9月6日、大阪・梅田の駅前に「GRAND GREEN OSAKA」が誕生した。その中にある都市型公園「うめきた公園」は、都市公園として非常に好評だ。
筆者は以前、GRAND GREEN OSAKAについて現地のレポートを交えながら、その再開発のキーワードは「開放性」にあると解説した。芝生広場から見える青空のような、景色の開放性もさることながら、無料で座れたり寝っ転がったりできる場所があり、さまざまな人に開かれているという意味での開放性の高さにも驚いたのだ。公園だけでなく同時にオープンした「北館」も、館内に「スペースがあるだけ」という作りで、さまざまな人に開かれている印象を持った。
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その光景を見て頭に浮かんだのは、東京のことだった。そこでも多くの再開発が進行しているが、それらに「開放性」はあるのだろうか?と思ってしまったのだ。むしろ、その施設の多くは「富裕層」や「訪日観光客」しか見ていないのでは?とさえ感じられるのだ。
再開発で”高級化”する渋谷
例えば、顕著なのが渋谷だろう。渋谷は現在100年に一度の大規模な再開発が進行中だが、そこで誕生している多くのビルは、上層階はオフィスで関係者以外の立ち入りができず、低層階には高級なショップやレストランがぎっしり……というもの。オフィスでない場合は、高級なホテルが入っている場合も多い。
実際、渋谷再開発を進める東急は、「渋谷をクリエイティブワーカーの聖地に」という掛け声のもと、渋谷をそれまでの若者の街から「オトナな街」にしようとしている。また、同時に渋谷はインバウンド観光客が最も訪れる街でもあり、そこにインバウンド向け施設を増やす選択をしているのだろう。
こうした「高級化」の余波として起こっているのは、渋谷の街に滞留できる空間が減ってきていることである。
私は以前、渋谷のチェーンカフェが週末ではどこも混んでいることを指摘し、そのポストには大きな反響があった。それは、こうした再開発によって街が高級化し、ふつうの人々が滞留できる空間が減ってきていることを表している。都市論の言葉ではこうした街の高級化を「ジェントリフィケーション」というが、まさにジェントリフィケーションが進んでいるのが渋谷なのかもしれない。
筆者が何気なくしたポストに、多くの賛同が寄せられた(出所:筆者のXより)
その点で、渋谷ではどこでも、だれでも座れる空間の減少が顕著に起こっていると思う。お金を払わないと、座ることすらできなくなっているのだ。
インバウンド向けの「東急歌舞伎町タワー」
東急の事案ばかりを取り上げるのも何だか忍びないが、新宿に誕生した東急歌舞伎町タワーを見たときも、同じようなことを思った。
ここは地上225m、地上48階という複合商業施設で、ゲームセンター・namco TOKYOや、映画館の109シネマズプレミアム新宿などが入居する。さらに高層階には2つのホテルがテナントとして入り、インバウンド向け施設という側面もある。
中央に見えるのが「東急歌舞伎町タワー」(筆者撮影)
ここを訪れると気付くのは、館内全体の「インバウンド向け」感だ。
低層階に入る飲食街「新宿カブキhall〜歌舞伎横丁」は、北海道から沖縄に至る日本全国の名物が食べられるようになっており、そのケバケバとした装飾を含めて、明らかに「日本的なるもの」を押し出している。
ネオ横丁の屋台。日本感(?)を演出している(筆者撮影)
それに、建物には全体的にネオンが輝いていて「ネオ・トーキョー」的な雰囲気もある施設になっている。
「TOKYO」と輝くネオン。最近よく見かけるタイプの店だが、「これって東京なの?」とふと冷静になる瞬間がある(筆者撮影)
その横には日本土産の屋台も(筆者撮影)
施設としても、高層階は2種類のホテルが入っており、一大観光地である歌舞伎町を目当てにやってきたインバウンド観光客のための施設、という印象を受ける。
そのコンセプトといい、内容といい、全体が「インバウンド向け」になっている。東急自体は明言しないだろうが、どこか「日本人お断り」の感さえ受けてしまう。
麻布台ヒルズに多様性はあるのか?
興味深いのは、こうした近年の再開発のコンセプトではしきりに「多様性」が叫ばれていることだ。
東急歌舞伎町タワーのホームページによれば、この施設は『極められたさまざまな「好き」の想いとともに街の未来や文化、延いてはさらなる多様性を紡いでいくこと(MASH UP)を目指します』とのこと。
あるいは、森ビルが2023年に完成させた「麻布台ヒルズ」もそうだ。そのロゴデザインは「様々な人々や価値観を受け入れて、時の経過とともに多様性を増しながら育まれる街のロゴ」らしい。まあ、近年の再開発事案のコンセプトではだいたい「多様性」という言葉が入っているし、とりあえず「多様性」という言葉を入れておけば、「なんかいい」感じになる。
とはいえ、そうしたビルの多くが、高所得者層やインバウンド需要に対応した施設になっているのは皮肉な話だ。
そう考えると、こうした施設は北海道の観光地・ニセコと同じようなものなのかもしれない。ニセコは現在、外国人観光客から絶大な支持を集めており、徹底的に外国人富裕層に向けて空間作りが行われている。よく話題になる話だが、そこに行けば商品やサービスの値段は「ここ日本かよ?」と思ってしまうような値段だし、街の看板は英語だらけだ。
『なぜニセコだけが世界リゾートになったのか 「地方創生」「観光立国」の無残な結末』(講談社+α新書)で、マリブジャパン代表の高橋克英氏はニセコが観光地の成功理由を、外国人富裕層に「選択と集中」したことに求めている。ニーズが多様化・複雑化する現在、そのようなセグメンテーションは、ある商業施設なり観光地が成功するのに必須だろう。ニセコはその成功をわかりやすく表しているが、東京にある多くの商業施設もそのようになっているのではないか?
いわば、東京は「ニセコ化」しているのではないか?
もちろん、そうした富裕層向けのセグメンテーションは必要だ。それに、儲けることを否定しているわけではない。むしろ、どんどん儲ければいい。
ただ、その結果として、「とりあえず多様性」「とりあえず富裕層向け」「とりあえずインバウンド向け」といった同じような場所ばかりになってしまうと、庶民はどこへ……となってしまうのだ。
私が問題にしたいのは、この「ニセコみたいな場所ばかりができてしまう」ことに対する違和感であり、「金太郎飴」のようなビルばかりが誕生してしまっている、多様性のなさへの違和感なのだ。
緑が「あればいい」わけじゃない
ちなみにそうした「多様性」の象徴だろうか、そこにはGRAND GREENと同じように存分に緑がある。森ビルは六本木ヒルズからの再開発のたびに、それぞれの施設の緑化面積を増やしている。六本木ヒルズの緑化面積が約1万9000㎡なのに対し、麻布台ヒルズの緑化面積は約2万4000㎡である。
ただ、そこがGRAND GREEN OSAKAのような開放性のある緑なのかというと、疑問がついてしまう。芝生はあるにはあるが、養生中の場所も多く、寝っ転がっている人は見かけられない。また、座る場所はいすで細かく指定されていて、視界に入る景色も高層ビルばかりでどこか圧迫感がある……。
書籍『都市の緑は誰のものか』(ヘウレーカ・2024年)の中で、南山大学総合政策学部准教授の太田和彦は、自然と人間の関係を「機能的価値」だけで捉えることに警鐘を鳴らす。「機能的価値」とは、植物があることによってCO2がこれだけ減る……といった数字で表せるような自然の価値のことだ。ただ、考えればわかるように、私たちにとって自然とはそうした数字で表せるだけでなく、もっと情緒的な価値を持っている。「ただあればいい」ものではない。
緑を建物に取り入れる際には、そうした人間の情緒的な側面までを踏まえてそこがデザインされる必要があるのだ。その意味でも、正直、麻布台ヒルズにある緑は「あればいいんでしょ」といった感じを受けてしまうのは筆者だけだろうか。
最近の東京の再開発のもう一つのテーマが「自然」かもしれない。実際、そこには多くの自然があったりする。けれど、それらがどこか堅苦しい感じを持っているのは、その自然が機能的価値のためだけに植えられている例も多いからではないか。その点でも、東京の再開発の「金太郎飴」感が否めないのだ。
「街にないもの」が生まれる再開発を
GRAND GREEN OSAKAがその点で興味深いと思ったのは、大阪駅前のあの場所で、いわゆる他の再開発ビルと同じようにならずに、広大なスペースを生かすような再開発を行っていることだ。金太郎飴感から脱している。
もちろん、「専門家」の目からすれば、東京にあるさまざまな再開発ビルもそれぞれ違いがあるのだろうが、おそらく一般人の目からはわからない。そうした小さな違いではなく、見た目に「ぜんぜん違うものができたなあ」と思う再開発事例が誕生したことが興味深いのだ。
これが大阪駅前にあると思うと、すごい(筆者撮影)
大阪都心とは思えないぐらい、緑に囲まれている(筆者撮影)
これがコーナン!?と思ってしまう「gardens umekita」もある(筆者撮影)
それは、再開発で仕切りに言われる「多様性」に確かに貢献している。その街にないもの・足りないものを補完してくれるからだ。「その街にないものが生まれる再開発」こそが、進むべきだと感じる。
実はこの点でいえば、東京にもそうした再開発事例がないわけではない。例えば、今年開業した「SHIBUYA SAKURA STAGE」。この低層階には、松屋やマック、カルディ等々、比較的、庶民派な店が揃っている。渋谷の再開発で生まれてこなかったものが生まれているようにも感じる(ちなみに渋谷に足りないとされていた大型書店も入っている)。
SHIBUYA SAKURA STAGEに入る松屋(筆者撮影)
東京・大阪に限らず、こうした再開発が増えれば、おのずと街の「多様性」は生まれてくるだろう。
再開発の「違う道」を探して
個々の再開発事例は開発のスキームや規模感も異なるから、それを一様に比べることに無理があるのでは、という意見が出てきそうだ。たしかに、都市論関係者の間での話ならばその違いを見るのも重要だろう。
しかし、あくまでもできてしまった施設は、その街に暮らす人やそこに訪れる人からすれば、同じ建物でしかない。開発主体がどうだとか、なんだとか、関係ないのである。
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今後も、東京ではさまざまな再開発が進んでいく。ただ、いくつかの事例を見ても、やはり「金太郎飴」感から脱していないような、「高層ビル」「富裕層向け」「インバウンド向け」の施設が目立つ。
例えば、東京駅前にできる予定の「トーチタワー」。まだ完成していないから断罪することはできないが、高層階にホテル(しかも、ウルトララグジュアリーホテルらしい)、低層階に高級そうなショップ、そして適度な緑地……というお馴染みの構成だ。この時点で、多くの庶民である市民には、「名前を覚える必要のない施設」と言って良さそうである。
こうした再開発が街にどのような影響を及ぼすのか、それはまだ誰にもわからない。でも、その街の「多様性」を本当に考えるならば、違う道もあることに気が付くときがそろそろ来ているのかもしれない。
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谷頭 和希 チェーンストア研究家・ライター