昭和、平成…元号は独自の文化・伝統をもつ独立国家のシンボルである

【江崎道朗のネットブリーフィング 第29回】

トランプ大統領の誕生をいち早く予見していた気鋭の評論家が、日本を取り巻く世界情勢の「変動」を即座に見抜き世に問う!

◆天皇の御代にあわせて元号を改める「一世一元の制」

日刊SPA! © SPA! 提供 日刊SPA!

政府も準備を始めたが、来年5月1日に皇太子殿下が即位されるに伴い、「平成」は新しい元号に改められることになる。明治、大正、昭和、平成と続いてきた元号が次はどうなるのか、暦に関係する手帳やカレンダーなどの関係者はやきもきしていると聞く。

皇位継承、つまり天皇の御代にあわせて元号を改める制度は「一世一元の制」と呼ばれる。

この制度が採用されたのは、ちょうど今から150年前のことだ。慶応4年を「明治」と改めた明治元年9月8日、明治天皇は「改元ノ詔書」を出され、一世一元の制を打ち出された。同日、その趣旨は「行政官布告」第一号によって全国に知らされた。

この一世一元の制が採用されたことで、元号は天皇の治世の象徴という意味合いが明確にされた。それまでは天皇が即位されたときだけでなく、瑞祥(おめでたいこと)の出現や、大震災といった天変地異の発生したときなどにも改元がなされてきたからだ。

昭和という元号は敗戦後も使われてきたが、昭和50年頃から「西暦に一本化し、元号はやめるべきだ」との意見が日本共産党などから出され、朝日新聞なども同調するようになった。この動きに反発し、「長い歴史をもつ元号をやめていいのか」と元号法制化を求める世論が高まる中で、その法的根拠を再確認すべく昭和54年(1979年)6月12日、元号法が制定された。

この元号法には「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と明記されており、一世一元の制を採用することが再確認された。憲法にも「国民統合の象徴」と明記されている天皇の御代にあわせて元号を改めることは、現行憲法の趣旨にも沿っていると考えたわけである。

◆日本は、中国の属国ではない

そもそも、なぜ元号が必要なのか。元号は対外的には、日本が独立国家であることを示す意味合いがある。

元号の「元」は、モト、ハジメという意味で、この一定の元(起算点)から年を数えるのが元号だ。その元号に特定の文字をつけた年の称号が年号である(よって元号イコール年号といってよい。ただし明治時代までは、年号が公用語として使われてきた)。

『日本書記』によれば、この元号が初めて公式に日本で使われ始めたのが西暦645年だ。それまでも「法興」という年号があったようだが、これは「私年号」と言って一部の人たちが私的に使っていたもので、公年号としては「大化」が最初となる。

古来、中国の君主は、領土・人民のみならず時間をも支配する権能を持つものと考えられ、統治の時代を画する「元号」を定めることが君主の権限だとされてきた。

この中国の統治方式は、やがて周辺諸国にまで拡大された。「大化」が定められた当時、中国大陸には、唐という巨大な帝国が形成されていて周辺諸国を従えていた。特に中国と陸続きの朝鮮半島では、新羅という国家が始めは自国の年号を使っていたところ、それが唐に知られて、西暦650年、唐の「永徽」(えいき)という年号の使用を強制された(現在、韓国は西暦を使っていて、独自の元号はもっていない)。

このように周辺国を属国扱いする唐に対抗しようとしたのが、当時の日本であった。朝鮮半島の新羅が唐から唐の年号の使用を強制される前に、日本は独自の年号を定めたのだ。当時の日本の指導者たちは「日本は、朝鮮とは異なり、立派な独立国だ」という気概をもっていたわけだ。

こうした経緯から「古来の歴史事実として、年号をたてるということは、独立国の象徴であり、また文化水準の表示でもあった」と、国史学の泰斗である坂本太郎・東京大学教授(故人)も指摘している。

以後、日本は独自の元号を一貫して使ってきており、その歴史は今年で1373年に及ぶ。

ちなみにわが国は明治5年(1872年)の太陽暦導入と同時に、西暦に換算して紀元前660年の神武天皇即位を紀元とする「皇紀」も使うようになった。明治5年11月の改暦の布告が出されて以降、皇紀は正式な日本の暦として位置付けられ、「紀元」と言えば皇紀を指し、公文書にも元号とともに使われてきた。

この皇紀は戦後ほとんど使われなくなったが、意外なところに残っている。例えば、1945年8月17日、独立を宣言したインドネシアの独立宣言文の日付は「17, 8, 05」となっている。この下二桁の「05」は、皇紀2605年(西暦1945年)を指している(写真は、首都ジャカルタの独立記念塔に展示されている独立宣言文)。当時、インドネシアの独立運動の指導者であったスカルノ初代大統領は戦時中、日本軍の協力を得て独立の準備を進めていたことから、皇紀を使ったのではないかと言われている。

◆日本は、キリスト教国家でも、イスラム教や仏教を国教とする国でもない

この元号はまた、日本が独自の文化・伝統をもった国であることも示している。

今年は西暦2018年だが、西暦とはキリスト教歴のことだ。キリストの降臨(生誕)とともにこの世界が始まったという歴史観に立脚しているわけだ。この西暦が世界的に使われているのは、イギリスやアメリカというキリスト教国家が近代の国際社会を主導してきたからだ。

この西暦に対抗して非キリスト教国家は、独自の暦を使っている。例えば、エジプトやサウジアラビアといったイスラム教国家は、西暦622年を紀元一年とする回教(イスラム)歴を使っている。

一方、ユダヤ教徒とイスラエルは、ユダヤ歴を使っている。アダムとイブとを神様が創った時から始まっていて、西暦に3760年を足した年数となっている。

このほか仏教国では仏歴を使っている。ミャンマーやスリランカでは、釈迦が入滅したその年の紀元前544年を仏滅紀元元年としている。一方で、タイ、カンボジア、ラオスでは、釈迦が入滅した翌年の紀元前543年を仏滅紀元元年としている。よって西暦に544、あるいは543を加えた値が仏歴となる。

このほか、独立や革命、国王の在位を起点とする独自の暦を持つ国も多くあるが、その歴史は必ずしも古くない。

そうした世界各国の中で日本は1400年近くも前から元号という独自の時間感覚を持ち続けてきたわけだ。仮に日本が中国の属国になっていたら、あるいは明治以降、欧米の植民地になっていたら、元号という制度はなくなっていたに違いない。

キリスト教国家でもなく、ユダヤ教やイスラム教、そして仏教を国教とする国でもない。日本は、天皇を仰ぎ、独自の文化と伝統を有する独立国家であることを示しているのが、元号なのだ。大切にしていきたいものである。

【江崎道朗】

1962年、東京都生まれ。評論家。九州大学文学部哲学科を卒業後、月刊誌編集長、団体職員、国会議員政策スタッフを務め、外交・安全保障の政策提案に取り組む。著書に『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)、『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』(祥伝社)、『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』(青林堂)など

タイトルとURLをコピーしました