日本で初めてラーメンを食べたのは「水戸黄門」ではなかった…歴史書き換える大発見

「日本で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門だった」という定説を覆す資料が見つかり、14日から新横浜ラーメン博物館でパネル展示されることが13日、分かった。今までは黄門様こと水戸光圀が江戸時代の1697年に食べたのが最も古い記録とされてきたが、新資料では室町時代の1488年に京都の僧侶らが「経帯麺(けいたいめん、ラーメンの一種)を食べた」と明記されている。博物館関係者は「歴史を書き換える大発見だ」と驚きの声を上げた。

日本ラーメン史を根底から覆す新事実が判明してしまった。新横浜ラーメン博物館によると、このほど発見されたのは、室町時代の僧侶の日記「蔭涼軒日録」(いんりょうけんにちろく)の中の記述。1488(長享2)年に作者が、中国の書物「居家必要事類」(きょかひつようじるい)のレシピを参考に「経帯麺」を調理し、来客者に振る舞ったと書かれていた。

中国発祥の中華麺の定義は、かん水を使用していること。「居家―」には「経帯麺」のレシピについて「小麦粉とかん水が材料」と明記。晴れて「ラーメン認定」となった。ただ同書物では「かけ汁は任意でどうぞ」と書かれており、どんなスープや具だったのかはナゾ。博物館の担当者は「室町時代の食文化などを総合すると、シイタケや昆布、梅などを混ぜたダシをかけて食べていたのではないか」と推測した。

これまでの最も古いラーメン記録は、江戸時代の僧侶が記した「日乗上人日記」。1697(元禄10)年に黄門様が「明の儒学者・朱舜水から伝授された麺を自分で作って家臣に振る舞った」と記されていた。TBS系ドラマ「水戸黄門」の人気もあり、1980年代後半ごろから「黄門=初ラーメン説」が定着。93年には、当時の味を再現した「水戸藩らーめん」が水戸市内でご当地ラーメンとして発売されるなどしている。

今回の新事実判明は、日本そばなどを開発する「株式会社イナサワ商店」の会長で、都内在住の稲沢俊之さん(79)が博物館へ情報提供したことがきっかけだった。

稲沢さんは「麺文化を調べるために『蔭涼軒日録』を詳しく読んだら、経帯麺のことがバッチリ書いてあって…。ビックリしましたよ」と興奮気味。実際にレシピ通りに「経帯麺」を製作したといい「たおやかでソフト。スープの味が麺に染み込む感じでおいしいですよ。硬い麺が主流の今のラーメンとはひと味違いますし、現在でも十分通用する」と太鼓判を押していた。

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