世界の高校生は生活満足度の状態で文化圏ごとにグループ分けできる
高校1年生を対象とする国際学力テストであるOECDの「PISA調査」は、結果が公表されるたびに世界中で注目され、日本を始め世界各国の教育政策に大きな影響を及ぼしている。当連載でも、2016年の年末に「国際学力テストで日本不振、東アジア諸国が好成績の理由」という題でこれについて紹介した。
PISA調査では、学力テストのほかに、学力の要因を探るため、先生や同級生との学校生活の状態や学習意欲、生活満足度などの意識の状態を、生徒に対する調査票によって調べている。
図1には、世界48ヵ国の生徒の生活満足度の状態を示すグラフを掲げた。ここで生活満足度は、0から10までの11段階で回答を求めた結果の平均点で示されている。
X軸方向に「生活満足度の高さ」、Y軸方向に「生活満足度の男女差」を取った散布図を描いた。これを見ると、欧米、ラテンアメリカ、イスラム圏、東アジア儒教圏といった文化圏ごとに、ほぼ例外なく、国々がグループ分けできる点が非常に興味深い。
また、日本については、東アジア儒教圏の共通の特徴として、X軸方向の全体的な満足度が世界の中でも最低の水準になっているとともに、Y軸方向については、世界では一般に男子生徒の生活満足度が女子生徒を上回っている中で、唯一、女子生徒の方が上回っている点で非常に特徴的だ。
それでは、なぜ日本などの東アジア儒教圏で生活満足度が低いのか、また、なぜ女子生徒の満足度が日本だけ唯一の例外となっているのか。この2点について真相を探ってみよう。
儒教の影響と文化心理学的な要因で満足度が低くなってしまう日本人
成人を対象とした国際調査では、一般に、「所得水準」と「幸福度」に相関が認められる。だが、図1の結果を見ると、学生の場合は所得水準の低いラテンアメリカで満足度が高く、所得水準の高い東アジアで低くなっているなど、両者の関係はほとんど認められない。PISA報告書(第3巻、p.71)では、学生の生活満足度と、ギャラップ調査による成人の生活満足度との相関は0.2と低いことを明らかにしている。
学生は、親や社会の庇護の下にあって、所得水準の影響をダイレクトには受けにくい環境にあるので、むしろ文化的な影響で、生活満足度が左右される側面が強いためだと考えられる。
一般に、成人の所得水準と幸福度が相関していることを示すグラフを、図2に示した。アジアの29ヵ国の幸福度は、右上がりの傾向となっており、おおむね所得水準に比例しているといえる。もっとも東アジア諸国は、中国を除いて所得が高い割に幸福度が高くない点が特徴となっている。
日本だけでなく、儒教の影響がなお残る東アジア諸国では、所得が高くなってもなかなか幸福を感じないようなのだ。なお、シンガポールは所得に応じた幸福を感じる方向で位置的にやや離れており、場合によっては東アジア儒教圏から外すことも可能だろう。
どうやら東アジア諸国では、おそらく儒教的な文化の影響で、現状がどんなによくなってもネガティブに判断し、常に、改善へ向けての歩みを怠ってはならないという考え方を取りがちであるようだ。
マスコミや有識者の姿勢にそうした傾向が色濃いため、国民もその影響を受けていると見られる。そうした見方が、社会の進歩を促してきた面は否定できないが、だからといって国民の一人ひとりがしかるべき幸福を感じられなくなっているとしたら、それは問題であろう。
東アジア諸国の高校生の生活満足度が、世界の中で最も低くなっているのは、上述のように、成人と比較して学生の場合は所得水準との関係が薄く、さらに教育分野では儒教の影響がなお大きいこともあって、成人と同じ理由がダイレクトに働いているためだといえる。
上で触れたPISA報告書は、次のように述べている。
「ある研究が明らかにしたところによれば、独立心や個人的な感情や関心事が高い価値をもっている、米国のような西欧的な文化圏に属する青年にとっては、生活満足度を全体として判断するのに、自分がどんな状況があるかが重要であるのに対して、韓国のようなアジア的な文化の中では、社会的な義務や教育的配慮が高い価値を有しており、そうした社会的な基準や期待にどれだけ応えられているかが、生徒の生活満足度の主な源泉となっているのである」
日本の高校生も、先生や親の期待に十分応えられていないと感じてしまいがちなので、生活満足度が欧米などと比較して低くなってしまっているのであろう。
さらに、人生態度に関する、これ以外の文化心理学的な要因も考えられる。
幸福感研究の世界的な第一人者、エド・ディーナーとの実験心理学的な研究で知られる大石繁宏氏によれば、社会の流動性が高く、友人を選択する可能性の高い米国では、弱音を吐くと友人から「お荷物になりそうな面倒な奴だ」と思われるプレッシャーがあるという。
これに対して、友人を選ぶ余地の小さい島国の日本では、悲しみや苦しみを共有する人間関係が大事だと思われており、「自分が元気すぎると不幸な友人を傷つける場合がある」という配慮が働く。欧米起源のスポーツと異なり、日本の武道や大相撲では、勝者のガッツポーズが控えられているのも同じことだといえる。
このため、全体としての満足度を聞くアンケートに答える段階で、欧米では毎日の満足度のうちいい面だけ回顧し、日本では悪い面だけを思い出して回答する傾向があり、結果として毎日の満足度は同じレベルでも、日本人の満足度は低くなるという(大石繁宏「幸せを科学する」p.35〜43)。
これが、日本を始めアジアの生活満足度を低くしているもう一つの要因だろう。
図1で、高校生の生活満足度が日本とは対極的に高くなっているのは、ドミニカ共和国やメキシコだ。特派員が両国を訪れ、PISA調査のこの結果の理由を探った記事が、世界の幸せを探る連載の初回として元旦の朝日新聞に掲載された。
「ドミニカ共和国は治安が悪く、夜、出歩く人は少ない。貧富の格差が激しく、学校に行けない子どもも多い。同国の著名な精神科の医師は、『苦しい生活の中で陽気に踊るドミニカ人の行動は、つじつまが合わない。学者たちも十分に解き明かせずにいる』というが、それでも生活満足度が1位の理由は、先生や親など周りの人々との人間関係が親密で、生徒が前向きに生きているからという」(2018年1月1日付の朝日新聞)
ドミニカ共和国と日本とでは、高校生の幸福感においてフィルム写真のポジとネガのような関係にあるのだろう。
自分の身体が不恰好だと思い込み満足度が低い欧米の女子高生
次に、なぜ世界では女子生徒の満足度が低く、一方でなぜ日本は唯一の例外となっているのかについて探ってみよう。
図3には、高校生と成人の生活満足度の男女差を、両方のデータがある国について対比させた図を示した。成人のデータは「世界価値観調査」によるものであるが、ほぼ同様の設問で生活満足度を聞いているので比較してもおかしくないと思う。
全ての国で、生活満足度の男女差は、「男マイナス女」が成人より高校生の方が大きくなっている点が印象的だ。成人については生活満足度に男女の差があまりないのに対して、高校生については、男子生徒が女子生徒を上回る場合が圧倒的に多いのだ。
国ごとの結果をよく見ると、欧米に対して、アジア、イスラム圏、およびラテンアメリカでは、成人と高校生の差は小さいという傾向が認められる。図1と同様に、文化圏の影響が無視できないといえる。ただし、アジアでは韓国、イスラム圏ではトルコ、ラテンアメリカではウルグアイ、チリは欧米と同様に差が大きくなっており、これらの国では、欧米文化の影響が大きい可能性があるだろう。
つまり、高校生の生活満足度の男女差は、欧米諸国で特に大きくなっていると見ていいだろう。この現象の理由としては、男子高校生が女子に比べやたらと満足度が高いと考えるか、あるいは女子高生が男子に比べ特に満足度が低いと考えるか、どちらかである。上記のPISA報告書は、後者の見方を取っている。
PISA報告書によれば、女子高生の生活満足度が男子より低いのは、一つの可能性として、「思春期の女子の厳しい自己批評を反映しているのではないか」と考えられている。すなわち、マスメディアが前提にしている「スリムで理想的な体型」や、ソーシャルメディアで共有されている美しいとされる体型の画像の影響にさらされていることが、思春期の女子の自己認識や満足感にネガティブなインパクト与えているとされているのである。
また、同報告書ではこれと関連して、「体重に基づく同級生からの『いじめ』が少女たちの自分の身体への不満にむすびついている」という研究にも言及している(PISA 2015 Results VOLUME III STUDENTS’WELL-BEING, p.73)。
こうした傾向は、日本を含むアジアやラテンアメリカ、イスラム圏でも存在しているだろうが、それほど大きく満足度の結果を左右していない。自己の身体イメージをどこまで重視すべきかという文化の違いが影響しているとともに、アジアの場合は、実際のところ、女子高生の体型が欧米に比べてスリムであるからであろう。フィギュアスケートの女子選手の演技をテレビで観ると、欧米とアジアの選手のボディイメージにはかなりの差がある。
日本の女子高生がやたらと楽しそうなのは古い道徳からも新しい規範からも自由なため
ここまで考えてくると、日本の女子高生の生活満足度が、世界で唯一、男子より高い理由の一つは、自分の身体イメージへのこだわりについて、欧米のようには強迫観念にまでは至っていないためだと考えられる。
上で述べたように、東アジアでは、高校生の生活満足度にとって、自分の考えというよりは周囲の期待に応えられているかが重要だとすれば、この点に関しても、先生や大人が女子高生の体型についてどう期待しているかが鍵になると考えられる。日本では、少なくともタテマエでは女子高生はあまりスリムでない方がいいという社会的通念を維持しているので、女子高生もあまりプレッシャーは感じていないのだろう。
日本と対照的なのは韓国である。ある高校で女子高生の制服があまりに小さすぎて、身体が収まらないほどだというニュースが韓国で話題となったことから推察すると、大人からの目や社会的に、身体イメージに女子高生がこだわらずにはいられない環境があるため、韓国では、東アジアとしては例外的に高校生の生活満足度の男女差が大きくなっているのではないだろうか。
さて、日本の女子高生の生活満足度が世界で唯一、男子より高いことを説明するもう一つの要因は、成人の生活満足度がそもそも女性優位であり、女子高生もそれと同じだと考えられるからである。
図3では、成人の生活満足度について、日本が最も女性の満足度超過が大きかった。また、幸福への世界的な関心の高まりを受けて、幸福度に関する国際調査がかなりの頻度で実施されているが、表1に見るように、各調査での男女の値を算出してみると幸福度の女性優位が、ほとんどの場合、日本の決定的な特徴になっているのだ。
日本の女性の生活満足度や幸福度が、なぜ男性よりこれほど高いのかについての定説はないようだ。というより、その事実自体が、日本は根強く男性優位社会であるという一般的な通念と矛盾するので、看過されてしまっている。
私の考えでは、幸福度の女性優位が、日本ほどではないが、韓国、台湾、香港といった東アジア諸国でも共通である点を考え合わせると、相続や選挙権に関する制度的な男女平等が各国で戦後実現したのと平行して、現代では、かつての儒教道徳から女性がかなり解放されたのに対して、男性の方は、男は一家の大黒柱、あるいは男はか弱い女性を守らなければならないといったような古い道徳観になお縛られているから、こうした結果が生じていると思う。男への期待感が大きいだけに、それだけ幸福度を感じにくくなっているというのが私の見方だ。
高校生についても、男女共同参画の流れの中で、女子高生は「女だからといってこうであらねばならない」という道徳観から解放されているのに、男子高校生は、なお、親や先生からの「男はこうあるべきだ」という期待が大きくて、毎日を屈託なく楽しく過ごす環境にないのではなかろうか。
このように、日本の女子高生が男子より楽しそうなのは、男性と比較して、性差に対する旧来の道徳感からの解放が進んでいると同時に、若い女性の身なりや体型はこうあらねばならないという情報社会の新規範からも外国と比較して自由だから、というのがデータから推察されるとりあえずの結論である。(統計データ分析家 本川 裕)