在日コリアンが直面した「強烈な違和感」
数年前から日本の新聞、テレビ放送などで折に触れ外国人に対する「差別やヘイト」をテーマにした話題が語られるようになっている。日本社会で外国人に対する「差別やヘイト」の雰囲気が高まり、在日外国人たちが「いつ殺されるかわからない」という恐怖に怯えながら暮らしているというのだ。 【写真】日本人は知らない…いま韓国で本当に起きている「ヤバすぎる現実」 断っておくが、私は「差別やヘイト」を容認しているわけではない。 しかし、主にリベラル系メディアによって報じられるこの種の報道には特徴がある。 自らを被害者と語るのは、主には日本で生まれた在日韓国・朝鮮人であり、大概がその訴えは1923年に発生した関東大震災時の朝鮮人虐殺に結びつけて語られるのである。 私はしかし比較的最近日本での生活を始めた韓国人であるが、そんな恐怖を感じたことがない。というだけではなく、実はそんな主張に触れるたびに大きな違和感を覚えてしまう。 そもそも100年前の出来事を理由に日本の社会に恐怖を感じ、怯えながら暮らしているという人がどれほどいるのだろうか。 今日のドイツにユダヤ人のニューカマーたちが増えているのは、彼らが今日のドイツがかつてのドイツとは異質の国であることを知っているからであるように、今日の日本にニューカマーの在日が増えているのは、今日の日本が日本帝国の時代の日本とは違うことを知っているからではないのか。
もう一つの「違和感」
日本に居住する韓国・朝鮮人には大まかに二種類の人々がいる。1920~30年代以降に来日し定住した人々の子孫であるオールドカマーの在日と、韓国で生まれ、仕事や留学や結婚などの経緯で主には80年代以降に来日したニューカマーの在日の二種類である。 マスコミで「いつ殺されるかわからない」を主張するのは多くが日本で生まれ育ったオールドカマーの在日たちだが、私にはまずはそのことに大きな違和感がある。なぜなら少なくとも私の周りにいるニューカマーの韓国人の中にそんな恐怖を語る者は誰もいないからだ。 そもそも日本語を母語とし、文化的習慣や価値観も日本人と変わるところの少ないオールドカマーに比べれば、ニューカマーの方が「差別やヘイト」の被害を受けやすいはずなのに、自らの被害者性や日本の加害者性や暴力性を語るのが、多くがオールドカマーの在日たちだというのは何故なのか。 もう一つ違和感を覚えることがある。 彼らはその恐怖や不安を日本のメディアに語り、日本のメディアもそれを日本人たちに積極的に伝えようとしているようであるが、「外国人」としての恐怖を訴えたいというなら、何故、これから日本に来ようとしているニューカマー候補生たちに警告を発しようとはしないのだろうか。 日本での生活を夢見るニューカマー候補生たちには何かしら日本に対する幻想があるに違いないが、この国は実は外国人をひどく差別する国なんですよということをなぜ本国の人々に教えようとはしないのだろうか。
北朝鮮に移住した在日たちの「メッセージ」
北朝鮮から同胞にメッセージを伝えた人たちがいた photo/iStock
かつて「地上の楽園」の宣伝に騙されて、自由と民主主義の国である日本を捨て、人民民主主義の国である北朝鮮に移住した9万人以上の在日たちがいた。 彼らが辿り着いた地は監視と弾圧、独裁と貧困が支配する生き地獄であったが、そんな彼らが自分たちのような被害者を出さないために日本にいる家族や親族や知人に「警告」のシグナルを発信していたということを思い出す。 手紙は全て検閲を受けるため、ストレートに伝えることはできなかったが、それでも切手の裏に小さな文字で「来るな」と書いた人がいたとか、意味不明のことをわざと書くことによって違和感や疑問を抱かせ、「北で何かがあったかもしれない」ことを暗示しようとする試みもあったという。 北朝鮮に批判的なことを書いたことが知れたら、自分たちが酷い目にあうことを知りながらも、彼らは北朝鮮に渡ろうとする同胞の「帰国」を阻止しようとしたというのである。 「いつ殺されるかわからない」恐怖を語るというなら、なぜ彼らはそのことをニューカマー候補生に伝えようとしないのだろうか。 1950年代末から1984年までにかけて約9万人の在日たちが北朝鮮に移動した。彼らは外部とは徹底的に遮断され、全ての情報は検閲、統制されていたが、それでも日本に残った在日たちは海の向こうの北朝鮮に起きている「危険」を大まかには察知していた。 「地上の楽園」の宣伝は続いたが、「暗号文のような手紙」というだけではなくさまざまな状況証拠が北の「異常」を在日たちに教え、それに沿って在日たちも行動した。
日本に来る人たちの「リアル」
今日、ニューカマーの在日たちが何をしているかといえば、彼らはインターネット電話やスマホの映像通話などを通してメディアが日本を伝えるよりも迅速に日本での「生活の声」を本国に伝えているのである。 2020年6月現在、日本にいる韓国籍43万人中、オールドカマーの在日である特別永住者は27万人で、残る約16万人は留学、ビジネス、家族滞在、永住などの資格で在留するニューカマーたちである。 オールドカマーが時間の経過にともなって母国の親族たちとの交流を失い、その文化的、政治的紐帯が稀薄なものになっているとしたら、ニューカマーの在日は母国との間に家族、親族的繋がりを維持し、また文化、政治的紐帯を維持している人々である。 母国には彼らの親や兄弟や友人たちが生きているのだ。 そのニューカマーたちが母国の親族や知人に向って発する「生活の声」は厖大であり多種多様である。 苦労話もあれば笑い話もあるし、涙なしには語れない話があれば、笑いをこらえるのが難しい話だってある。そんな厖大な「生活の声」「喜怒哀楽の声」がなんの制約もなく海を渡って毎日日本の地から韓国の地に伝えられ、それがコロナ以前であれば、年間数百万人もの韓国人観光客を生み出す力となり、韓国人永住者(一般永住者)の増大を生み出しているのである。 聞くところによると、最近は日本の医師国家試験に挑戦する韓国人医師も増えていて、韓国では高度人材の流出が懸念されているという。こんな人々は「いつ殺されるかわからない」という恐怖には鈍感で無神経な人々と言ってよいのだろうか? あるいは彼らは日本国内の空気や雰囲気に無知な情報弱者なのだろうか? そんなことはない。
メディアへの違和感
今日、韓国で生きる人々は、既に来日し、日本ですでに生活しているニューカマーの韓国人から驚くほど多様な情報を得ているのであり、それが新しいニューカマーを誕生させる要因になっている。 だから日本生まれの在日たちが母国に向かって「いつ殺されるかわからない」の物語を語ろうとしないのはそんな話が通じるはずもないことを知っているからではないのかという気がしてくるのである。 これは韓国人だけのことではないが、人間は生命(いのち)の危険と利害得失に敏感な動物であるらしい。 危険であれば近寄ろうとはしないが、多少の危険はあってもそこに何かしらの利点があると思えたら、その損得を天秤にかけて有利な方を選択する。 そしてそのことをよく教えてくれるのが他でもない在日韓国・朝鮮人の動きであるように思える。日本での差別と苦境を乗り越える方法としてある時期に北朝鮮に渡っていた在日がかの地の「恐怖」を察知するやその流れをピタリと止めたのも、今日、観光や仕事のために来日し永住を決める韓国人が伸びているのもどこかで韓国人の生命本能と関わっているような気がする。 私は日本が地上の楽園のような国だとは思わないし、外国人に対する差別やヘイトとは無縁の国だとも思わない。 しかし、日本の一部メディアや著名人たちがオールドカマーの在日の口を借りて伝えるような「恐怖」は明らかに誇張されたものである。それを日本の全体的な雰囲気のように語るメディアの態度にも問題がある。少数者の語りにわれわれが敏感であるのは好ましいが、少数者に被害者性を期待しすぎると、それに過剰に応えようとする者が、ときに出現してくることにも注意したい。