朝日新聞で起こっている“異常事態” なぜ「Colabo支援者」からの抗議で記事取り消し?

部数激減、経営悪化、人材流出……。負のスパイラルに陥った、かつての自称「クオリティー・ペーパー」朝日新聞の内部では何が起こっているのか。取材を進めた先に見えてきたのは、会社を去っていく若手記者の「絶望」。そして、「ジャーナリズムの放棄」であった。 【写真を見る】ジョーカーのメイクを施した河合悠祐市議  ***

 改めて言うまでもないことだが、組織は人で成り立っている。組織を支える人が流出、あるいは劣化してしまっては、「クオリティー・ペーパー」を維持することなど到底かなうまい。  朝日新聞が苦境にあえいでいる。  今年1月のABC調査によれば、かつて840万部を誇った朝刊発行部数は、今や380万部まで落ち込んでいる。部数減は全国紙全体の問題とはいえ、読売が653万部で踏みとどまっていることを考えると、朝日の凋落ぶりは明白である。2021年3月期決算では約442億円の大幅赤字を計上。「200人規模の希望退職者」を募ったことで、エース級の記者を含む多くの人材が社を去った。  一体、朝日の内部で何が起こっているのか――。

若手有望記者の同時退職

 取材を進めると、その苦境を象徴するような事案が相次いで発生し、社内に大いに動揺が走っていることが分かった。その一つが、「若手有望記者の同時退職」である。  朝日新聞関係者が語る。 「この8月までに退職するのは、いずれも30代前半の男性記者3人です。3人とも、将来を嘱望された記者が配属される警視庁や警察庁を担当した有能な人材。若手記者が3人も同時に辞めるのは前代未聞です」  3人の退職後の進路は大手損保会社、大手人材サービス会社、民放テレビ局。 「3人の退職が同時期になったのは示し合わせたわけではなく、偶然。ただし、その背景には今の社会部長による高圧的な言動があったのではないかといわれています。退職する3人は子供が生まれたり、結婚したばかり。そのため社会部長に“今は転勤は勘弁してほしい”と伝えていたものの、部長は“裏切り者”“そんなわがままは通用しない”などと言い放ったそうです」(同)  とはいえ、件の社会部長は育児などに全く理解がないわけではなく、 「どちらかといえば男性記者が育休を取ることにも積極的な人です。実際、今回辞める3人のうちの一人は、社会部長のすすめで昨年から今年にかけて半年ほど育休を取得しています」  と、別の朝日関係者。 「その記者からすれば、育休が終わったら育児が終わるわけではないことを、当然、社会部長は理解していると思っていた。ところが、その部長から“来年は地方だな”と言われた。育児に理解があると思っていた社会部長ですら地方行きを平気で告げる。退職を決断した記者はそのことに絶望したようです」

女性記者に地方転勤を命じられない裏事情

 リストラなどを進めたことにより、全国の支局を含めた会社全体で人員が減っている。そのため、たとえ子育て中であったとしても「地方転勤」の対象からは外されない。それに加えて、 「今の朝日社内には“女性の職場環境を改善しなければならない”との命題がある。ゆえに、女性記者に地方転勤を命じたら、それだけでパワハラと言われかねない。社会部長としては、社内での自分の立場を守るためには、男性記者と女性記者、どちらに地方転勤をお願いするかとなった時、男性を選ぶしかない」(同)  朝日新聞は3年前、「ジェンダー平等宣言」を発表している。ジェンダー格差の問題を報じるなら、“私たち自身が足元を見つめ直す必要がある”との考えかららしいが、まず取り組むべきは男性記者と女性記者の「地方転勤」の“平等”、ということになりそうだ。  元朝日新聞記者で『崩壊 朝日新聞』の著書もある長谷川煕氏が言う。 「記者が自身や家族との生活を大事にしたいというのは当然のこと。それでも昔は朝日に勤め続けることへの未練があり、転勤を命じられても我慢していました。今はその未練がないか、むしろ朝日に勤め続けることへのマイナスイメージがあるのでしょう」  現役記者たちにそう思わせる背景には、新聞社としての矜持が全く感じられない、次のような“騒動”の影響もあるのかもしれない。

記事削除に社内は大騒ぎ

「今年5月30日、朝日新聞デジタルは、自らを“ジョーカー議員”と称する河合悠祐・草加市議を紹介する記事を配信しました。しかしそれが女性支援団体のシンパなどから一斉に批判され、大炎上。すると朝日は記事を取り消し、削除したのです。この記事は紙の新聞に掲載される前段階で削除されたため、社外ではあまり知られていませんが、社内は大騒ぎになりました」(朝日新聞社員)  問題の記事は「ルポ インディーズ候補の戦い」と題する連載記事の第4回として配信された。 〈京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析〉  とのタイトルで、“ジョーカー議員”こと河合市議の経歴や、当選までの過程を本人へのインタビューを元にたどった人物ルポである。  一読して何の問題もなさそうなこの記事が炎上したのは、「Colabo(コラボ)」という団体と河合市議の因縁に“触れていない”ことが原因だった。この団体は、虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人。河合市議はツイッター上などでこの団体の活動を揶揄する言動を繰り返していた。そのため、記事が配信されると「Colabo」の支援者らが一斉に批判。朝日はそれに屈する形で記事を取り消したのだ。  ちなみにこの団体に関しては、東京都から受け取っていた事業委託料に「不正受給がある」と住民監査請求が出されて都が調査に入るなど、「カネ」の面でも注目されていた。

河合市議に聞くと…

「配信された記事が炎上すると、朝日の担当記者が電話してきて“河合さん、Colaboと何かあったんですか?”と聞かれました。元々、僕とColaboがケンカしていることも知らなかったようなんですね」  そう振り返るのは、当の河合市議本人である。 「確かに、記事でColaboのことやフェミニズムについて扱っているなら、僕とColaboのケンカのことも入れるべきでしょう。しかしそれとは何の関係もない、僕の半生を紹介する記事でColaboから何を言われようと関係ない。だから“無視でええんちゃいますの?”と言ったんですが、記者は“あんまり抗議が多いと無視するわけにはいかない”と……」  批判が殺到した後、朝日は記事に〈おことわり〉を追加し、Colaboの問題に触れなかったことは〈不適切〉だったと釈明。が、それが火に油を注ぐことになり、さらなる炎上を招く。そして最終的に記事を取り消すに至ったのだ。 「どんな記事でも批判する人は一定数いるはずです。そもそもColaboと関係ない記事でいちいち批判を気にした朝日新聞社はどうかと思います。納得いかへん形で終わったなあ、という感じです」(同)

「驚くべき退廃」

 元朝日新聞記者でノンフィクション作家の辰濃哲郎氏はこう苦言を呈す。 「批判を受けたから記事を削除したというのは驚きでしかない。事実と明らかに違ったとか、誤報・捏造の場合は記事の削除も仕方ないとは思います。しかし、批判を受けた内容と関係のない記事であれば“彼の政治家としての一面を捉えた記事です”と説明すればいいだけの話で、削除までする必要はないはずです」  朝日は2度過ちを犯した、と辰濃氏は言う。 「十分な取材ができていなかったことと、記事を削除したことです。外からの意見を気にしすぎて日和(ひよ)ってしまう、あっさり記事を削除してしまう、というのは、権力と戦う姿勢や、培ってきた朝日新聞の価値に逆行する行為に他なりません」  先の長谷川氏もこう話す。 「記事そのものに問題はないのに抗議を受けたからといって掲載をやめてしまっては報道機関として失格。驚くべき退廃です。新聞社として成立しておらず、会社そのものが腐っています」

OBも「衝撃を受けた」

 元朝日新聞記者で『朝日新聞政治部』著者の鮫島浩氏は次のように指摘する。 「河合さんとColaboの問題そのものの是非はおいておくとして、今回の記事取り下げは非常に深刻なことです。あの記事が世に出るにあたっては、多くの人が関与しています。まず取材した記者がいて、次におそらくキャップクラスが原稿を見る。出稿したデスクだけではなく、もっと上の編集局長クラスも原稿に目を通しているはずです」  その幹部たちが誰も事前に問題を指摘しなかった。 「そのことに衝撃を受けます。そして一旦トラブルが起こるとトカゲのしっぽ切りのごとく記事を取り消してうやむやにして、編集局長も部長もデスクも、自分が責任を問われないことしか頭にない。こういうモラルハザードが起こっていると、現場の記者も、官公庁や捜査機関などの発表をそのまま流す“発表モノ”など差し障りのないことしかやらなくなります」

「ビジネスマンとしてもジャーナリストとしても失格」

 若手有望記者3人が同時に退社することについては、 「朝日にいても展望がないし、辞めるのであれば若いうちにと思っているのでしょう。そもそも最近、朝日ではゴマをすって上にかわいがられた人だけが出世するのが顕著になっていて、ジャーナリズムで勝負する原稿を出す人は敬遠されるのです。部長もデスクも失敗しないように、野心的な記者は遠ざける。特ダネを持ってきてもそれを何とか成就させようと考えてくれる上司がいないのです」  もっとも、それは会社全体の方針でもあるそうで、 「朝日のOBやOGが所属する会の会報で社長は、これからは稼げる会社になりましょう、と言い、収益の3本柱はデジタル、イベント、不動産だとしていました。ジャーナリズムはどこへ行ったと批判が巻き起こったのは当然です。笑い話なのは、儲けることばかり考えているのに儲かっていないこと。もはやビジネスマンとしてもジャーナリストとしても失格です」(同)  ジャーナリズムを捨て、儲けることもできずにさまよう朝日。「クオリティー・ペーパー」たらんとする気概も失ったとなれば、その存在意義はどこにあるのか。 「週刊新潮」2023年8月3日号 掲載

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