東日本大震災と福島第1原発事故のため、福島県飯舘村から新庄市に移り住んだ鮎川ゆきさん(30)が、市内に念願のパン店を開いた。原発事故で避難する途中、偶然たどり着いた地で再出発を果たした。震災の発生から4日で1000日。鮎川さんは「お世話になった方々への恩返しに心を込めてパンを提供したい」と張り切っている。
米粉パンを専門にする店名は「米ぱんだ」。鮎川さんの誕生日、10月30日に新庄市役所前の空き店舗を改装し、オープンさせた。連日多くの客が訪れ、午後には売り切れとなる人気ぶりだ。
鮎川さんは震災時、定年を機に秋田市から飯舘村に移り農業を始めた父邦夫さん(69)に誘われ、村の産直所で米粉パンを製造販売していた。パティシエを辞め、さいたま市から息子2人と移って1年。パンが評判になり、売り上げを伸ばしているさなかに原発事故で村を追われた。
家族5人で古里の秋田に避難する途中、通り掛かった新庄でガソリンが底を突いた。縁もゆかりもなかったが、避難所生活を送り、両親ともども公営団地に住む。地元NPOに就職し、運営するレストランで米粉パンやケーキを焼いた。周囲の親切が身に染み、いつしか新庄が好きになった。
計画的避難区域に指定された村にはいつ戻れるか分からない。「子どもたちのためにも、地に足が付いた生活をしなければ」と今回、開業して定住する覚悟を決めた。
長男(6)は来春小学校に入る。鮎川さんは「いつまでも被災者ではいられない。パン屋の経営を軌道に乗せ、この地に根を張っていきたい」と話している。