日本の深刻実態…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の力学

「クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)」はなぜエッセンシャル・ワークよりも給料がいいのか? その背景にはわたしたちの労働観が関係していた?ロングセラー『ブルシット・ジョブの謎』が明らかにする世界的現象の謎とは?

東京五輪とブルシットの力学

巨額の資金が動くとき、その分配にかかわるシステムにすきまがあれば寄生者のレイヤーがつくりだされる。この力学は日本でも、即座におもいうかぶ事例がないでしょうか?

現在の政権あるいは政府と電通とかパソナとの関係ですね。政府はかつて公共あるいは行政に属していた機能を「市場原理」の導入によって「効率化」するとの名目で、大手広告代理店などに委託しています。

たとえば東京五輪です。そこでは数兆円という巨額の資金が、こうした代理店などを通して大量にばらまかれました。

準備期間中に日給数十万の謎のポストがあることが発覚して、ちょっとしたスキャンダルになりましたよね。おそらく、そこではほとんどなんの意味もないポストがつくられ、そこに資金がばらまかれていたのではないかと想像されます。「好きへ飛んでけ。ANA」好きなものに夢中になれる旅がきっとある。/ご予約は早めがおトク!

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もうひとつ、『ブルシット・ジョブ』には、ハリウッドで脚本家をやっているオスカーという人物の証言があらわれます。

かれによれば、ハリウッドにもブルシットの波が押し寄せ、一つの作品をつくるにあたって異様に複雑な過程がうまれ(それまでは良かれ悪しかれワンマンオーナーがやると決めたら、あとは現場にほとんどゆだねて好きにつくらせていたことも多かった)、一つの作品が制作される過程で、謎の肩書きの上司(なんとかなんとかエグゼクティヴみたいな)がうじゃうじゃあらわれて、口をはさんでいく結果、意味不明なものができあがるといっています。

これは経営封建制がどれほど、一つの過程のなかに謎めいた中間的ポストをつくりだすかの事例としてあげられているのですが、ここでわたしたちはなにかをおもいださないでしょうか。東京五輪開会式のパフォーマンスをめぐるゴタゴタです。

ブルシット・ジョブ論は、今回の東京五輪についても、そこでなにが起きているのか、どうしてあのようなことが起きたのか、手がかりを与えてくれるようにおもいます。

細部にわたる検討は、ここではできませんが、大枠でいえば、その資金のほとんどは、税金で、基本的にわたしたちから徴収された富ですよね。

その膨大な富を、かれらは仲間内にばらまき、そしてより土台にあたる必要不可欠な仕事は、なるべく無償でそして医療従事者にもなけなしの報酬しか払いませんでした。

まるでこうした必要不可欠な仕事は報酬はいらないだろ、とでもいわんばかりです。

つづく「なぜ「1日4時間労働」は実現しないのか…世界を覆う「クソどうでもいい仕事」という病」では、自分が意味のない仕事をやっていることに気づき、苦しんでいるが、社会ではムダで無意味な仕事が増殖している実態について深く分析する。

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