有名建築家、被災地で活躍 設計施設が続々

東日本大震災の被災地で、有名建築家が設計した公共施設が続々と誕生している。復興支援の一環として手掛けられたもので、集会所や駅舎、児童施設など種類はさまざま。独創的な外観で地域再生の象徴となるだけでなく、被災地に多くの人を呼び込む観光資源としての役割も期待されている。
 3月21日、JR石巻線の全線再開に合わせて、再建された宮城県女川町の女川駅も開業した。丸みを帯びた屋根の建屋は、建築界のノーベル賞とされる米プリツカー賞に輝いた坂茂氏が設計した。坂氏は町内の仮設住宅、相馬市のケア施設「子どもアート・メゾン」も担当している。
 宮城県南三陸町では、世界的に知られた隈研吾氏が市街地再生の全体構想の策定を担う。同氏は市街地と復興祈念公園をつなぐ橋の設計も手掛けており、2016年度の完成が見込まれている。町内には著名な手塚貴晴、由比夫妻の手による「あさひ幼稚園」も建っている。
 公共施設は建設費や仕様に制約がある場合が多く、著名な建築家を設計者に起用できる機会は少ない。震災後、被災自治体には数多くの建築家から協力の申し出があり、意匠を凝らした建屋の整備が可能になった。
 デザインの提供にとどまらず、建設費用を自ら調達しているケースもある。プリツカー賞を受けた伊東豊雄氏、山本理顕氏ら建築家5人は「帰心の会」を結成。釜石市平田や仙台市宮城野区の仮設住宅など岩手、宮城、福島3県の12カ所に、集会所「みんなの家」を誕生させた。
 東松島市宮戸では14年、グループメンバーの妹島和世氏らが「SANAA」のユニット名で「宮戸島月浜のみんなの家」を整備した。地元の民宿組合の桜井幸作組合長は「有名建築家による建物目当ての来訪も期待できる。現地で地域の魅力も感じてほしい」と話している。

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