いまアメリカやイギリス、フランスなど、世界の先進各国で「グレート・レジグネーション(大量離職)」と呼ばれる新しい社会現象が起き、新たな経済の問題となり始めていることをご存じだろうか。コロナ禍で人生を見直した人が、人生観に見合わない安い給料で働くぐらいなら働かないという選択肢を選ぶ――そのような人たちが爆発的に増加した結果、様々な国で「大量離職」という現象が巻き起こっているのだ。 【写真】20年前にマイクロソフト株を「100万円」買ったら…その「衝撃」の結果! 結果として、求人が増えているにもかかわらず就業率はコロナ禍以前の水準には戻らず、恒常的な人手不足が起きている。「時給4000円」でも働かない人たちが急増しており、この人手不足問題は世界各地でどんどん深刻化しているのだ。 もちろん、日本も「対岸の火事」ではない。間もなくこの「大量離職」現象が日本にもやってくることは間違いないのだが、それでは、その時、いったいどうすればいいのか。じつはそのヒントは「日本のビジネスホテル」にあった――。大量離職時代の最新事情をレポートしよう。
「働きたくない人」急増で、日本で起きること
さて、本題です。 アフターコロナでの求人難が表面化した場合、この問題が最も甚大になるのは日本の最大雇用受け入れ先であるサービス業と小売・卸売り業でしょう。 最低賃金近辺の報酬で集めたアルバイト・パートの労働力を労働集約的なオペレーションで回すことで成立していたビジネスモデルが、人が採れなくなる時代には危機を迎えることになります。 その結果、人件費が上昇してアメリカやイギリスのようなレベルのインフレが起きるかもしれません。
「値上げ」の時代へ
デフレ脱却を望んだ日本政府からみれば受け入れられる経済シナリオかもしれません。 が、「値上げ」は私たち消費者の家計を直撃しますし、企業にとっても確実に需要減につながるでしょう。 そこで大手のサービス業事業者が何をすべきかというと、労働集約的なビジネスモデルを高い生産性のビジネスモデルに変えていく必要があります。 「そんなことを言っても、サービス業の現場で生産性向上なんて限界があるよ」――。 こうおっしゃる経営者も多いかもしれません。 ところが、実は、日本のサービス業は欧米と比較してまだまだ仕組みが練りこまれていない改善の余地が大きいのが事実です。
「日本のビジネスホテル」に“ヒント”があった!
とはいえ、海外の事例を見せられても「自分たちができる気がしない」という方も多いと思います。 今回は日本のサービス業の中でも生産性向上の努力の積み重ねが非常に進んでいるビジネスホテル業界を例にとって、サービス業が生産性を高めるとはどういうことなのかを考えていきたいと思います。 日本のビジネスホテル業界はこの20年間、大手チェーンによる寡占構造が強まってきています。アパホテル、スーパーホテル、ルートイン、ドーミーイン、東横イン、リブマックスなど、読者のみなさんも出張や旅行でお世話になった人が多いのではないでしょうか。 これらの多くは新興チェーンで、かつその運営を観察すると従来型の日本のホテルとは違う生産性への取組みでビジネスモデルを組み立てていることがわかります。 まず顧客から見た価値ですが、オンライン予約が簡単にできて、伝統的な同じ地方のホテルと比較して、価格競争力のあるリーゾナブルな価格で宿泊できます。 部屋は清潔で、ベッドの寝心地がとてもいいチェーンが多い。朝食付きでロビーには無料のコーヒーも設置され、かつ多くのチェーンの特に地方のホテルでは温泉大浴場が併設されていることも多いのです。
アパホテルに「洋服棚」がないワケ
日本のビジネスホテルに生産性をあげるヒントがあった!Photo/gettyimages
これらは実はすべて新興チェーンから見れば、顧客サービスに対する初期投資です。 しかも、どれも資金規模が大きい上場企業にとって有利になる項目ばかりなので、地元のホテルからみればなかなかに太刀打ちするのが難しい。経営戦略的に理にかなった攻め方をしているのです。 しかし、高サービスの商品を低価格で販売する以上、人の生産性を上げなければビジネスがまわらなくなります。ここをブラック企業ではない形で乗り越えるために、大手ビジネスホテルチェーンの仕事の細部を観察しているといろいろと工夫をしていることに気づかされます。 ここが今回の記事のポイントです。 たとえばヒルトンやマリオットなど大手のホテルの部屋には当然ある洋服棚や引き出しが、ビジネスホテルチェーンの部屋の設備にはありません。壁から出ているフックに10個ほどのハンガーがつるされていてそこに洋服を掛けます。荷物を置く棚にも扉がありません。 これは設備投資のコストを節約しているようにも見えますが、実は他にもふたつの生産性メリットがあります。 ひとつは扉がないことで清掃作業も楽になります。宿泊客が帰った後、乱れたハンガーの順番を治し、壁や棚を埃取りのモップでさっとひと拭きすれば掃除も終わります。
「ホテルの清掃作業」を効率化するすごい方法
ビジネスホテルには、生産性アップのヒントが随所に隠されている Photo/gettyimages
もうひとつは顧客の忘れ物が減ることです。チェックアウトで部屋を出る際に見えない場所がないので忘れ物をする人が少なくなる。当然、フロント業務としても忘れ物対応の仕事がなくなります。 それと関連してホテル業界では清掃作業全体の手間を減らすことが生産性向上には重要です。 大手のホテルチェーンの場合、熟練したハウスキーパーが一日の勤務でタオルやシーツの取替からベッドメイキング、清掃からアメニティ備品の入替までを行うと一日ひとり6室が限度だと言います。 それを増やすためにどうすればいいのかが工夫のポイントです。 たとえばビジネスホテルチェーンで連泊のお客さんに対してエコ清掃メニューを選んでもらうのは、清掃しなければいけない部屋の数を減らすことで従業員の生産性を上げることに寄与します。 エコ清掃とはタオルとアメニティの取替だけを行い、シーツや寝間着はそのまま。その代わりエコ清掃を選んだ人には自販機で買えるペットボトルを一本サービスといったやり方です。 原価数十円のソフトドリンクで従業員の作業時間をかなり減らすことができます。
理にかなっている「10時チェックアウト」
人手不足は工夫次第で乗り越えられる Photo/gettyimages
部屋の清掃をする従業員のオペレーションを見ていてもビジネスホテルチェーンの工夫がわかります。 多くのチェーンで10時チェックアウトと時間が大手ホテルよりもやや早く、チェックインは一律15時以降となっているのですが、その間、基本的には清掃が必要な部屋には(連泊でかつエコ清掃を選ばなかった人を除いて)宿泊客は誰もいません。 そこでビジネスホテルではワンフロアまるまるそれらすべての部屋の鍵をオープンにして、一斉に清掃が始まります。 大手ホテルだと従業員は大きなワゴンを運び込んで一室ずつ清掃するのですが、ビジネスホテルチェーンでは小さな台車を使って同じ作業だけを繰り返します。 たとえば部屋のごみ箱のごみを回収するだけの作業で全部屋回ります。部屋にはごみ箱がひとつだけしかないチェーンもあり、やることはゴミ箱にかけられたビニール袋ごとごみを回収するだけです。同様にタオルやシーツを回収する作業では回収するだけ。 その次は全部の部屋の掃除をして、全部の部屋のタオルとシーツを交換し、ごみ箱に新しいビニール袋をかけ、アメニティを補充する。全部、フロア単位で同じ作業を一斉にやることで生産性を上げられます。 もちろん「異常に汚された部屋」みたいな特別な対応は必要になりますが、全体的には製造業のベルトコンベア方式のようなオペレーションで大量サービスが可能になるようにオペレーションを設計するのです。
まるでトヨタのカイゼン方式
生産性向上の教科書ではトヨタのカイゼン方式がよく出てきますが、ビジネスホテルチェーンでもカイゼンは頻繁に行われているようです。 たとえば朝食バイキングのご飯ですが、突起のあるしゃもじを使うとごはんつぶがつかずに綺麗にご飯をよそえますよね。 あるビジネスホテルではご飯茶碗の方にも表面にぶつぶつの突起がついています。 要するにしゃもじと同じでそのほうが皿洗い機ではやく洗浄できることを従業員が提案したのでしょう。 結局のところ重要なことはこういうことの積み重ねで、たとえば汚れが落としやすいカーペットを使えば従業員の仕事の量が減らせます。
そして、お客が喜ぶ
合理的経営の見本はあなたが宿泊するホテルにあるかもしれない Photo/gettyimages
忘れ物も少なく、茶碗にご飯粒がこびりつかなければ、従業員の作業範囲は減るのです。 それで宿泊客がいない時間帯を5時間作ってそこは部屋の清掃をベルトコンベア方式で一気に片づける。 それでいて宿泊客から見れば、ベッドは寝心地がいいし、温泉は楽しめるし、朝食やコーヒーは無料だしと満足度は非常に高くなるわけです。 ビジネスホテル業界以外のサービス業でもまだまだ労働集約的なビジネスモデル設計が中心で、現場の従業員の創意工夫で生産性が劇的に向上している企業は多くはないでしょう。 しかしこれからくる「大量離職時代」を乗り切るためには、経営者はこういった形でのビジネスモデルの見直しをやらざるを得ない。 そのヒントとしてビジネスホテル業界から学べることは多いと私は思います。 さらに連載記事『いま「働かない人」が、急増中…! なんと“時給4000円”でも「働きたくない人」たちの“本音”と“ヤバすぎる現実”…! 』では、いま世界で起きている「働かない人」問題について詳細にレポートしよう。