愛知県三河地方で家業を継いでいる妻と話し合い、東京から蒲郡市に引っ越して2年が経つ。妻の実家までは車で30分ほど、東京までは新幹線で約2時間。都内での仕事が多い筆者は、ゆるい単身赴任生活をしている。
不便さや寂しさはない。新鮮な食材を揃える食品スーパーがあり、よく探せば安くて旨い飲食店もある。近所の喫茶店に通い詰めていたら、映画や本の話ができる友だちもできた。今ではすっかり愛知生活が気に入っている。
上には上がある。『全47都道府県幸福度ランキング』(東洋経済新報社)によれば、日本で一番幸せなのは福井県民らしい。実際に住んでいる人は、どのように働き暮らしているのだろうか。
「日本一幸せ? うーん、そうかなあ。新幹線も空港もない県ですよ」
福井市内に住む上村誠さん(58歳)は自嘲気味に語るが、その生活は羨ましい要素に溢れている。
市内の中心部に近い自宅から郊外にある会社までは車で30分。渋滞はほとんどない。休日は海にも山にも「昼飯後の思いつきでプラっと行ける」。
福井で生まれ育ち、国立福井大学の工学部を卒業した上村さんは、松浦機械製作所に新卒で入社した。工作機械の部品メーカーで、納品先の7割は海外というグローバル企業である。
「福井は大企業の城下町ではありませんが、面白い中小企業がたくさんあります。工業用3Dプリンターを手掛けるうちの会社もその一つです。エンジニアにはいい環境だと思いますよ」
上村さんは現在、人事総務を統括している。「残業をするなと言って回る立場」なので、遅くても夜8時には帰宅できる。家族の夕食は終わっているが、晩酌のビールは妻が注いでくれる。
両親が早くに亡くなった上村さんは、10年前から妻の両親と3世代同居をしている。義理の両親、上村さん夫婦、高専に通う息子と中学生の娘という家族構成である。
「台所も風呂も一つです。鍵のかかる個室もありません。外食はほとんどせずに、みんなでご飯を食べます。子どもたちもグレずに育ってくれました」
住宅地にある自宅を訪問し、その理由がわかった。子どもたちは、両親よりも祖父母のほうとさかんにコミュニケーションを取っているのだ。
「子どもの教育にとっていいことだと思いますよ。大人に対する接し方が、ちゃんとできるようになりますから」
自宅は、妻の実家をリフォームした。費用は1000万円ほど。上村さんが全額を出した。
「いわゆるマスオさんですけれど、居心地はいいですよ。『わざわざ家に入ってくれたお父さん』として気を使ってもらえますね」
学生時代はヨット部に所属していた上村さん。国体出場経験もあるという。現在は、会社がサポートしている地元のサッカーチームの応援に忙しい。
上村さんは仕事・家庭・趣味を同時に充実させている。しかし、時間が不規則な業種や職種だと私生活は乱れがちになるのではないか。
出版や広告を扱うウララコミュニケーションズ(本社・福井市)で営業局長をしている田中藤則さん(42歳)は、「平日の帰りはほぼ毎日23時過ぎ。朝は8時半出社」という仕事漬けの日々を過ごしている。それでいて健康で柔和な印象を受ける。
理由は、上村さんと同じく3世代同居の安定感だろう。田中さんの実家は、福井市から車で30分ほどの大野市の田園地帯にある農家。岐阜県の大学を卒業後に戻ってきて就職した田中さんは、31歳のときに結婚した。現在は小学生の子ども2人と両親を含む6人暮らしだ。
「ヨメは元同僚だから、仕事で遅くなっても理解してくれます。ただし、どんだけ夜が遅くても、朝飯だけは家族6人全員で食べる。平日の夕食は僕抜きの5人で食べています」
田中さん自身も「じじばばっ子」で、共働きだった両親の代わりに祖父母にしつけられて育った。
「遊び場は田んぼです。傷のついた里芋をボール代わりにしてゴルフの練習もできる。1枚100メートルぐらいの田んぼが続いていますから、飛距離も測れます(笑)。夏はトイレから蛍が見えますよ」
素晴らしい環境だが、嫁に入った妻のほうは閉塞感を覚えるのではないか。
「親子4人で住もうかと考えたこともあります。でも、かえってヨメに負担がかかるのでやめました。ヨメは酒蔵の事務仕事をパートでやっています。仕事が息抜きになっているようです」
肉親が家事を手伝ってくれるからこそ、夫も妻も安心して働きに出られる。気分転換と収入の両方を得られるのだ。
若い世代はどうなのか。福井市の南に位置する越前市に暮らす前田利隆さん(27歳)を訪ねた。
前田さんは田中さんと同じく農家の長男として育ったが、学生時代は「農作業や地区の行事のせいで遊べないのは嫌だった」。高専卒業後、就職した先は国土交通省の近畿地方整備局。福井も管轄地域に入っているが、神戸や京都で1人暮らしをする期間も長かった。
「都会は自分の肌に合わないことがわかりました。時間の流れが早すぎるんです。ちょうど中学の後輩が地元のラジオ番組制作のボランティアに誘ってくれたので、戻ることにしました」
昨 年、越前市役所に転じた前田さん。生真面目な印象を受けるが、大阪出身の働き者の女性を連れて帰ってきた。いずれは実家に戻って父母と一緒に暮らすつもり だが、今は市役所から自転車で10分のマンションで2人暮らし。市の中心部でも家賃は駐車場2台分を含めて6万円ほどだ。
妻は、自宅近くの縫製工場でパートとして働く。前田さんの給料で生活をして、妻の稼ぎは貯蓄に回しているという。なお、前田家は農家なので野菜や米を買う必要はない。
「母も祖母も、農業をやりながら外でも働いていました。思えば、同級生のお母さんで専業主婦なんて聞いたことがなかったですね」
父、母を含めた家族全員で住む。それぞれが働き、助け合う。都会では忘れられつつある「当たり前のこと」を自然と実現しているところに、福井県民の幸せの根源があるのではないか。
ちなみに、筆者にはまだ子どもがいない。もしできたら、3世代同居を検討しよう。真剣にそう思った。
(大宮冬洋=文 川口奈津子=撮影)