昭和時代に「テレビ」は、どのように短時間で全年代に受容されたのか

昭和の時代に「国民的ブランド」を形成するため、大きな役割を果たしたのがマスメディアの代表であるテレビです。テレビという存在がどのようにして巨大な力を持つようになったのか、NHK放送文化研究所の三矢惠子氏に解説してもらいます。

受信機の登場から10年で行為者率が90%を超える

【図表1】は、NHKが1960年から5年ごとに実施している「国民生活時間調査」で得られたテレビ視聴時間(10歳以上の国民1人あたり)の推移である。視聴時間からみると、テレビの歴史は、第1期(1953~1976年):視聴者・放送内容の拡大による視聴時間増、第2期(1977年~1985年):視聴時間の減少と倦怠、第3期(1986年~2002年):リモコンの登場と視聴の活性化、第4期(2003年~現在):インターネット利用の浸透による若年層を中心としたテレビの位置づけの低下の4期に分けられる。

図表1 テレビ視聴時間と1日の行為者率の変化(日曜、国民全体)

昭和の時代というのは、テレビが誕生し、受信機の普及と番組の充実により視聴時間が増加、安定した第1期から、レジャー活動の活発化、娯楽番組に対する飽きや過熱報道に対する批判などにより、かげりが見えた第2期を経て、リモコンの登場とニュースへの興味の高まりから、再びテレビが活性化して視聴時間が増え始める直前あたりまでとなる。

この時代、テレビはどれくらい多くの人に見られていたのか。グラフの点線で表した「1日の行為者率」は、1日の中で少しでもテレビを見た人の割合である。1965年以後ずっと(10年ほど前まで)90%を超えていた。生活時間調査で「1日の行為者率」が90%を超える行動は、睡眠や食事、身の回りの用事(着替え・洗面・入浴など)だけである。

つまり、テレビを見ることは、生きていく上で欠かせない行動と同じレベルになっていた。マスメディアの中で、テレビに次いで高い新聞の行為者率が50%程度であることからも、そのボリュームの大きさがわかる。しかも、それだけ多くの人が、ほぼ4時間を超えるレベルで見ており、結果としてテレビを見ていない人も含めた全員の平均時間も3時間40分から4時間10分くらいの間を推移している。

また1970年以後、どの年齢層をとっても1日の行為者率は90%を超えており(1965年は80%台後半の年齢層あり)、視聴時間はほとんどの層で3時間を超えていた。「年齢の違いなく・ほとんどの人が・毎日・長時間」というのがテレビが「よく」見られていたことの量的な実態である。

しかもこの国民の各年齢層への広がりは、受信機の登場からわずか10年あまりで達成されている。このようなスピードで各年齢層に利用されるようになったメディアはテレビの他にない。中でも1960年から1965年にかけての増加が大きく、この5年で、それまでメディアの中心の座にあったラジオを、行為者率でも平均時間でも追い抜いた。1日に3回、朝、昼、夜の食事どきに視聴のピークがある。1時間を超える”ながら”視聴がある、といったテレビならではの特徴もこの1965年には完成している。

「一家団らん」とテレビ番組が生活リズムをつくる

1965年あたりまでにテレビがどのように受け入れられていったのか、特徴的なことを2つ紹介したい。夜の家族の団らんと、朝の視聴習慣の形成である。

受像機の価格の大幅な低下や1959年の皇太子殿下ご結婚(現在の天皇陛下)、1964年の東京オリンピックなどのビッグイベントによって、受像機の普及は飛躍的に進んだ。放送開始当初は、スポーツや舞台、寄席、映画などを家にいながらにして楽しめることがテレビの大きな魅力だったが、1960年代に入ると、「テレビ以前からの既存の娯楽」に頼った番組から、クイズ、ドラマなど「テレビ独自の娯楽」の番組が人々を楽しませるようになる。

核家族世帯の増加が始まった時代でもあり、夜、勤めから帰宅した父親と母親と子どもから成る家族が、食事どきや食後にホームドラマ、アニメーション、映画、歌謡ショー、スペシャル番組などを見ながらおしゃべりをする、「食事と会話とテレビ」が三位一体となった”テレビ的”一家団らんをテレビが提供したのである。

1970年代後半ごろからは、テレビを2台以上所有する世帯の増加などによって、家族視聴は減っていったが、家族がそろう時間には、やはりテレビがついていて、テレビを見ながら食事をしていれば、たとえ会話が途絶えがちでも間を取り持ってくれ、家族で団らんの気分を味わうことができた。少し形は変わったが、テレビが家族団らんを支えていた。

一方、朝はまた違った形でテレビが浸透している。人々は、睡眠やラジオ聴取などほかの行動の時間を削るか、食事や家事などほかの行動との”ながら”視聴をすることで、テレビを見る時間を増やしたが、”ながら”視聴に合った朝の番組が開発・編成され、人々の生活習慣を変えてしまったのである。

現在もよく見られているNHKの朝の『連続テレビ小説』は、もともとテレビを見る習慣のなかった朝の時間帯に新設された番組である(1961年に8時40分から放送開始、翌1962年から8時15分開始。8時開始になったのは2010年)。家事に追われて忙しい主婦のために、”ながら”視聴で音だけ聞いても内容がわかるようにナレーションをつける、1日や2日見られなくても大筋が理解可能なつくりにする、などの工夫が施されていた。

同じく朝の時間帯に、ラジオの”ながら”聴取に倣ってワイド化された民放のワイドショーでは、自分の関心に合うところだけをつまみ喰い的に見られるように番組が構成されていた。”ながら”視聴や”細切れ”視聴でもわかる番組を放送することで、朝の時間帯にテレビを見る習慣が定着したのである。

このように、テレビは短期間で人々の日々の営みの中に組み込まれるようになり、さらに生活リズムをつくるまでになった。昭和の時代、テレビを見ることは当たり前の日常生活そのものだった、と言っても過言ではないだろう。そして人々は、生活のさまざまな面でテレビから多くの影響を受けた。

【図表2】は、1968年に「この10年くらいの間に、テレビが人々のものの見方や生活態度にどういう影響を与えてきたと思うか」を尋ねた結果である。テレビは、社会的視野を広げ、政治に対する関心を強め、文化水準を高め、新しい思想や文化の発達を促進し、経済を発展させ、つきあいを上手にした、と多くの人が感じていたのである。

図表2 この10年くらいの間のテレビの影響(1968年の調査)

実は、平成に入るとテレビはさらに多彩に楽しまれたのだが、2010年以後は、確かにテレビを見る人は以前より少なくなっている。それでも、1日の行為者率で見ると、最も低い20代以下でも70%弱である。タイムシフト視聴の広がりによって、リアルタイムで見ていなくともテレビの話題を共有できるようになった。テレビを見ながらSNSを使って家族団らんのような会話をいろいろな人と楽しむこともできる。ネットとの組み合わせで、テレビが新たな影響力を担うことも可能なのではないかと、テレビとほぼ同年代の筆者は思うのである。

参考:「テレビ視聴の50年」(2003年、NHK放送文化研究所編、日本放送出版協会)

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