日本の「国籍ルール」はここがヘン

「二重国籍」という21世紀のグローバルな時代のひとつのテーマが再び話題に上がっている。

 言うまでもなく、テニスで全豪オープンを初制覇し、全米オープンから2連勝を達成した、大坂なおみがきっかけである。

 現在、ハイチ系米国籍の父と日本国籍の母との子供である大坂は、日本国の法律に則って正式かつ厳格に手続きするならば、22歳までにどちらかの国籍を選択しなければならない。日本では、第二次世界大戦前の主権国家の概念を打ち出した「国籍唯一の原則」が、いまだに法務省の基本見解である。そしてこれは、もちろんよくある日本の官僚社会で使われるタテマエである。

 筆者の周りにも何人もいるが、22歳を過ぎても日本国籍とその他の国の国籍を保有する二重国籍状態の人はたくさんいる。特に米国のように出生地主義、つまり父母がいかなる国籍であろうと米国で生まれたら国籍は付与される国が世界にはいくつもある。そのほとんどは国家が移民と移民の末裔(まつえい)によって成立している国であり、米国の他にはブラジルやメキシコやカナダなどがある。なお、アメリカ大陸の国はほとんどが出生地主義だ。

 となれば、米国に転勤している日本人家族が現地で子供を授かると、自動的に米国籍となる。もともとアメリカという国はこうして移民を受け入れてきた。1776年の独立宣言以降も続き、ドイツ、イタリア、アイルランド、東欧、さらには同じアメリカ大陸の中南米といった国々から多くの移民を受け入れてきた経緯がある。

 もちろん日本人も明治以降、莫大な数の移民を米国に送り込み、彼らは現地で家族を形成して、出生地主義に基づき米国民となっていったのである。

 出生地主義でなくとも事実上、二重国籍を認めている国は増えている。これは当該国にとって必要な人材を確保していくという狙いがもちろんあるだろう。しかしそれよりも、国籍に関する考え方が、実情に合わなくなってきているという理由の方が大きい。人の移動がこれだけ激しくなって、経済活動やスポーツのみならず、文化一般でも国際的な活動をする人が増えれば当然である。

重国籍に対しての各国の国籍法の対応状況

 しかしながら、日本では二重国籍選択の手続きがかなりいい加減である。

 過日、立憲民主党の蓮舫議員が台湾との二重国籍状態だったことが発覚し、しばらく世のうるさ方の俎上(そじょう)にのって喧(かまびす)しい議論と相成った。しかし、これは国益にかかわる政治家のことであり、やはり問題にならざるを得ないというのは理解できなくもない。

 実はオーストラリアでも議員が英国籍を保有しているということで問題になったことがある。国籍の問題ではなくとも、例えば、ミャンマーでは現行憲法では英国籍の夫(死去)との子供(英国籍)を持つがゆえに、アウン・サン・スー・チーは大統領になれない。

 これは極端ではあるが、インドではかつての首相候補だったソニア・ガンディーの出生地がイタリアだったというだけで批判を浴び、首相に就任できなかったということもある。バラク・オバマ前米大統領が国籍問題でずっと執拗(しつよう)なネガティブキャンペーンを張られていたことも記憶に新しい。しかし、これはどれも国益を預かる政治家の問題であり、一般人では特に問題が生じるような話ではない。

 事実、日本の法務省のスタンスは「二重国籍は黙認」というのが実情である。

 これは日本の法律と海外の法律との整合性が取れないことに起因する。例えば、ブラジルは原則として国籍離脱が認められていない。よって日本国籍を取得したブラジル人は自動的に二重国籍にならざるを得ない。蓮舫議員のケースでいえば、日本が国家として承認しているのは中華人民共和国だが、本人が台湾(国)籍を主張した場合、どちらの法を適用しても両国にとっておかしなことになる。

 こうして日本のように単一国籍の原則が、世界の実情にそぐわなくなっているというのは、当の法務省も認めるところであり、これまで何度か法務省内でも議論になり、検討事項となっているようだ。要するに、日本の国籍に関する法律が「ガラパゴス化」しつつあることを意味する。

 こうした中、大坂なおみが日米どちらの国籍で東京五輪に出場するのか、ということが話題になっている。もし彼女が一般人であったならば、法務省も目くじらを立てることはなく、二重国籍状態のままでいただろう。だが、彼女はテニスの世界四大大会のうち二大会連続制覇という偉業を成し遂げた時の人である。とかく国籍問題に口うるさい人間が跋扈する日本社会では、簡単にはいかないだろう。

 そうすると「国の代表」と皆が思っている五輪選手として、彼女もいずれはどちらかを選ばなければならなくなる。五輪のルールでは、国籍変更などがあった場合、所属する国を変更することができる(ただし国籍変更後3年間の猶予期間がある)。 むろん、国籍変更に関してスポーツ界ではそれぞれルールがある。ところが、日本の国籍法が世界のさまざまな国籍法と齟齬(そご)をきたしているように、世界の196カ国、さらにはまだ承認されていない国、または無国籍者などを受け入れているスポーツ界はさらに難しい事態に直面している。しかし、その解決策は意外とシンプルなこともある。

 例えばサッカーの場合、ナショナルチームの所属について、国籍という概念よりも、どの国のパスポートを保有しているかということが重視される。例えば、北朝鮮代表の経験がある現清水エスパルスの鄭大世(チョン・テセ)の国籍は韓国だが、彼は北朝鮮のパスポートを保有しており、さらには韓国でも日本でも代表として試合に出場した実績がないため「北朝鮮代表」で国際大会に出場した経歴を持つ。

 彼はもちろん韓国Kリーグに所属したこともあるから、韓国のパスポートもある。さらに言えば、在日コリアンとしてパスポートに準ずる日本在住の外国籍に発行される渡航書類も入手可能だろう。つまり、日本と韓国、北朝鮮のどの国でも代表選手になろうと思えばなれたわけである。こういうケースは日本では珍しがられるだろうが、国境を陸で接して人々が行き来する国では常識である。

 スポーツ競技であるから、ナショナルチームの所属のルールをつくるが、そこに過剰な意味は見いださないというのがスポーツ界のおおよその考え方だ。事実、五輪憲章ではスポーツに過剰なナショナリズムを持ち込まないことが求められており、むしろその壁を越えることがスポーツの使命でもある。

 国籍や民族といったものは、一人の人間の実存の前にはフィクションに過ぎない。大坂なおみの「アイデンティティーは深く考えない。私は私」というコメントを聞くと、こうした思いをさらに強くする。

 さて、「グローバリズム」は資本主義の拝金主義的な拡大であるといった「古臭いガラパゴス」民族主義左翼のような物言いをされることがしばしばある。それがまたインターネットというグローバリズムの権化ともいえる場所でのことなのだから、皮肉なものである。

 グローバリズムとは資本だけが越境するものではない。ヒト・モノ・カネ、さらには情報や文化までもが越境する。大坂なおみの存在もその一つだ。そこには、やはり貴重な何かがある。

 日本のガラパゴスルールは「国籍唯一の原則」という古いルールをいまだ更新できず、世界の潮流からまた少しずつ後退していくのである。そういえば、台湾のイケメン選手と結婚した卓球の福原愛の子供も、いつか国籍を選ばなければならないだろう。その時、また国籍唯一の原則や台湾か、中国かという古臭い問題に法務省は再び頭を抱えることになるのだろうか。 大坂なおみについて言えば、日清食品のアニメCMで彼女の肌の色が白く描かれ、いわゆる「ホワイトウォッシュ」(有色人種の見た目を白人に近づけて描くこと)という差別行為ではないかと物議を醸した。しかも、この騒動について言及した大坂のコメントが誤訳(改訳?)され、さも「何も問題はない」と語っているかのように報道されてしまったことも話題になり、グローバルな21世紀とはとても思えない事態が立て続けに起きている。

 今後、グローバル社会に直面する意識の問題は、二重国籍問題に限らないだろう。わたしたちは、むしろ今回の議論を大坂なおみという「グローバリズムの申し子」が古臭い日本社会にプレゼントしてくれた課題

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