日本とタイ、苦境で強まる絆 トヨタ「どんな問題が起きても見捨てない」

2011年10月、タイを襲った大洪水は、北部のサハ・ラタナナコンやロジャナなど7工業団地で800社以上に被害をもたらし、そのうち、日系企業は449社にのぼった。それでも、日系企業のほとんどがタイでの操業再開を目指したほか、新たな投資も増えている。
 ASEAN(東南アジア諸国連合)のハブ(中核)を目指すタイと、反日感情が根強い中国での操業リスクを目の当たりにし、チャイナ・プラス・ワンの受け皿を探す日本企業。両者の絆はますます強まっている。
 「洪水だけでなく、タイにどんな問題が起こっても、トヨタがタイを見捨てることはない」。トヨタ自動車が11月8日に開いたタイ現地法人の設立50周年記念式典。出席したタイ工業省のプラスート・ブンチャイスック大臣は、豊田章男社長ら首脳陣から温かい言葉をかけられたことを心強く思っている。
 タイにはトヨタ、ホンダ、日産自動車など大手日系メーカーや、その部品供給会社が集積する。洪水の被害で部品メーカーが操業停止を余儀なくされ、サプライチェーン(供給網)は何カ月も寸断した。経済の牽引(けんいん)役である基幹産業の自動車メーカーの業績悪化懸念が強まり、日本経済の足元さえ揺らいだ。
 「被災したタイの工業団地の中で、最も早く操業再開できた工場だと自負している」。ナワナコン工業団地に入居し、車載電装品などを製造するロームインテグレーテッドシステムズ(タイランド)の南比呂志社長は、つらかった復旧活動をこう振り返った。
 10月18日に浸水が始まり、あっという間に「見渡す限り水状態」(南社長)になった。従業員の多くも自宅が被災した。だが、40隻のボートを確保して従業員を送迎し、翌日から復旧作業に取りかかった。工場構内に数多くあるヤシの木のほとんどは、地上1メートルの辺りが、送迎用のボートが接触した衝撃で今でも丸くくぼんでおり、当時の傷痕を残している。
 「集まってくれたタイ人の従業員たちには頭が下がる思い」と、南社長は会社への忠誠心の高さに脱帽する。従業員を団結させたのはサプライチェーンを守りたいという強い責任感だ。被災後、日本の大手取引先の首脳から電話が入り、「1台も作れない。何とかしてほしい」と早期の再開を懇願された。
 半年以上も操業停止に追い込まれた工場が多い中、同社は11年12月1日には被災後の初出荷にこぎつけた。取引先のリスク分散のあおりで、洪水前の生産量にはまだ戻らない。しかし、南社長は「本社のトップが、早い段階でこの地での再開を決断したことが、従業員の団結心につながった」と、巻き返しに自信を深めている。
 多くの日系企業がタイでの操業再開を目指したばかりか、洪水後もタイへの進出が続く背景には、「日本企業がビジネスを展開するのに適したインフラが充実している」(電機メーカー現地法人幹部)ことがある。1980年代後半、日系企業は豊富で安価な労働力を求めてタイに進出し、裾野産業をじっくりと育て上げた。サプライチェーンが充実していることにより、低いコストによる原材料などの調達が可能なほか、親日的な国民性は労務管理など企業運営の負担を軽減している。
 経済成長も堅調だ。洪水のあった11年こそ成長率は0.1%に落ち込んだが、復興需要の追い風などもあり、V字回復は確実な情勢。アジア開発銀行(ADB)による12年の成長率見通しは5.2%、13年は5.0%と強い復興力を示した。タイ経済を支える上で、日系企業が果たす役割の重みは増している。タイ投資委員会によると、12年1~9月の日本からタイへの直接投資のシェアは65.0%を占め、前年同期の56.2%を上回る。
 牽引役の自動車産業では新たなビジネス展開が進む。トヨタが「ハイブリッドカムリ」の生産を始めたほか、日産が低燃費の「マーチ」の日本への逆輸出を開始。ホンダの「ブリオ」、三菱自動車の「ミラージュ」、スズキの「スイフト」などエコカー生産が加速している。タイ工業連盟(FTI)は、12年の生産台数は過去最大の220万台に達すると予測している。
 反日感情の高まりや賃金上昇など中国のビジネス環境が悪化し、チャイナ・プラス・ワンの受け皿としてタイの注目度は高まるばかり。17年には自動車生産が300万台を突破するとの予測もある。(小島清利)

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