なぜ格差はなくならないのか。作家の佐藤優さんは「新自由主義はすべての人を市場原理に従わせるという考え方で、あらゆる格差を生み出すシステムと言える。その影響がもっとも大きく現れているのは東京だ」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、佐藤優『佐藤優の特別講義 民主主義の危機』(Gakken)の一部を再編集したものです。 ■貧しい人がさらに貧しくなるカラクリ 新自由主義の基本は、すべて市場原理に従うという考え方です。市場原理に従うことで所得格差は広がり、富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなっていく。新自由主義がもたらしたアメリカの様相を、言語学者チョムスキーは次のように語っています。 ———- 大多数の国民が、新自由主義の原理に従って、「市場にすべてを任せろ」「自由競争の原理に従え」と言われているのです。こうして、アメリカ国民はお互いに競争させられるなかで、さまざまな権利を奪われ、社会保障を削られ、あるいは破壊され、もともと限界のあった医療制度さえ削られ、あるいは縮小させられているのです。これらはすべて市場原理主義の結果です。 しかし、富裕層にとっては、このような原理「市場にすべてを任せろ」は適用されていません。富裕層にとって国家は、いつでも何かことが起きたときには駆けつけて救済してくれる強力な存在ですから。(『アメリカンドリームの終わり――あるいは富と権力を集中させる10の原理』) ———- ■格差がはっきり現れるのが大都市圏 新自由主義は「すべてを市場原理に従わせろ」と言って、このルールに貧しい人々を絶対的に従わせる一方で、富裕層については優遇します。こうした不平等が厳然として存在している以上、格差が広がっていくのは当然です。 大企業や大銀行が倒産し、バブルが崩壊したときに、どれだけ多くの公的資金が大企業や大銀行に導入されたかを思い出すだけで、チョムスキーの言説が正しいことは明確に理解できます。 新自由主義の社会では、いくらでも格差が広がっていきます。それはまぎれもない事実として認識できるはずです。資本の大きさに比例して、幾何級数的にワニの口のように格差が広がっていくのです。 そのいちばんの影響が現れるのが、大都市とその周辺部です。都市にはさまざまな階層の人間がいて、自国民だけでなく外国人や移民も多数住んでおり、そこでは経済的な格差がはっきりと見える形で展開しています。
■6万円のアパートの近くに35万円のマンション 日本において、都市の中の格差がもっとも大きく現れている場所が東京です。私が見る限り、東京は二極化した都市になろうとしています。 たとえば赤坂だったら、溜池山王の駅で降りると、すぐ近くにコーヒーチェーン店があって、300円代でコーヒーが飲めます。ちょっと裏に行ったら牛丼屋さんもあって、ワンコインで昼食を食べられる。しかし同じ赤坂でも、某有名ホテルで夕飯にラーメン一杯食べたら5000円にもなります。夜の中華コースで一番安いものでも、税込みで1万8000円です。 同じ街でこれだけ飲食料金が違っているというのは、それだけ二極化が進んでいる証拠です。 住宅の話でいえば、私が住んでいる四谷界隈では、風呂つきの25平方メートルくらいのそこそこの木造アパートが、6~7万円台で借りられます。もっと広い58平方メートルなら、22万円くらいの値段になり、3LDKで85平方メートルくらいになると、35万円くらいになります。 100平方メートルを超える賃貸物件は四谷近辺にはあまりないので、購入するしかありません。購入すると2億5000万円くらいはかかります。 ■移民コミュニティとどう向き合っていくか 四谷は環境もいいので、夢を持っている若者たちは、6万円台でワンルームを借り、低賃金の労働に甘んじて働いていても、なんとか何年かがんばってみようかということになるわけです。そういう住宅が点在していて、ファミリータイプの住宅も存在しているから、たぶん四谷はスラム化しないのでは、と私は思います。 赤坂や四谷の例でわかるように、東京の都心がスラム化する可能性は少ないのですが、東京周辺の都市はスラム化する可能性が高いと思います。 東京の隣接県のいくつかの都市では、スラム化と密接に関係のある「移民」の問題が存在しています。そういうところには、さまざまな外国人が住むようになってきています。中国人、韓国人は以前からの住民も多いですが、たとえばクルド人が特定の場所(おもに埼玉県の川口市など)に住んで、独特なコミュニティをつくっています。またウクライナから来た難民も、特別なコミュニティをつくっています。 こうしたコミュニティには正規の移民だけでなく、非正規の移民も多数存在しているのが現実です。外国人問題、より正確にいえば移民問題は、これから日本でもどんどん表面化していくに違いありません。
■日本は世界有数の移民受け入れ国に 移民についてオランダのマーストリヒト大学教授のカリド・コーザーは『移民をどう考えるか』の中で、「増えつつある非正規移民を、政治家と一般国民が、時に国家主権と公共の安全に対する脅威だとみなすことがある。多くの移民先の社会では、移民コミュニティの存在、その中でもとくに過激主義と暴力に関連のある地域出身で、なじみの薄い文化を持つ移民コミュニティに対する恐怖心が高まっている」という問題点を指摘しています。 日本において、たとえば、イスラム過激派が拠点を築いたというニュースを私はまだ耳にしたことはありませんが、移民のコミュニティが反社会的集団と化して、違法ドラッグの販売や売春の斡旋などで不当な利益を上げているケースも少なくない現実が存在しています。 また、日本の移民の人数は毎年増加しています。ジャーナリストの望月優大が『ふたつの日本――「移民国家」の建前と現実』で書いていますが、日本は2015年の統計で、世界第7位の移民受け入れ国で、すでに約260万人の外国人が住む国となっています。この人数はさらに増えていく可能性が高いでしょう。 ■政府は移民の権利と義務をはっきりさせるべき しかしながら、望月も指摘していますが、移民をどう受け入れていくかというはっきりとした政策を日本政府は打ち出しておらず、違法滞在の外国人への対応でもしばしば批判されています。 2021年に起きたスリランカ国籍のウィシュマさん死亡事件でも、入管施設の非人道的な対応が大きな問題となりました。日本政府は外国人や移民の権利や義務を認めて、その権利や義務の内容を明らかにしなければならないと思います。 自由主義経済の原理がある以上、外国人も移民も経済の原理で入ってきます。それを阻止することはできません。 ところで、日本とイスラム系の国との関係という点において、これから重要となるのはマレーシアとインドネシアになる可能性が高いと私は思います。
■イスラム圏の人口は今後も増え続ける エマニュエル・トッドが『帝国以後』で指摘していることですが、高等教育を女性が受けるようになると出生率が減るという傾向があります。その最たる例は、中国やミャンマーです。逆に、今でも出生率が2.1以上あるのが、マレーシア、トルコ、イラン、インドネシアです。 イスラム教が普及している国においては、女性の高等教育の水準が上がっても出生率は極度に減少しません。別な言葉でいえば、拡大再生産が維持できるということです。そして、それらの国からの移民がこれから増えると予想されます。 今ヨーロッパで起きている移民問題は必然的なもので、経済の自由化によっていったん移民の流入がはじまったら、止めることは不可能です。いずれ日本がたどる道でもあります。 ■教育現場も新自由主義の影響は避けられない 格差の拡大が民主主義にどのような影響を与えるか、という点を考えてみましょう。多くの場合、政治においては民主主義が担保されますが、社会生活の実質は経済が動かしています。 経済の世界は民主主義的ではなく、自由主義が優先されます。これは株というシステムを見ればわかります。株は株主全員が平等というわけではありません。ある企業において、持っている株の数で会社の意思決定に大きく関与できるかどうかが変わります。これは、経済の意思決定は「力」であることを意味しています。 一方、政治における意思決定というのは、従来型の民主主義が維持されます。しかし、新自由主義においては、経済がどんどんそれ以外の領域を侵食していきます。そうなると、不平等と格差が拡大するのは避けられなくなります。 そのいい例が受験です。日本では表面上、義務教育は完全に無償化されています。ところが実際は、義務教育だけでは、受験に十分に対応できる教育は受けられないことも多く、私的ファクターとしての学習塾や予備校というものの役割が大きくなるわけです。 私立の中高一貫の進学校の場合、教育費(中学受験にかかる塾代を含む)に莫大な金額が必要になります。生徒の親の多くが、中学3年くらいまでに1000万円程度の教育費を使っているともいわれています。これだけの金額を、すべての親が投資することは不可能です。 この点から見ても、教育の現場で経済の「力」の原理が働き、格差が非常に大きくなっていることが理解できるでしょう。
■家庭の所得が子どもの将来の所得を左右する 民主主義という立場から見れば、教育というものは機会均等で、平等に行われるべきです。ところが今の日本の受験体制あるいは教育システムにおいて、より有利な社会的ステータスを自分の子どもに持たせようとしたら、教育に多額の費用をかけなければならない。それができる親の数は非常に限定されます。 教育が産業化可能である以上、企業がこの分野に目をつけるのは当然です。よりよい教育を得られる、というキャッチ・コピーのもとに、企業側はさまざまな商品やサービスを大量に提供し、利益を上げようとします。 しかし、低所得層の家庭で教育費にかけられる金額は富裕層の家庭の数十分の一、場合によっては数百分の一です。そうした家庭では教育産業が提供する商品やサービスを、子どもに満足に与えることはできません。 教育格差はどんどん広がっていき、この格差は子どもの将来の収入にも影響していくという現実があります。親の収入がそのまま子どもにも反映することで、所得階層間の移転が困難になり(いわゆる「立身出世」や「成り上がり」が不可能になる)、富裕層と貧困層の格差が固定化するわけです。 このように教育という点からだけ見ても、新自由主義体制のもとで格差はますます広がっていくのです。というよりも、新自由主義はあらゆる格差を生み出していき、それが当然であるというシステムと言い換えることもできます。 そして現状の体制が持続する限り、格差社会がなくなるということは決してあり得ないということを、私たちは理解すべきなのです。 ———- 佐藤 優(さとう・まさる) 作家・元外務省主任分析官 1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。 ———-
作家・元外務省主任分析官 佐藤 優