「自分が損をしてでも、相手より上に立ちたい」「自分が損をしているのだから、お前も損をすべきだ」……そんな心理から引き起こされる行動を「スパイト(意地悪)行動」と呼ぶ。実は、コロナ禍を経たここ2年で、このワードへの注目が集まっている面もあるという。仕事や日常生活、あらゆるシーンで顔を出すとされる、スパイト行動とは、どんなものなのか。社会にどんな影響を及ぼしているのか。社会心理学者と経済学者に話を聞いた。(取材・文:山野井春絵/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
スパイト行動も背景にある、マスク着用率の高さ
「スパイト行動」という言葉を耳にしたことはあるだろうか。 わかりやすく言えば、「私が損をしているのだから、あなたも損をすべきだ」という心理から生まれる行動だ。 例を挙げると、 “私とAさんは、とある店に同じタイミングでアルバイトとして配属された。私は仕事ののみ込みも早く、怠け癖のあるAさんに比べて多くの作業をこなすことができた。しかし、どちらも時給は1000円。納得がいかなかったので、店長に「私のほうがよりたくさん働いたのだから、Aさんよりも時給を上げてほしい」と訴えた。すると店長は「なるほど。でもそんなにたくさん払うことはできない。どうしてもAさんと差をつけて欲しいというなら、あなたは時給900円、Aさんを800円にするのはどうか」と言った。私は納得し、「それで結構です」と答えた。” 客観的に見れば、「私」の時給は下がり、損をすることになる。しかし、Aさんを出し抜きたいという気持ちが勝り、差がつくことで満足してしまう。 端的に言うとこれが「スパイト行動」だ。スパイトとは英語で「意地悪」の意。意地悪分配行動とも言われている。 例えば、コロナ禍において法律上マスク着用の義務がないのに日本ではマスクの着用率が他国よりも高いと言われている。緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除された後も、街ではほとんどの人がマスクを着用している。「日本人の衛生観念・協調性の高さ」と見ることもできるが、社会心理学者の碓井真史氏は「これもスパイト行動の一つの側面である」と指摘する。 「『俺がマスクをして苦しい思いをしているのに、なんであいつはマスクをしていないんだ』と批判されることを恐れて、結果的に全体のマスク着用率は高い、というね。社会心理学的に見て、スパイト行動というのは、とにかく平等を求める気持ちなんですよね。とにかく平等にっていう思いや、競争心が強くなりすぎると、みんなが貧しくなる、ゲーム理論では“共貧状態”って呼ぶんですけど、こうした状況が起こってくる」 こうした傾向は、何に由来するのだろうか。 「これにはいろんな意見があって、脳の構造と言う人もいますけど、私はそれぞれの歴史、文化なんだと思うんです。もともと世界は身分社会でした。欧米にはいまだにそういう風潮が残っています。でも日本は戦後、一億総中流という社会を作り上げた。だから、その平等が崩れたときの不快感とか怒りっていうものを他国の人よりも強く感じるんでしょう。悪く言えば島国根性。そういえば、社会的地位の高い人が先にワクチン接種したとかさせたとかで、バッシングを受けていましたよね。個人的には、よくある話じゃないか、そんなに目くじらを立てるほどのことかな、と思いましたけど、そこを許さないのが日本人。紛糾して、役所の雑務も増え、結果的に全体が遅れていく。まさにスパイト行動ですよ」(碓井氏) 他国の人々に比べて、日本人の心の狭さや幼児性の高さを示しているとしたら、寂しい話だが……。 「いや、私はそういう結論には落とし込みたくないですね。それは裏を返せば、協調性の高さでもある。みんな一緒、横並びで、それがいい社会だよねって、和を尊ぶような、普段ならいい面に表れているわけです。でも、こうしたコロナ禍のような非常事態においては、ついうっかりスパイト行動的な面に転じてしまうということなんじゃないかと考えています」(同)
スパイト行動は悪い面ばかりではない
例えば、誰かが一個しかないリンゴをかじったら、基本的には他の人はそれを食べることはできない。誰かが一枚しかないシャツを着れば、他の人は着られない。その逆で、誰もが平等に使えるような財のことを、経済学では公共財とよぶ。 1990年代に公共経済学の実験を行い、「スパイト行動」という言葉を有名にしたのが経済学者の西條辰義氏らだ。 西條氏は研究を進めていくうちに、スパイト行動が単に「損をしてでも自分だけが上に立ちたい」という側面があるだけではないことを発見する。スパイト行動によって、公共財供給に協力関係が発生したのだ。 「例えば、地区でお金を出し合って公共財をつくるとか、NHKの受信料なんかが典型例かもしれません。公共財の場合、フリーライド、つまり“ただ乗り”する人が生じてしまいます。フリーライドは防げるのか、防げないのかという実験を、アメリカ人と日本人を対象に行いました。その結果、面白い結果が出たんですよ」(西條氏) その実験では、プレーヤーたちがお金を出資して公共財をつくるゲームに取り組んでいくのだが、互いにどんな行動をとるかによって自分の損得が決まるというルールで、心理的な駆け引きの分析ができる。 その結果、日本人が際立って“スパイト行動”を多く行ったという。つまりは自分が損をしてでも相手をおとしめようとしていた。ユニークなのはその先だ。ゲームの進行とともに、次第にプレーヤーは協力的になっていったのだ。公共財構築に向けて一致団結したわけではない。協力せずに自分が出し抜き、フリーライダーとなってしまえば仕返しや批判を受けるリスクが高いため、その恐怖が大きくなって協力関係を結ぶというのが本当の要因だった。相手は自分の写し鏡、とはよく言ったもので、自分の意地悪が招く仕返しを勘ぐるあまり、期せずして皆が協力的になったのだ。 西條氏らは同様の実験を、韓国、中国、モンゴル人にも行ったが、西條氏は日本人のスパイト行動が飛び抜けて多かったと指摘する。 「結果だけ見れば、日本人は意地悪な人が多いというふうに見えます。でも、だからこそ、いざ公共財をつくるという場合、日本人は相手のフリーライドを許さない傾向にあります。公共財づくりに参加した人は、自分が一番得になるような努力をせずに、損をしてまで参加をしない人の足を引っ張ろうとする。出る杭は打たれる、という感じですね。これを経験してしまうと、誰もが参加せざるを得なくなる。日本の場合は、みんなが仲良く協力して公共財を築いている、というわけではなくて、『協力しないと後が怖いからする』。対して外国人は、自分は自分、相手は相手。日本人は自分たちが意地悪をすることがわかっているから、それが返ってくることを恐れて仕方なく協力をしている……というのが、私の見方です」 2020年の1回目の緊急事態宣言下を思い出してほしい。欧米のロックダウンのような強制力がない中、多くの人たちが「ステイホーム」を守った。 「私がこんなに我慢しているのに、勝手な行動を取るあいつが許せない」 みんなが「公衆衛生」という公共財のために「我慢」というコストを支払っているにもかかわらず、勝手な行動を取る「フリーライダー」を許せない――。そうしたスパイト的な考え方の典型例が“自粛警察”とも言えるだろう。振り返ってみれば、結果的に、感染者数が一時的に減少したのは皮肉な話だ。 またマスクだけでなくワクチン接種でも「スパイト」的な行動が見られたという。 「または、ワクチンの副反応で数日寝込んだ人が、未接種者に対して、『私がこんなに苦しんでいるのに、ワクチンを打たないなんて許せない』というふうに思う。これも一種のスパイト行動ですね。みんながそう思うから未接種者も、ワクチンを打たざるを得ない。したがって接種率は上がる。こういう構図です」(西條氏) 参加しないと足をすくわれる。だから参加してしまう。結果的に協力状態が生まれる……日本人のスパイト行動がもたらす思いがけない効果は、前出の碓井氏も指摘した通り、日本人の協調性の高さにつながっているのだろうか。同調圧力に弱い、と言い換えることができそうだが、いずれにしても面白い側面があるものだ。
スパイト行動とどう付き合う?
「スパイト行動なんて、愚かな人がやる意地悪でしょう。私はもっと利口だから、そんなことはしない」 そんなふうに思う人もいるかもしれない。 だが、「その考え方こそがスパイト行動を引き起こす」と前出の碓井氏は言う。 「へえ、世の中にはそんな意地悪をする人がいるんだ、なんて他人事のように思う、それって、すでに自分も罠(わな)にはまっているんですよね。意図しなくても、同じようにスパイト行動をとってしまうんです。だからまずは、どんな人間もスパイト行動をする可能性があることを認識すること。自分が損をしても、相手を出し抜きたいという気持ちがふっと湧いてきたときに、『ちょっと待てよ』と思えるかどうか、だと思います。でもこれって、当たり前じゃないか、そんなの昔から知ってるよ、というような内容なんですよね。スパイト行動は、言葉こそキャッチーですけども、日本人が昔から日常的に行ってきたことで、なんとなくみんながモヤモヤッと感じていたもの。研究者たちは、こういうことを概念化するんですね。実験調査観察をして言葉を作り、実証していく。みんなのモヤモヤポイントを理論・概念化していくことは、物事を理解しやすくし、世の中をよくするきっかけを作っていくんですよ」 「私のこの行為は、スパイト行動に当たるのかも……」と省みる人が増えたとしたら、果たして日本はどう変わるのだろうか。