを身近に感じない。日本の高度成長を支えたのは水力発電だったことも知らない。
「水流は太陽エネルギー。ダムは太陽エネルギーの貯蔵庫」という観点から水力発電を再認識する時期に来ている。
ベルの予言「日本は水力発電で発展する」
今から1世紀以上前の明治31年(1898年)に、グラハム・ベルが来日した。ベルは電話の発明で知られているが、地質学者でもあり当時は米国地質学会の会長であった。一流の科学誌『ナショナル ジオグラフィック』の編集責任者でもあった。
ベルは、日本列島は山が多く、雨の多い気候であることに気づき「日本は豊かな水力エネルギーを保有している」「日本は水力発電で発展する」と演説している。
日本列島はアジアモンスーンの北限にあって、さらに海に囲まれている。世界の同じ緯度の国々は、日本のように降水量は多くない。
雨は太陽エネルギーである。太陽が海を照らし、海水が蒸発し、その水蒸気は上空で冷やされ雨となって陸に戻ってくる。この太陽エネルギーは無限にあり、量も膨大である。ただし、雨のエネルギーは単位面積当たりのエネルギー量は薄い。太陽光や風力など他の再生エネルギーと同じ欠点を持っている。つまり、雨のエネルギーを濃くする工夫をしないと、エネルギーとして使いものにならない。ところが日本列島の場合、「山」という地形がこの問題を解決してくれる。
日本列島は薄い太陽エネルギーを集める装置
東京23区にいくら大量の雨が降ってもエネルギーにはならない。平らな土地を水びたしにするだけである。ところが、関東の丹沢山地や奥多摩に降る雨は谷に集まり、相模川や多摩川の水となって流れ落ちてくる。山々の谷には、大量の雨が自然に集められていく。つまり、日本の山岳が単位面積当たり薄いエネルギーの雨を集め、濃い密度の水流に変えていく。しかも、山々は標高が高く、集まった水流の勢いは強い。つまり、位置エネルギーがとても大きい。
日本列島は平均すると68%が山地で、しかも列島の北海道から九州まで中央を脊梁山脈が走っている。太平洋側、日本海側を問わず、全ての土地が均等に川という水流のエネルギーに恵まれている。
ダムは太陽エネルギーの貯蔵庫
雨と山岳地帯は自然が日本に与えてくれた恵みだ。しかし、雨の降りかたは極端に変動する。エントロピーが大きく使い勝手の悪いエネルギーなのだ。さらに、日本の地形は急峻で、降った雨はあっという間に海に戻ってしまう。大多数の河川の雨は、日帰りで海に帰ってしまい、大きな河川でも1泊2日、せいぜい2泊3日ぐらいしか陸地にいてくれない。
このために、あっという間に海に戻ってしまう水を貯蔵するダムが必要となる。このダムは山岳地帯で位置エネルギーを保つことにもなる。
ダムはピラミッドをしのぐ巨大な構造物だが、極めて強固な構造物だ。その理由は3つある。1つ目は、ダムのコンクリートには鉄筋がないので、鉄が錆びて劣化することがない。2つ目は、ダムの基礎は強固な岩盤と一体化している。3つ目は、コンクリートの厚みが桁違いに厚く安全な構造となっている。
しかし、巨大ダムを次々と建設する時代ではない。これからは既存ダムの潜在的な水力発電能力を引き出すことが大切となってくる。
既存ダムの有効活用:【1】ダムの運用を変更する
現在ある既存ダムの潜在的な発電能力を引き出せば、発電量の30%まで可能であると試算している。そのための方策は大きく分けて3つある。
1つ目は、ダムの運用変更で、ダムの空き容量を利用して発電に活用すること。現在日本の多目的ダムには、夏場、水を半分程度しか貯めていない。これは、襲ってくる洪水を貯留して、下流の災害を防ぐためである。
多目的ダムでは「利水」(水を利用すること)と「治水」(洪水を予防すること)の2つの目的がある。
利水はダムに水を貯めたい、治水はダムを空にして洪水を待ちたいといった二律背反の関係にある。この両者の折衷案として、現在の多目的ダムのルールが法律で決まっている。
この「特定多目的ダム法」は昭和32(1957)年に成立したもので、当時はテレビもなく、台風進路の予測もできない状況であった。あれから60年経った21世紀の今、気象予測の水準は当時と全く違う。
通常はなるべくダムに水を貯め、水力発電の効果を高めておく。台風が接近してくれば、今はその予測は1週間前に分かる水準にある。大雨が降る数日間から事前に放流しておけば、洪水を貯め込む空容量は十分確保できる。
ダムの潜在力を活かす鍵を握っているのは「河川法」という法律だ。河川法は過去2度改正されている。今は3度目の改正を行う時で、河川法第1条を改正して「河川の水エネルギーを最大限活用する」という趣旨の文言を付け加える改正が求められる。そして、日本国家として、河川の水エネルギーを積極的に利用していくことを宣言していく。
【2】既存ダムを嵩上げする
2つ目は、既存ダムの嵩(かさ)上げがある。嵩上げとは、既存のダムを高くする改築のことを言う。例えば、高さが100メートルのダムがあるとすると、このダムをあと10メートル高くすれば、多くの水が貯められ、水位も10メートル上がり、発電力の増加につながる。水の位置エネルギーは、その水量と高さに比例する。高さ的にはわずか10%の違いでも、電力で考えると単純に計算しても発電量は70%も増加する。つまり、10%の嵩上げはダムをもう1つ造るのと同じことになる。しかも、この費用は同じ規模のダム工事なのに桁違いに安く済む。
ダム嵩上げの場合は、水没集落への補償(人々の暮らす村を丸ごと水没させてしまうため)、付帯道路や付帯鉄道の費用はすでに支払い済みとなっている。新規のダム建設はもちろん、他の発電と比較しても圧倒的に安価になる。
【3】中小水力を推進する
3つ目は、現在は発電に使われていないダムでも発電していくことだ。日本には発電に利用されていない多くのダムが存在している。大きなものでは、国の直轄の多目的ダムから、都道府県の多目的ダム、そして国や都道府県が管理している砂防ダム(小さな渓流などに設置される土砂災害防止のための設備)まで様々である。ダムは大きければ、発電量が多くなり効率はいいが、ダムの高さが10メートルクラスの砂防ダムでも発電は可能で、100~300kWほどの電力は簡単に得られる。中水力発電の潜在力は思いのほか大きい。将来は、砂防ダムや農業用水ダムのように、発電とは別の目的で造られた多数のダムの発電能力を積極的に活用すべきである。
ダム湖は国産の油田
私は(1)運用変更と(2)嵩上げだけで、343億kWの電力量が増やせると試算している。これに(3)現在は発電に利用されていないダムを開発(技術的には何ら問題がなく、再生可能エネルギーの固定買取制度のおかげで、経済的にも好条件となっている)して、少なく見積もって1000kWを加えると合計で1350kWの電力量が増やせる計算になる。これに既存のものを合わせると、約2200kWとなり、日本全体の電力需要の約20%を賄うことができる。
これだけの純国産電力を安定的に得られる意味はとても大きい。仮に家庭用電力料金では、1000億kWの増加で、1kW当たりを20円とすると、年間で2兆円になる。100年で200兆円の電力が新たに生まれることになるというわけだ。
ダム技術者の私から見れば、ダムに貯められた雨水は石油に等しく、ダム湖は国産の油田のように思える。しかも、このエネルギーは、ダム湖に雨が貯まるほど増え、まるで魔法のように涸れることはない。
私は近代文明のシンボルとも言える巨大ダム(川治ダム、大川ダム、宮ヶ瀬ダム)建設に従事してきた。しかし、巨大ダムの建設には大きな犠牲が伴った。水源地域の大きな犠牲と引き換えに、洪水を防ぎ、飲み水を供給し、近代化のエンジンであった電気エネルギーを得て、日本は高度経済成長を成し遂げた。
現在の日本の繁栄は、私たちの先人、巨大ダムに沈んだ集落の多くの人々の犠牲があって成り立っている。だからこそ、この巨大遺産を無駄にすることは許されない。有効に使っていかなければ、過去に犠牲を強いた人々(生まれ育った家、学んだ学校、遊んだ小川、恋人と歩いた丘、夫婦で将来を誓った神社やお寺など全てを失った人々)や自然環境に対して申し訳が立たない。
官民総力を挙げて水力発電に協力を
水力発電の問題は、国交省(河川の管理)、経済産業省(エネルギー問題)、農水省(土地改良)、環境省(自然環境)、財務省(国有財産処理)、総務省(地方自治)など、多くの省庁が関係している。具体的な行動に移していくためには、それら関係省庁を指導する国会議員のガバナンスが絶対に必要になってくる。
この構想が日本の将来にとって、多大な恩恵をもたらす。
水力発電は天から日本列島が授かった純国産エネルギーなのだ。